■彼と彼女の世界の認識
パーティの席で出会ったエレーヌとロイックのふれあいとすれ違いを描く恋愛小説。
ドラマチックなできごとはほとんど起きない。二人がディナーを共にし、あるいはベッドを共にし、あるいは会う約束が反故になり、という様子が淡々と語られる。
主に描かれるのは二人の行動、そして物事。そのディテールがつぶさに描かれる。二人の心の動きの大部分は、こういった事物を通じて語られる。もちろん内面描写もなくはない。だが、二人がお互いをどう考えているかということすら遠回しにほのめかされる程度である。
行動を通して人物を描くというと何だかハードボイルドみたいだが、そういえばこの作品にはダシール・ハメットの作品のようなそっけなさも感じられる。ハメットの切り詰められた言葉が、実はきわめて密度が高いということはよく言われているが、この小説もそうだ。
ただし、ハメットがあくまでも客観的な描写を目指したのに対し、この小説での事物の描写は、あくまでも二人のどちらかの視点に立ったものである。彼または彼女が、世界をどのように知覚したのか。彼または彼女がなにを認識し、何を認識しなかったのか。物事の描写には、そういう意味あいがこめられているようにも見える。行動を通して人物を描くというよりは、行動と知覚を通して人物を描く、といったところか。
こういった面に読者の意識を誘導したいからだろうか、この小説では二人の会話らしい会話はほとんど出てこない。静けさは緊張をさらに高める。
いつもスティーヴン・キングに代表されるようなアメリカ産娯楽小説、あるいは最近の国産ミステリーといった饒舌な小説ばかり読んでいるせいか、こういうある意味ストイックな作品はとても新鮮に感じられた。ヒロインの歯に野菜の切れ端がくっついてる様子までもが描かれる小説も、そんなにないような気がする。私がふだん読んでいるものが偏っているだけかもしれないが。