19世紀にはテレビも飛行機もコンピュータも宇宙船もなかったし、抗生物質もクレジットカードも電子レンジも携帯電話もなかった。
ところが、インターネットだけはあった。
そんな書き出しから始まる『ヴィクトリア朝時代のインターネット』がなかなか面白かった。19世紀の電信網の栄枯盛衰と、それがもたらした社会と人への影響。オペレーターたちは空いた回線でチャットに興じ、時には結婚に至ることも。通信網がビジネスの速度を上げ、投資家たちは最新情報を求めて電信を活用する。秘密を守るために暗号を駆使するものもいれば、秘密を奪うために必死で解読する者も……と、現代とよく似た光景が繰り広げられていたのだ。
ヴィクトリア朝、電信……といえば、シャーロック・ホームズは電報のヘビーユーザーという印象がある。読んでみると、電報を出したり受け取ったりという描写があちこちに見られる。ワトソンにも「彼は電報で十分な場合に手紙を書くということは決してしない(悪魔の足)」と認識されているのだ。もっとも、ホームズだけがヘビーユーザーではないのかもしれない。郵便局帰りのワトソンも、「電報を打ってきたね」とホームズに見抜かれる場面がある。
そんな眼でホームズものを見てみると、こんな一節もあった。
「もし私の眼鏡にかなう男なら、電報のように目にも止まらぬ速さで戻ってくるさ(緋色の研究)」
先進性の象徴だったのだろうか。
ところで、『ヴィクトリア朝時代のインターネット』にも書かれていた、電信の補助システムとして用いられていた気送管は、ディクスン・カーの初期作品(たぶんバンコランもの)に描かれていたような気がする(が、すぐに掘り出せない)。