本棚に収まらない本は箱に詰めて倉庫に預けている。
そんなわけで蔵書リストみたいなものを作って、必要なときはそいつを検索している。
で、つい最近「ル・カレ」を検索したところ、なんか見覚えのない書名が出てきた。創元推理文庫? なぜ?
よく見たら、ノエル・カレフでした。
本棚に収まらない本は箱に詰めて倉庫に預けている。
そんなわけで蔵書リストみたいなものを作って、必要なときはそいつを検索している。
で、つい最近「ル・カレ」を検索したところ、なんか見覚えのない書名が出てきた。創元推理文庫? なぜ?
よく見たら、ノエル・カレフでした。
「肩が凝ってるよ」
え? あ、そうなのか。これが肩凝りというものなのか!
実はこれまでの人生で、「肩が凝る」という感覚を経験したことがなかったのだ。なので、「背中の痛みと頭痛」として認識していたようだ。
そう認識したとたん、背中の痛みなどは引いてしまって、身体のなかの違和感が急に肩の付近に集中したような気分に。人間の身体は不思議なものである。
しかしここ数日、とくにがんばって働いたような記憶もないのだが。なぜだろう。単なる運動不足かな。
英国海洋冒険小説のシリーズ第1作。本棚の整理ついでに読む。
時は1891年。西アフリカのベニン湾に、ロシアが要塞を築いて、英国の交易を妨げているとの情報が入った。海軍大尉ハーフハイドは、現地に潜入するという極秘任務を命じられた。ベニンでハーフハイドを待ち受けていたのは、ロシア海軍の戦隊。それを率いるのは、かつて彼を捕虜にしたロシア海軍の提督・ゴルジンスキーだった……。
英国産の海洋冒険ものといえば、主な舞台はナポレオン時代か第二次大戦。つまり、今まさに戦争中、という時代だ。
ところが、このシリーズの舞台は19世紀。ボーア戦争やアフガニスタン戦争といった植民地での武力衝突は起きていたものの、いわゆる列強同士の正面からの戦争はクリミア戦争以降起きていない(もっとも、主人公がロシアの捕虜になっていたことからわかるように、小規模な衝突は起きていたようだ。)。
もちろん、平和な時代とも言い難い。列強諸国の勢力拡大をめぐる熾烈な争いが繰り広げられていた時代なのだ。正面きっての衝突を避けながら、自国の勢力を伸ばすために謀略をめぐらす。そんな状況の中、本書でハーフハイドが命じられる任務も、「戦え」というものではない──むしろ「戦うな」という性質のものだ。
そんなわけで物語はスパイ小説風味。主人公はひねくれ者で世渡り下手だが、ここぞというときには悪知恵が働く。
帝国主義の時代を舞台にした、スパイ風味の冒険小説として楽しめる。長さもお手頃。
不吉な伝説に彩られた洋館・蝙蝠館。館の主、ホーエンハイム教授に招かれた学生たちが集まった夜、惨劇の幕が上がる……。
というわけで、吹雪に閉ざされた洋館での連続殺人、である。
2008年の新刊で、ここまで「いかにも」な状況設定。これで正攻法の謎解きが繰り広げられたりしたら、かえって失望する。いかに無茶な方向に持っていくか。どんな反則をしてくれるのか、と期待してしまう。
で、そういう期待には応えてくれる作品である。あまりに無茶なのでちょっと嬉しくなってしまった。
著者の考えは、登場人物たちの探偵小説談議からもうかがえる。
人間の手によって産み出された探偵小説も、ひとつの芸術的有機体としての生命を持つならば、謎から解決へと直線的に進むのではなく、さっきも言ったように、謎また謎へと円環しなければならない。
推理小説って、大抵合理的な解決がついちゃうでしょ? あれがどうもダメ。合理、合理で押し切られるから、なんだか後に残らないっていうか
そのせいか、この物語も微妙にひっかかる点を残したまま終わってしまう(私が何か見落としているのでなければ)。
ただ、単に解決せずに宙吊りにするのは「謎また謎へと円環」とは違うので、そのあたりがやや不満。
『ブレイクスルー・トライアル』の作者の第二作。
副題は「日常業務の謎」。いわゆる「日常の謎」だったら犯罪が絡むことはほとんどないけれど、「日常業務」となると話は別だ。コンプライアンスがどうのこうのとるさい昨今、対応を誤ると会社の命取りになりかねないケースもある。
大学卒業後も定職につかない東一俊は、父が役員を務める大企業に就職するはめに。入社早々に出向を命じられて向かったのは、社長と経理部長の二人しかいない小さな関連会社。業務のほとんどは、親会社から持ち込まれるトラブル解決だった。ただし、その中には、法令遵守の観点からは危険な依頼も……。
第一話の「漏曳?」では、厳重に守られたサーバから、200人の個人情報が流出した理由を探る。ネットワーク経由で流出した様子もなく、CD-RやUSBメモリのような媒体が用いられた形跡もない。ではどうやって……? という謎を解くのだ。
探偵役を務めるのは社長の染屋。東はいわばワトソン役だが、その手のキャラクターにありがちなボンクラではなく、結構有能な人物である。この二人が、謎を解く以外にもさまざま方法で問題を解決する。時には不法侵入もやらかすし、「スティング」ばりの騙しを仕掛けたり……。主な業務はあくまでもトラブル解決。だから謎を解くだけでなく、その後の処理方法も提示しなくてはならない。そうした「落としどころ」の作り方も重要なポイント。
そうそう、連作短編形式のミステリならばぜひ欲しい趣向も、しっかり仕掛けられている。
ちなみに染屋は鷄ばかり食べている男として描かれているが、焼き鳥をどのように食べるのかが気になるところである。
一回一回はそんなに重症ではないのだが、軽微な風邪にじわじわと体力を削られるような気分で、心身ともに沈滞気味。周囲にもいろいろと迷惑をかけてしまった。
徐々に調子が戻ってきたところですが、皆様も健康にはご注意ください。
『十三番目の陪審員』で、日本に陪審制が導入されたら……というシチュエーションを描いてみせた作者が、間もなく実際に開始される制度を題材にした法廷ミステリ。
第一部は、被告にとって極めて不利な状況を、弁護士が鮮やかに逆転してみせる、芦辺版ペリイ・メイスンみたいな一編。続く第二部はまた別の事件。あの弁護士はいったい何を立証しようとしたのだろう? と、微妙にすっきりしない状況で評議を進めることになった裁判員たちの様子が描かれる、芦辺版「十二人の怒れる男」。
ここまでは、小粒ながらよくできた法廷ミステリ、の枠にとどまっている。
卒倒しそうになったのは第三部の大仕掛け。一見地味なこの本に、こんな大技が仕掛けられていようとは! 読後にプロローグを読み返してみると、この時点からすでに仕込みが始まっていることに気づかされる。第三部が芦辺版の何なのかは、書かない方がいいだろう。
裁判員制度について知りたいという読者には、その欲求を満たしつつも得体の知れない不意打ちを仕掛け、よくできたミステリを期待する読者をも十分に満足させる一冊だ。なお、プロローグで作者も述べているように、本書は必ず第一部から順番に読むこと。
以下は余談。
第三部にこんな人が登場する。
もともとは、彼自身物書きで、ブームのジャンルに二番煎じ三番煎じの原稿をぶつけて荒稼ぎし、あとには草も生えないという凄腕で知られていた。愛弟子という名の、その実ピンハネ対象でしかないライター集団を引き連れて、下世話な言い方をすれば業界を“ブイブイ言わせて”いた時期もある。
まさかこの中にモデルがいたりはしないよね。
クーンツは二種類の小説を書いている。犬が活躍しない小説と、犬が活躍する小説だ。
両者の主な違いは──後者のほうが感情を揺さぶる度合いが大きい。
犬を登場させるときのクーンツには何かが憑いている。通常ならば「いやあ面白かった」と満足して本を閉じておしまいなのだが(これを常に維持しているところがクーンツの凄みでもあるのだが)、犬が登場する作品では涙腺が緩んでいることも珍しくない。かの『ウォッチャーズ』もそうだし、『ドラゴン・ティアーズ』の犬視点も忘れられない。
「どんな苦境にあっても生き延びろ」「最後には正義が勝利を収める」がクーンツ作品の二本柱だが、実はもう一本の柱があるのだ。
「犬は素晴らしい生き物である」
で、本書は犬が出るクーンツ作品である。いうまでもないが、本書の犬もまた素晴らしい存在である。クーンツ作品の中でも、犬にここまで大きな価値を持たせた例は他にないだろう。