太陽の塔


ISBN:410464501X 森見登美彦 / 新潮社

我々の日常の九〇パーセントは、頭の中で起こっている。(p.72)

 つまりはそういうことだ。

 日本ファンタジーノベル大賞の受賞作。もっとも、作中に描かれるのは休学中の学生のしょぼい日常だ。
 読み始めた時点での疑問は、「これのどこがファンタジーなんだ?」というもの。その疑問は読み終えても解消されなかった。
 小説として難がある、ということは全くない。晦渋さと軽さを適度にブレンドした文章で、情けない日常をひとつの物語として読ませてしまう腕前は素晴らしい。巧みに織り込まれたユーモアも、適度に自然で適度にわざとらしく、この本を楽しく読み進める原動力になっている。しめくくりの、押しつけがましくないセンチメンタリズムも悪くない。

 妄想に満ちた主人公の語りは、日常を非日常的な何かにつくりかえている。だから、ダメな若者のダメな日常を綴っているだけなのに、楽しく読める物語になっている。舞台になった京都のことを私はほとんど知らないのだが、少なくとも語り手が暮らす空間としての京都は、彼の視点を通じて独特の雰囲気を醸し出している。

 でも「ファンタジー」じゃないだろ、これは。

 語り手の視点が(というよりも語り口が)ユニークなのは確かだ。
 だが、現実を組み替える視点から語られる物語と、組み替えられた現実を語る物語っとは別物だ。「ファンタジー」という名前は、後者を前者とは異なるものとして区分している。
 そもそも、現実を組み替える視点から語られる物語は珍しくない。たとえばレイモンド・チャンドラーは、自らを高潔な騎士だと信じている、卑しい街に暮らす私立探偵の物語を残した。フィリップ・マーロウの感傷に満ちた視点はファンタジー的と言えなくもないが、ファンタジーとは呼ばれない。

 なにか面白い小説を読みたい──そういう人には安心してお薦めできる小説だ。しかし、面白いファンタジーを探している人に、この本の名前を挙げることは決してないだろう。

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