スターリングラード

スターリングラード―ヒトラー野望に崩る / ジェフレー・ジュークス (著), 加登川 幸太郎

第二次大戦下、スターリンの名を冠した街をめぐる独ソの激闘について書かれた本。
ただしここでふれておきたいのは本文ではなく、驚きに富んだ訳者あとがきである。

訳者はまず、スターリングラードの戦いの地理的な広がりが、日本人には想像しにくいことを指摘する。そこで説明のために持ち出したのが……

日本の地形にあてはめて距離を見ることにしよう。

こんなことをするから大変なことになってしまう。

ボルガ川岸にあるスターリングラードを、隅田川にある東京においてみよう。するとドイツ第十四機甲師団が突破進出した市の北部は草加付近、ソ連軍が最後まで確保した南部のベケトフカは横浜港付近となる。

……と、こんな具合である。位置関係はわかりやすいかもしれないが、何かほかのことを犠牲にしているような気もする。だが、それでも訳者あとがきはつづく。

第十四機甲師団は、飯能市の西から一挙に突進して二十三日、草加付近でボルガ川に進出した。ホトの第四機甲軍は、浜松付近のツィムリンスカヤでドン川を渡り、伊豆半島の南をまわり三浦半島、相模湾に殺到する。九月にはいって、闘いは東京の池袋、新宿、品川の山手線の東の地区でつづいたが、ついに隅田川の西にかじりついているソ連第六十二軍を追いおとせなかった。

都庁付近でドイツ軍とソ連軍が死闘を繰り広げる……という、きらめきと魔術的な美に満ちた光景がどうしても頭から離れなくなってしまう。戦争だって? そんなものはとっくに始まっているさ。

さらに外周からの攻撃が、富山県、石川県北部をまもるイタリア第八軍にくわえられた。

イタリア軍だ! イタリア軍だ! 北陸は彼らにとってずいぶん寒いのではないだろうか。東部戦線はもっと寒そうだが。

これでチル川の西側もソ連軍の手に入った。名古屋(タッチンスカヤ)、中津川(モロゾフスク)の主補給飛行場も使えなくなる。

カッコの使い方が絶妙、なにしろ「名古屋(タッチンスカヤ)」である。もう「名古屋」を「なごや」とは読めなくなってしまいそうだ。タッチンスカヤタッチンスカヤ。地元での発音は「たっちんすきゃあ」に近いのだろうか。ほかに「浜松(ツィムリンスカヤ)」「横浜(ベケトフカ)」など。ベケトフカみなとみらい。また、「大菩薩峠(カラチ)」なんてのもなかなか強烈である。

言うまでもないが、訳者はトンデモな人ではまったくない。ないのだが、ロシアの地理を日本に置きかえて説明しているせいで、なんだか架空戦記っぽい世界が生み出されてしまっている。邪馬台国はエジプトであり投馬国はクレタ島だったと唱えた、木村鷹太郎の新史学を連想してしまった。

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