ランズデールの、できたてほやほやの新作。アメリカでも1月に刊行されたばかりだというのに、邦訳は3月刊。訳者の方はさぞ大変だったのではないだろうか。
13歳の少年の夏休みを描いた物語だ。家の裏で見つけた、古い手紙と日記の束。そこから13年前に起きた殺人事件のことを知った彼は、その真相を突き止めようとする。
■第一印象
語り手が少年時代を回想するという形式は、『ボトムズ』と同じ。そんなわけで、おいおいまた『ボトムズ』ですか、というのが第一印象。ただし、1930年代という時代を背景にした『ボトムズ』に比べると、1958年のできごとを語る本書のほうが、ランズデール自身の少年時代により近いだろう。
冒頭、主人公の父親がある街のドライヴイン・シアターを買い取り、一家がその街に引っ越してくることになる。ドライヴイン・シアターというものが若き日のランズデールにとって大きな存在だったことは、『モンスター・ドライヴイン』なんて作品からもうかがえる。
やっぱりこれは、ランズデール版『少年時代』なのだろうか。『ボトムズ』も同じ回想形式だったけど、あちらの語り手はランズデールよりも上の世代だ。
■読み終えて
実際、「またボトムズか」と感じさせるところはあった。ただしこの作品のほうが、主人公と周囲の人々との関わりあいや、さまざまなできごとを通じての少年の成長といったものが、より鮮明に描かれている。
この間までサンタクロースの存在を信じていた少年が、欲望や妄執に憑かれた人間の醜さを目の当たりにする。そんな凄惨な物語でありながら寒々しさを感じさせないのは、主人公を取り巻く人々のおかげだろう。欠点はあるけれども主人公にとっては大切な家族、あるいは家族も同然の黒人の家政婦といった面々だ。
ひときわ印象深いのが、アル中の黒人映写技師バスター。主人公にとって、友人であると同時に、人生の師のような存在でもある。「師」でありながら、自分をまともにコントロールできない飲んだくれのろくでなしであるというあたり、ランズデール作品ならではの登場人物である。
ランズデール作品の多くは、剥き出しの暴力や悪意に彩られた、荒々しい物語だ。時に悲痛な結末を迎えることもある。でも、その読後感は決して陰惨ではない。それは、ランズデールの真摯な姿勢によるものだ。時に残酷なこともある世の中というものをあるがままに受け止めて、正面から対峙する姿勢。本書での、少年を支える大人たちも、そんな真摯な姿勢の持ち主だ。
ランズデールの作品が手放しのハッピーエンドでしめくくられることはあまりない。にもかかわらず、どこかポジティヴなものを感じさせるのは、そういう力強さによるものだろう。