高額の報酬で盗みをはたらくニック・ヴェルヴェット。彼が引き受けるのは、価値のなさそうなものの盗みだけ。裏社会のニッチ市場を押さえる彼に、好敵手が現れた。サンドラ・パリス。「白の女王」とも呼ばれる、元女優の美女だ。
ある時は手ごわい敵として、ある時は心強い味方として、ニックとサンドラが奇妙なターゲットに立ち向かう10編を収めた短編集。
かつてポケミスで刊行されていた『怪盗ニック登場』『怪盗ニックを盗め』『怪盗ニックの事件簿』が、しゃれた表紙をまとって文庫化された。そんなわけで、これは4冊目の作品集だ。文庫オリジナルで、アメリカでも2004年に発表されたばかりの新作も収められている。
このシリーズのおもしろさは、「ニックがいかにして目的の品を手にいれるか」と、「なぜ依頼人はその品を盗みたがるのか」という二つの謎の絡み合いにある。
そんな二つの糸に、「サンドラの盗みの手口」というもう一つの糸が加わるのがこの作品集。ニックとサンドラが最初から協力している作品もあるけれど、やはりそれぞれが独自の力でターゲットに向かって行く作品が内容も凝っていて楽しめる。
本書に限らず、ホックの作品は「ミステリをあまり読まない人」に「いかにも推理小説な作品」をお勧めする時に適してるんじゃないかと思う。どぎつさ控えめのスタンダードな謎解きで、ミステリ屋さんの小粋な職人芸を堪能できる。
■収録作
白の女王のメニューを盗め
サンドラ・パリス登場。カジノを舞台にした盗みを巡って、二人の怪盗が火花を散らす。
犯行声明代わりに「白の女王 不可能を朝食前に」という名刺を残す、サンドラのスタイルが微笑ましい。
図書館の本を盗め
ニックの受けた依頼は、図書館にあるハメットの『影なき男』を盗むこと。いっぽう、サンドラが依頼人を誘拐しようとしていることを知ったニックは、彼に警告するが……
いつもながらのニックもののエピソードに、サンドラの活動がさらなる謎を加える。「サンドラ効果」が発揮された一編。
紙細工の城を盗め
ターゲットを狙って豪邸に忍び込んだニックは、殺人事件の容疑者に。苦しい立ち場のニックに、サンドラが救いの手を差し伸べる。
ニックは「型どおりの仕事だ」と言うけれど、その「型どおりの仕事」に凝らされたさまざまな工夫こそが、このシリーズの魅力なのだ。
それにしてもこの作品のサンドラ、やることが派手である。彼女には、ものごとを劇的に演出したがる癖があるようだ。
色褪せた国旗を盗め
カリブ海に浮かぶ小国の大使館。そこに掲げられる古びた国旗がターゲット。だが、サンドラも同じ国旗を狙っていた……。
サンドラとの競争がもたらす緊張感が心地よい。依頼人の動機は馬鹿馬鹿しいけれど、小国の苦渋を感じさせる。
レオポルド警部のバッジを盗め
ホックが生んだ別のシリーズ主人公、レオポルド警部が登場する。
一夜のうちに起こった、絵画盗難と殺人事件。窮地に立たされたサンドラを助けるため、ニックはレオポルドにある勝負を持ちかける。
「紙細工の城を盗め」のニックとサンドラの立場を逆転させた作品。レオポルドに勝負を挑むというニックの振る舞いは、サンドラとは違った意味で派手だけど、そのための手段はやっぱり短編ミステリの主人公ならでは。
禿げた男の櫛を盗め
ターゲットの持ち主、禿げた男が住むのは南部の丘陵地帯。酒を密造しているようで、警戒心が強く、来客を銃で追い払うことも少なくない。
禿げた男の櫛というターゲットは、このシリーズならではのもの。もっとも、これはニックの物語としてはやや異色。実利的な動機に基づく依頼が多いこのシリーズには珍しく、情緒が勝っているのだ。
全般に、ジョー・R・ランズデール作品のような雰囲気も漂う。幕切れが印象深い。
蛇使いの籠を盗め
舞台はモロッコ。サンドラが付け狙うのは、ある蛇使いの持つコブラの入った籠。
仕掛けはいたってシンプルで、エキゾチックな肉付けが楽しい。背景はずいぶん生々しいけれど、それを生々しく感じさせないのがホックの作風だ。
バースデイ・ケーキのロウソクを盗め
武器を積んだ飛行機を盗もうとするサンドラの物語と、ケーキのロウソクを盗もうとするニックの物語が、意外な形で交錯する……のはいいんだけど、ちょっと接続の仕方が強引。ニックの物語は「いつもどおり」なんだけど……。
浴室の体重計を盗め
テキサスにある牧場。その家の浴室から体重計を盗み出す、という依頼。ただしそこは野生動物飼育所で、牧場にはベンガル虎が放し飼いにされているのだ……。
『馬鹿★テキサス』ならぬ「虎★テキサス」。サンドラも登場するけれど、雰囲気はいつものニックものに近い。
ダブル・エレファントを盗め
オーデュボンの鳥類図鑑の実物大複製画。250ドル程度のこの絵を巡って、ニックとサンドラがしのぎを削る。
サンドラの台詞からも推測できるように、こういう依頼の仕方って、すさまじく当てが外れる危険があるような……