奇術師


クリストファー・プリースト / ハヤカワ文庫FT

 フィクションの魅力にもいろいろあるけれど、特に「いかがわしさ」は大切な要素だ。

 こういう書き方は問題があるとは思うのだが──奇術はいかがわしい。欺き、惑わすことによって観客を魅了する演芸なのだから。そんな行為が通用するのは、これは舞台演芸である、という観客の了解があるからだ。

 その奇術師が、この小説の主役だ。ヴィクトリア朝時代に活躍した奇術師ボーデンとエンジャ。彼らが残した手記が、物語の大部分を占めている。そして彼らの確執が、その手記を読んだ100年後の子孫にまで影を落とす様子が語られる。

 ところで、先ほどの奇術に関する失礼な記述は、ミステリにもあてはまる。巧妙な語り=騙りで読者を欺いた作家は賞賛され、うまく騙せなかった作家は貶される。そんなふうに倒錯した分野なのだ。

 トリック以上にその演出にこだわる奇術師ボーデンの存在は、まさにミステリだ。手記の冒頭で、中国人奇術師の逸話を紹介しつつ「読者を惑わす」と宣言する。その約束どおり、まもなくとんでもない記述が飛び出す。執筆者の正常さを疑いたくなるような記述が。語り手自身の不穏な謎をはらんだまま、もう一人の奇術師エンジャに関する謎も提示される。

 ボーデンの謎とエンジャの謎。その二つが(いちおう)解き明かされるのがエンジャの手記だ。こちらはずいぶん平明に見える──が、読者よ欺かるるなかれ。彼もまたすべてを書いているわけではない。あからさまに惑わす代わりに、彼はただ沈黙する。あるいは、手記のページを破り捨てる。

 ところで、ボーデンとエンジャの初遭遇が降霊会、というのがなんとも象徴的だ。文中にも述べられているように、当時の降霊術師は、さまざまなトリックを駆使して霊魂の存在を演出していた(そういえばサラ・ウォーターズ『半身』も降霊術にまつわる物語だったか)。すべてはいかがわしさの中にある。

 そんなインチキ降霊術のたぐいに対置されるはずの「科学」でさえも、ここでは実に怪しげなものとして描かれる。なにしろ本書で「科学」を体現する発明家ニコラ・テスラは、そのエキセントリックな言動が強調されているのだ。火花を散らす電気装置。偏屈な天才発明家。マッド・サイエンティストの夢だ。これに限らず、この物語はパルプ・マガジン風の演出で支えられている。けばけばしい表紙の雑誌に載せられた、煽情的ないかがわしい物語の演出で。

 これはミステリであり、怪奇小説でもある。そういういかがわしい小説に魅力を感じる方には、ぜひ読んでいただきたい作品だ。

(補足)

ニコラ・テスラに関しては、新戸雅章『発明超人ニコラ・テスラ』 と、氏のWebサイト「発明超人ニコラ・テスラ」 が参考になる。

ちなみに早川書房は、2004年3月の『エヴァーグレイズに消える』に2004年4月の本書と、続けてテスラ関連の小説を出版していた。

2008/01/03 さらに補足

ニコラ・テスラもの(?)としては、さらに『ゴーストダンサー』が2007/11に刊行されている。

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