2003年度の英国幻想文学大賞短編部門受賞作。そう、短編ひとつで本一冊なのだ。この本の表紙を飾る絵画“Fairy feller’s master stroke”に憑かれた男の物語である。
狂気の画家が描いた一枚の絵。その絵に魅せられた少年は、早熟の天才。成長した彼は酒とドラッグに溺れるろくでなしに。そして彼は、自分を虜にした絵の作者が歩んだ道をたどる旅に出る。いつしか彼は、精神のバランスを失い、自分とダッドを同一視する……。
人生を棒に振ってしまいそうなくらいにのめりこめる作品。そんなものに出会ったことがあるだろうか? 幸か不幸か、私にはない。大いに笑ったり、心を揺さぶられたり、考え方に影響を受けたり……そういうものはたくさんある。でも、人生を棒に振ってしまいそうなくらいの作品となると、ちょっと思い浮かばない。
それは幸福なことなのか、それとも不幸なことなのか。
いくつもの新作を読む。年間ベスト級の作品もあれば、そんなに大したことのないものもある。傑作でも水準作でもそれぞれに応じた楽しみを得ている。そんな生活を送っている。
たまに思うことがある。「究極の一冊」に出会ってしまったらどうなるんだろう、と*1。
あまり幸せそうだとは思えない。本書の主人公だって、苦難の道のりを歩んでいる。ノワールに登場する男が、ファム・ファタールとともに堕ちてゆくように。
もっとも、本書の主人公には救済が与えられている。凡庸な着地点という救済が。それがこの小説の長所でもあり、短所でもある。多くの人にとって受け入れやすいけれど、一線を越えた凄みを感じさせるにはいたらない。いい作品ではあるけれど。
美術に関するサイトを調べてみると、この絵の題名は「お伽の樵の入神の一撃」と訳されるのが一般的らしい。でも、訳者が選んだタイトルは「フェアリー・フェラーの神技」。
訳者はクイーンの大ファンらしい。彼らの二枚目のアルバムに、“Fairy feller’s master stroke”──邦題は「フェアリー・フェラーの神技」という曲が収められているのだ。
クイーンのアルバムでも、全体のまとまりのよさではトップクラスの一枚。このアルバムもまた、入神の一撃である。
ちなみに、この絵を描いた画家リチャード・ダッドについては、Arts at Dorianに詳しい。
*1 : 戦場に赴く若者が『黒死館殺人事件』だけを携えて出征した、というエピソードを思い出す。