六番目の空耳と、読めなかった陰謀小説

恩田陸、という作家の名を初めて知ったのは、たしか誰かとの会話だった。ただ恩田陸という人のこういう題名の本が面白かったよ、というだけで、その時はたまたま内容については何も聞かなかった。

その題名を、なぜか『六番目の左翼』と聞き間違えた私は、「六番目」ってことは「第五列」にちなんだタイトルなのだと勝手に思い込み、『地下組織ナーダ』や『スパイM』みたいな、陰謀と暴力が渦巻く左翼組織の暗闘を描くねじれまくった物語を妄想しては勝手に興奮していた。

そんなふうに膨れ上がった妄想が打ち砕かれたのは、実物を目にした時だった。

あれ……もしかして……左翼じゃなくて小夜子?

正確な題名を知ったときが最大のサプライズ。左翼や陰謀とは関わりの薄い話だったけど、あの謎めいてもやもやとした空気は妙に心地よく、小夜子は小夜子で楽しいものだった。……でも、本当に読みたかったのは、妄想のなかの『六番目の左翼』だったのだけれど。

昨夜の遅い電車に乗った帰り道、向かいに座った人が『六番目の小夜子』を読んでいることに気づいて、ふとそんなことを思い出した。

六番目の小夜子 (新潮文庫)

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24年目の七胴落とし 

『メアリー・ポピンズ』の一編に、赤ちゃんは動物と会話できるけれど、成長とともにその力を失ってしまう、という話があった。
神林長平『七胴落とし』に描かれる構図とよく似ている。

『七胴落とし』は24年ぶりの再読である。
最後に読んだころは10代半ばで、つまり主人公より年下だった。それが今では主人公の倍以上の歳だ。

快適な小説では全くない。焦燥と苛立ちに満ちた作品だ。
大人になると失われてしまう感応力。言葉を使わずに意思を通わせ、幻を生み出し、他人の身体まで操ってしまう。その力を使って、若者たちは危険なゲームに興じる。

この言葉が物語を象徴している。

感応力を失うことが大人になるということなら、ぼくは大人になんかなりたくない。

ビルドゥングスロマンとは逆方向の、成長に伴う喪失の恐怖。暴発しそうな何かを内に抱えて過ごす日々。爽やかさとは無縁の、鬱屈した心情。

最初にこの本を読んだころの自分を思い返してみると、比較的のんきに過ごしていて、主人公のような切迫した気持ちは大してなかったように思う。
とはいえ、決して皆無ではない。ささやかながらも15,6歳なりの何かがあって、ゆえにこの小説は心に刺さったのだろう。

再読したけれど、当時の自分にとって、いったい何が刺さったのかわからない。いや、分からないことはない。想像はできる。でも、それは現在の自分が再構成した、「過去の自分が考えそうなこと」にすぎない。実感はない。そもそもハズレかもしれない。
作中で大人になった者は、自分が感応力を持っていた記憶すら曖昧になってしまう。そのことに似ている。
ああ、もうそっち側にはいないんだ。感応力をなくしてしまったんだ。そう感じた。

よくぞこの小説を見つけて読んだ、よくやった、と24年前の自分に伝えたい。過去の自分を思い出したからというより、むしろ過去の自分との断絶に気づくことができたから。

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このミス大賞下読み、あるいは無意識の偏り

先日、このミス大賞授賞式で「歴代受賞者(+隠し球)って、大半が男性だね」という話をしていた。

そういえば、この賞では下読みから最終選考まで、全員男である。なんとなく、女性の作品が選ばれにくくなる傾向があるのかもしれない。
と、他人事みたいに言うのも何なので、過去に自分が上げた作品の場合、作者の男女比はどうなんだろうと数えてみた。

…… 愕然とした。
過去12回に私が上げた一次選考通過作品で、作者が女性のものはわずか10%くらい。
(性別を隠したいと思われるペンネームの方もいらっしゃるので、具体的に第何回のどの作品と明示したり、正確な数を示すのは控えておく)

もともと男性の応募のほうがかなり多いけれど、ここまで極端な比率ではない。
ちなみに、原稿を読んでいる間は応募者のプロフィールをほとんど見ていない。認識するのはペンネームくらい。つまり、意図して女性の応募作を排除しているのではなく、無意識のうちに男性の作品を選んでいるようだ。ますます始末に負えない。

そんなことを考えているうちに気づいたが、こちらに記した私の年間ベストでも、ミネット・ウォルターズ以外はすべて男性作家である。

自覚していなかった偏りに気づいて驚いている。

(いろいろ値をぼかしているので、読んでいる方には驚きが伝わりにくいかもしれないが)

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第12回このミス大賞

今日は授賞式。
受賞した二作を、当日までに読み終えた。

『一千兆円の身代金』

 大物政治家の孫が誘拐される。犯人から政府への要求は、日本の財政赤字と同額の身代金だった……という派手な事件で始まる誘拐もの。
 良くも悪くもまっすぐな話である。
 冒頭こそインパクト勝負な感じだけど、そのあとは地に足のついた展開。さまざまな関係者の視点による叙述と、刑事たちの捜査から、徐々に犯人像が浮かび上がる過程で読ませる。
 そこで物足りないのが、犯人サイドもまっすぐなところ。政府側に対して、もっといろいろとひねった意地悪を仕掛けてもいいんじゃないか。素直さは人間にとっては美徳だが、読者を上手く騙すと賞賛されるジャンルでは不利な資質だ。そして、まっとうな正論をまっすぐに訴えられてもねえ……と思ってしまうのは、心が汚れてしまったせいなのだろうか。
 高額身代金の誘拐ものというと、つい『大誘拐』なんかと比べたくなってしまう。アレに比べると、物語が展開するスピードはこちらのほうが速い。だが、動き出した後のねじれっぷりに関しては、あまりに素直だと思う。

一千兆円の身代金

『警視庁捜査二課・郷間彩香 特命指揮官』

 渋谷の銀行に強盗が立て籠もる。犯人の指名で現場指揮を命じられたのは、捜査二課の郷間警部補。収賄や企業犯罪が専門の自分がなぜ? 困惑しながら、彼女は慣れない現場へと向かう……。
 見せ方が上手い。テンポよく進み、適度に意表をつく展開が待っている。現場と会議室の両方で事件は進行し、強引ながらも鮮やかに着地する。
 見せ方の上手さを支えているのは、キャラクターの作り方だろう。ちょっとした欠点を抱えていたり、その欠点が効いてくる場面があったり、一人ひとりの存在が心に残る。
 反面、「黒幕」の描き方が型通りではある。それでも、私はチープな陰謀劇が本当に好きなんだなあと実感した。これにがっかりする人がいるんだろうなあと十分理解はできるのだが。

警視庁捜査二課・郷間彩香 特命指揮官

そして受賞作とは全く関係ないけど、宝島社では昨日と今日でこんなことをしていたのですね。

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流れよわが音楽、とスパイは言った

ジョン・ル・カレのスマイリー三部作。英国情報部のスマイリーと、ソ連のカーラとの対決をしめくくる第三部『スマイリーと仲間たち』では、スマイリーがかつて妻に贈ったライターが、物語の演出として印象深く使われている。

フィクションの中で、登場人物の思いと結び着いた品が効果的に用いられるシーンは珍しくない。

最近のデジタル機器がそういう場面に用いられることは少ないけれど、iPodをうまく使った作品があった。
キム・ヨンハ『光の帝国』と、オレン・スタインハウアー『ツーリスト 沈みゆく帝国のスパイ』だ。

『光の帝国』の主人公は北朝鮮から来た工作員だ。20年前に韓国に潜入し、彼の正体を知らない女性と結婚し、子供も生まれ、事業も営み、長年ソウル市民として暮らしてきた。そんな男が、ある日「祖国に帰って来い」という指令を受けるところから物語は始まる。身辺整理をして、北朝鮮に戻る準備をする男の、一見ふだんと変わらない、でも確実に異なる日常が描かれる。

物語の序盤。荷物をまとめていた男が、iPodを持って行こうかどうしようか、と逡巡する場面がある。そのくだりでの、音楽についての記述がおもしろい。

ギヨンは行進曲の国から来た人間だった。彼が出てきた国では、音楽はひとり楽しむものではなく、ともに歌うものであり、スピーカーから街じゅうに響きわたるものだった。

そういえば、同じく北朝鮮の工作員を主人公にしたアダム・ジョンソン『半島の密使』でも、音楽は「ともに歌うものであり、スピーカーから街じゅうに響きわたるもの」として描かれていた。

iPodを通じて、音楽を個人のものとして持ち運ぶ社会と、音楽を集団のものとして扱う社会とが対比される。iPodをどうしようかと思い悩むベテランスパイの姿は、ちょっとした悲喜劇だ。

『ツーリスト 沈みゆく帝国のスパイ』は、CIAの腕利きエージェントだった男を主人公に、9.11以降の世界の混沌を描くスパイ小説だ。2001年9月10日に幕を開けるあたりがなんとも象徴的。
主人公のミロは、しきりとiPodで音楽を聴いている。

ミロは電話を切ってカーラジオをつけると、ノイズのとぎれぬ地方局をつぎつぎに切り換えたが案の定つまらなくて、今回の移動時間の半分をきいてすごしたiPodを取り出した。

ミロはiPodのメドレーにききいった。六〇年代のフランスの曲のつづきで、きけば気も晴れるんじゃないかと思った。

ふと、思いついてiPodを取り出し、フランス・ギャルの歌に不安をまぎらせてもらおうとした……が、だめだった。

iPodは彼の心情と密接に結びつき、時には気をまぎらせ、過酷な世界を生き延びるミロの心を支えている。気に入った曲に選び、耳を傾け、危険と隣り合わせの日々を過ごす。

やがて物語が加速するにつれて、ミロは音楽どころではなくなってしまい、一時はiPodとも引き離されてしまう。終盤、iPodが彼の手元に戻ってくるところで、物語も無事に幕を閉じる。

スマイリーのライターと異なり、品物自体が語るべき来歴を背負っているわけではない。だが、気に入った音楽を持ち運ぶという機能のおかげで、面白い役割を担ってる。

最近、『ツーリスト』の続編が刊行された。これから読むのだが、ミロは相変わらずiPodを愛用しているのだろうか。

ツーリスト 沈みゆく帝国のスパイ (上) (ハヤカワ文庫NV)ツーリスト 沈みゆく帝国のスパイ (下) (ハヤカワ文庫NV) 光の帝国

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グランド・イリュージョン──違法の騎士/異邦の既視

映画館に行って強引な力技に騙されてきた。

フォー・ホースメン(黙示録の四騎士)を名乗るマジシャンたちが、到底不可能としか思えない状況で大金を奪ってみせる。
何とか彼らの尻尾をつかもうとするFBIは、手品の種明かしを生業とする男に協力を求めるが……という物語。

予告編に描かれる、ラスベガスのショーでパリの銀行から大金を盗み出す場面をはじめ、華やかな絵で見せる数々の不可能犯罪。その種明かしに、妙な既視感を覚えた。
なんかこんな感じのミステリ作家がいたな。
全編を通じて強力な催眠術に依存するところは、江戸川乱歩描く怪人二十面相のようではある。
でも、江戸川乱歩じゃない。

びっくりするような状況を作るためなら、コストもリスクも度外視する犯人。
目的に対してあまりに過大な手段だってかまわない。本末転倒も厭わないその姿勢。
ああ、これは島田荘司だ。
驚かせるためなら手段を選ばない。むしろ少しくらいは選んでほしい。思わず天も動いてしまう強引な奇想。
それは無理だろと突っ込みたくなるのを我慢できない、それでも何故か抗いがたい奇妙な魅力。
石橋を叩くくらいなら、派手に突進して橋ごと川に落ちてみせる愚直なロマンティック・ウォリアー。
おそらく、島田荘司作品の解決部分を読んで立腹したことのない人なら、この映画も十分楽しめるはずだ。
そして何より、劇中のマジシャンたちにとって、あの過剰な仕掛けは決して本末転倒ではない。

もっとも、島田荘司なら無茶を山ほど重ねて説明をつけてくれるところを、この映画では華やかな絵で説明をごまかしてる部分が少なからず存在する。ちょっとずるい。たとえ突っ込みどころが増えても(どうせすでにたくさんあるのだ)、ロマンティック・ウォリアーを見習ってほしい。

なお、個々の事件の種明かしは島田荘司的ではあるが、もちろん全体の仕掛けはそれだけではない。
ストーリー全体で見れば、むしろクリスティー的と言うべきかもしれない。作中のセリフにもあるように、ミスディレクションを駆使している。見終わってから振り返ってみると、登場人物の行動の意味が鮮やかに反転してしまう。

いろいろ書いておいてなんだけど、未見ならば、予備知識は仕入れないことをおすすめする。
優れた驚きを提供するミステリと同じように、終わったとたんに最初から見直したくなった。
もう一度見たら、たぶんあのシーンとかあのシーンでうひゃあと声を上げて悶絶しそうだ。

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皆勤の徒 / 酉島伝法 ──異質な体系の快楽

 高校生のころに教えられた英文読解技術のひとつに、
「頭の中で日本語に置き換えるな」
というものがあった。
 日本語に引き寄せるという手順を通さずに、自分が英語の体系の側に飛び込んで、英語の体系の中で文意をつかみ取る。分からない単語を調べるには英英辞書の使用をすすめられた。実際、そうする方が長い文章を読みやすくなった。ファイアフォックスを飛ばすにはロシア語で考えるんだ! みたいなもんですね。
 はなはだ感覚的な話ではあるが、そうやって英文を読んでいるうちに、どこかでぶちっとスイッチが切り替わる瞬間がある。思考回路が非日本語化されて、英語の文章がすんなり入ってくる。あっ俺いまファイアフォックス飛ばしてる! てな気分で、ちょっとした快楽である。

 自分が慣れ親しんだものの外部にある記号体系といえば、外国語だけではない。
 たまに、自分がまったく知らない分野、自分の日常と全く関係ない分野の雑誌を読むと妙におもしろい。その領域では当たり前の文脈、用語、概念といったものを知らない状態で読み始めると、最初は何がなんだか分からない。が、読んでいるうちに徐々に要素どうしの関係が見えてきて、やがて記号の断片にすぎなかったものどうしが脳内でぶちぶちと結合を始める。ある領域の靄が晴れてすっきりとして、未知の体系だったものが自分の中にインストールされる。

 アレはなんだか一種独特の気持ちよさがある。食欲や性欲とは異質の、生理的な快さを伴わない快楽。しかも脳内が快楽に満たされた状態が持続するから始末が悪い。

 で、いまその状態だ。ファイアフォックスは飛びっぱなしである。
『皆勤の徒』を数回繰り返して読んだせいだ。
 一読目はどうも何が起きているのかよくわからないところがあった。
 二読目で目の前の靄がいくらか晴れた感じ。
 三回目か四回目くらいで、脳内の回路がぶちぶちとつながりはじめて、アルキメデスが風呂から飛び出すくらいの興奮におそわれた。これがブッダのいう悟りか! 東京創元社は1890円で宗教的法悦を販売するのか! すごい! と闇雲に逆上してしまった。

 異質な言語で描き出される異質な風景。ただし、異質な言語のなかに時折「納品書兼作業完了報告書」とか「労働基準監督署」とか、妙に身近な言葉が紛れ込む。その身近であるがゆえの違和感が、風景の異質さをさらに際だたせる。
「これは俺の知ってるSF用語でいうと何だろう」とか考えず、 「ああ棄層が形相を模造したんだ」とそのまま受け止めて、分からないままに読み進める。何度か読んでいるうちに、「向こう側」での概念同士のつながりは何となくわかってくる。「こっち側」とはすんなりつながらないので、こういう話だ、と人に説明するのは難しいけれど。
 その「向こう側」と「こっち側」をつないでくれるのが解説だ。まるで対訳集のような存在である。でも、こいつに目を通すのは、訳の分からないまま何回か読んでからでも遅くはない。

 そういえばチャイナ・ミエヴィルの『言語都市』の序盤でも、似たような快楽を味わった。
 文章の字面そのものはふつう。字面だけで何か幻惑的なものを感じる『皆勤の徒』よりは一見とっつきやすい。
 こちらも、何が起きているのかよく分からないところがある。分からないまま読みすすめるうちに、訳の分からなかった諸概念がぶちぶちつながり出して、ストーリーが本格的に駆動するころにはすっかり引き込まれていた。

 異質な記号体系を自分の脳内にインストールする。訳の分からなかった断片がぶちぶちとつながる過程に快楽を覚える人にとっては、これは至福の体験といっていい。

 ちなみに『皆勤の徒』の収録作でいちばん楽しめたのは「泥海の浮き城」だった。 主人公の形状と舞台の奇異さのほかは非常にオーソドックスな私立探偵小説で、自分にとってなじみ深いものだったからだと思う。
 妻に卵を産みつけられるのを恐れて逃げ出し、他者に知覚されなくなる能力を生かして探偵稼業で食いつないでいる男。学師長の依頼で、事故のように思われた代理人の変死について調べるうちに、社会を揺るがすような大発見にかかわる謀略に巻き込まれる。
 弱さを抱えた、決して高潔とは言えない男が異形の街を行くハードボイルド。虐げられるマイノリティとか、この手の小説ではおなじみの題材もちりばめられている。異質な言語で紡ぎ出される、懐かしい物語。主人公はたぶん変身後のグレゴール・ザムザみたいな形で、街も妙にぐにゅぐにゅしたオーガニックな空間だけど、遠い異国でご飯と味噌汁と焼き魚をいただくような懐かしい感覚を満喫した。

皆勤の徒 (創元日本SF叢書) 言語都市 (新★ハヤカワ・SF・シリーズ)

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ここ1年のベスト10

各種年間ベスト選びの回答も一段落、自分の回答はだいたいこんな内容(なお、順位はアンケート回答時の気分で多少変動しています)。

■海外
『遮断地区』ミネット・ウォルターズ
『11/22/63』スティーヴン・キング
『予期せぬ結末1 ミッドナイトブルー』ジョン・コリア
『レッド・スパロー』ジェイソン・マシューズ
『甦ったスパイ』チャールズ・カミング
『われらが背きし者』ジョン・ル・カレ
『キング・オブ・クール』ドン・ウィンズロウ
『夜に生きる』デニス・ルヘイン
『極夜』ジェイムズ・トンプソン
『孤高のSAS戦士』クリス・ライアン

冷戦が終わっていちばん自由になった西側の人間はジョン・ル・カレだと思うのですが、『われらが背きし者』を読んで改めてその思いを強くしました。チャールズ・カミングは『ケンブリッジ・シックス』もよかったけど、格好悪いところが実に格好いい主人公の心意気を買ってこちらを。

■国内
『黒警』月村了衛
『時の審廷』芦辺拓
『ブラック・ダラー』清野栄一
『密葬 わたしを離さないで』江波光則
『ライフルバード 機動隊狙撃手』深見真
『定吉七番の復活』東郷隆
『八月の残光』赤城毅
『落日のコンドル』霞流一
『スタート!』中山七里
『ホテル・モーリス』森晶麿

『時の審廷』に渦巻く陰謀の匂いがたいへんよかった。久生十蘭『魔都』とか小栗虫太郎『二十世紀鉄仮面』のような。『密葬 わたしを離さないで』はたいそう陰鬱な話ですが、挿絵に描かれた美術教師の顔を見て笑ってしまった。駒の視点からチェスの勝負を描いたような小説。

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ブラインドサイト/ピーター・ワッツ──あるいは、興奮の裏表紙

これが読まずにいられるだろうか。上巻の裏表紙から。

突如地球を包囲した65536個の流星の正体は、異星からの探査機だった。調査のため出発した宇宙船に乗り組むのは、吸血鬼、四重人格の言語学者、感覚器官を機械化した生物学者、平和主義者の軍人、そして脳の半分を失った男。

なんだこの妙な顔ぶれは。こんな得体の知れないことを書かれると期待は膨らむばかりだ。
そして登場人物一覧を見れば、ここにも味わい深い記述が。

ロールシャッハ…ビッグ・ベンを周回する巨大構造物

登場人物に吸血鬼やAIがいても驚くことはないが、巨大構造物だ。『黒死館殺人事件』の登場人物として、法水麟太郎やグレーテ・ダンネベルクたちと並べて黒死館を挙げるだろうか?

今すぐ読まずにいられない。別の原稿を書くはずだった時間を捨てて読みふけった。意志が弱いせいなのか? 否。この裏表紙の吸引力が強すぎるのだ。恐るべきは東京創元社である。

……で、しばらく前に読み終えた。たいへん満ち足りた気分だ。
裏表紙にあるとおり、地球に探査機を送り込んだ謎の存在を調査する一行の物語である。
語り手は脳の半分を失った男、シリ・キートン。「同族の中にいて自分はまるで異星人だとつねに感じつづけ」ていた彼は、その脳の特性ゆえに、システムの外側から、内容を理解することなく全体を把握する「統合者」の能力を身につけていた。そういう人物が、異星の存在とのファースト・コンタクトに臨む……という物語だ。
一行に吸血鬼が入っているのも、言語学者が四重人格なのも、きちんとした事情があるから驚きだ(ちなみに、吸血鬼が十字架を恐れる理由まできちんと設定されていて、物語の展開上そこそこ重要な位置を占めていたりする)。
太陽系外縁で遭遇した巨大構造物を探る過程。それと並走する、人間の意識に関する思索。そこには、断片的に語られる、シリ・キートン自身の過去も絡み合う。

人間の意識という、当たり前すぎてふだんは意識することもないもの。それが、異質なものとの遭遇を通して存在意義を問われる。未知の探索によって既知のものが揺さぶられる、刺激に満ちた物語だ。ところどころに用いられる二人称の叙述も、自意識というテーマと響きあい、語り口そのものを含めて読ませる小説に仕上がっている。

『宇宙のランデヴー』に『ハーモニー』と『ドグラ・マグラ』をぶちこんでぐっちゃぐっちゃにかきまぜたような印象。『宇宙のランデヴー』を引き合いに出してみたけど、構造物の内部に侵入するくだりはむしろ「ダンジョン攻略」といった趣きである(放射線やら磁気の影響で)。疲弊ただよう後半には『ストーカー』を想起した。

ちなみに、登場人物のひとり(?)であるロールシャッハが周回しているビッグ・ベンとは、太陽系外縁部にある天体のこと。未来のロンドンがなんだかすごい光景になっているわけではない。

なお、本編の後には「参考文献」として、吸血鬼の生物学や、意識と知性、舞台となる天体などに関する解説と、文献リスト(16ページ分くらい)がついている。その冒頭にある断り書きはこんなふうだ。

参考文献と注釈を付すのは、わたしが狂っているわけではないとみなさんを納得させる(うまくいかなかった場合、せめてこの件に関して文句を言わせない)ためである。

ワッツよ、おまえは狂っている。博学がおまえを狂わせている。

ブラインドサイト<上> (創元SF文庫)” /></a><a href=ブラインドサイト<下> (創元SF文庫)” /></a></p>
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ポケミス全点展示

早川書房で開催中の「ポケミス全点展示」を見に行った。
101『 大いなる殺人』から1875『カルニヴィア1』 まで、千数百冊の本の表紙がずらりと並んでいるだけなのだが、これで十分に見応えがあった。

最初に自分で買って読んだのは1362『死者たちの礼拝』。デクスターの『ニコラス・クインの静かな世界』までは文庫で読んだものの、その先は当時ポケミス版しかなかったから……というのがきっかけだった。

新刊をチェックするようになったのは1584『のぞき屋のトマス』あたりから。大学生になってから入った推理小説同好会なる団体では毎週読者会をやっていて、これが課題作だった。

ミステリマガジンに新刊評を書くようになったのは1723『007/ゼロ・マイナス・テン』のころ。007といってもフレミングが新作を書くわけがないので、これはレイモンド・ベンスンという別の作家がイアン・フレミング財団公認で書いたもの。

結婚したころに手にしたのは、たしか1757『怪人フー・マンチュー』。新婚旅行に持っていこうとしたが思いとどまった。すでに綾辻行人『暗黒館の殺人』が重荷になっていたからだ。

……と、「あのころ読んでたもの」を思い出したり、あるいは「この本を読んだ頃の自分」を思い出したりと、小説の内容に限らず、いろいろな記憶が呼び起こされる展示だった。

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