-
最近の投稿
最近のコメント
アーカイブ
カテゴリー
メタ情報
2003-05-29
■会社仕事に追われる日々。
本もろくに読めやしねえ。
読まねばならないものは……
読了:
- 『半身』サラ・ウォーターズ / 創元推理文庫
- 『東京サッカーパンチ』アイザック・アダムスン / 扶桑社ミステリー
まだ:
- 『異形の花嫁』ブリジット・オベール / ハヤカワ・ミステリ文庫
- 『地獄じゃどいつも煙草を喫う』ジョン・リドリー / 角川文庫
- 『反米同盟』ブライアン・ヘイグ / 新潮文庫
- 『終止符』ホーカン・ネッセル / 講談社文庫
- 『猫は殺人を見ていた』D.B.オルセン / ポケミス
2003-05-20
■アダルトサイトの料金回収
を名乗るメールが届く
それにしても、こういうのが届くのは世間で騒ぎ出して数ヶ月してからのことが多い。
払っちゃう人って意外と多いのかな。身に覚えがある、とかで。
でも、ああいうところは料金前払いとかクレジットカード使わせるとかするんじゃないかと思うのだが。
ダークライン
ジョー・R・ランズデール / 匝瑳玲子訳 / 早川書房
ランズデールの、できたてほやほやの新作。アメリカでも1月に刊行されたばかりだというのに、邦訳は3月刊。訳者の方はさぞ大変だったのではないだろうか。
13歳の少年の夏休みを描いた物語だ。家の裏で見つけた、古い手紙と日記の束。そこから13年前に起きた殺人事件のことを知った彼は、その真相を突き止めようとする。
■第一印象
語り手が少年時代を回想するという形式は、『ボトムズ』と同じ。そんなわけで、おいおいまた『ボトムズ』ですか、というのが第一印象。ただし、1930年代という時代を背景にした『ボトムズ』に比べると、1958年のできごとを語る本書のほうが、ランズデール自身の少年時代により近いだろう。
冒頭、主人公の父親がある街のドライヴイン・シアターを買い取り、一家がその街に引っ越してくることになる。ドライヴイン・シアターというものが若き日のランズデールにとって大きな存在だったことは、『モンスター・ドライヴイン』なんて作品からもうかがえる。
やっぱりこれは、ランズデール版『少年時代』なのだろうか。『ボトムズ』も同じ回想形式だったけど、あちらの語り手はランズデールよりも上の世代だ。
■読み終えて
実際、「またボトムズか」と感じさせるところはあった。ただしこの作品のほうが、主人公と周囲の人々との関わりあいや、さまざまなできごとを通じての少年の成長といったものが、より鮮明に描かれている。
この間までサンタクロースの存在を信じていた少年が、欲望や妄執に憑かれた人間の醜さを目の当たりにする。そんな凄惨な物語でありながら寒々しさを感じさせないのは、主人公を取り巻く人々のおかげだろう。欠点はあるけれども主人公にとっては大切な家族、あるいは家族も同然の黒人の家政婦といった面々だ。
ひときわ印象深いのが、アル中の黒人映写技師バスター。主人公にとって、友人であると同時に、人生の師のような存在でもある。「師」でありながら、自分をまともにコントロールできない飲んだくれのろくでなしであるというあたり、ランズデール作品ならではの登場人物である。
ランズデール作品の多くは、剥き出しの暴力や悪意に彩られた、荒々しい物語だ。時に悲痛な結末を迎えることもある。でも、その読後感は決して陰惨ではない。それは、ランズデールの真摯な姿勢によるものだ。時に残酷なこともある世の中というものをあるがままに受け止めて、正面から対峙する姿勢。本書での、少年を支える大人たちも、そんな真摯な姿勢の持ち主だ。
ランズデールの作品が手放しのハッピーエンドでしめくくられることはあまりない。にもかかわらず、どこかポジティヴなものを感じさせるのは、そういう力強さによるものだろう。
四日間の奇蹟
浅倉卓弥/ 宝島社
第1回「このミステリーがすごい!」大賞で、金賞を受賞した作品。はじめて読んでから、そろそろ一年近く経つ。たまたまこの賞の一次選考委員を務めていたため、応募原稿のうちの一本として読むことになったのだ。
作品自体については、一次選考での選評でだいたい書いたので、ここでは書き残したことを挙げておこう。
■第一印象
上手いんだけど、でも……というものだった。
読み始めてすぐに、文章力、構成などが応募原稿の中で群を抜いていることは分かった。だが、悪い予感を拭い去ることはできなかった。
悪い予感はどこからきたのか? それは登場人物の設定と、タイトルだ。この作品で重要な役割を果たす少女は、知能に障害を負っている。その一方で、天才的なピアノの腕前の持ち主である。いわゆるイディオ・サヴァンというヤツだ。さらに題名の『奇蹟』の文字から、当時話題になっていたある番組を連想してしまった。
応募原稿としてこの作品を読んだのは去年(2002年)の今ごろ。ちょうどそのころ世間では、NHKスペシャル『奇跡の詩人』がけっこう話題になっていた。脳に障害を持ち、体を動かすこともままならない少年が、母親の力を借りながら文字盤を指すことで、人と意思を通じている。そして、年齢の割にはかなり大人びた詩を作っていて、それが人々を感動させている……という内容だ。
放送直後から「あれは母親が少年の手を動かしてるんじゃないか。少年の言葉じゃなくて、母親の言葉じゃないのか」と騒がれた(その一方で、本気で感動しちゃった人たちもいたようだが……)。ことの真偽はともかく、そんなふうに突っ込んでみたくなるような「安手の感動垂れ流し」番組であった、とは言えるだろう。
善意に満ちた登場人物。障害を背負いながらも、優れた能力を持つ少女。なんとなく、『奇跡の詩人』を連想せずに入られなかった(『奇跡の詩人』の少年と本書の少女とでは、障害の性質がまったく異なるのだが)。上手く書けてるのに、安直な「癒し」話だったらどうしよう……そんな危惧を抱きながら、そのわりにはけっこう楽しみながら、読み進んでいった。
■読み終えてみたら
杞憂だった。
物語はある種のハッピーエンドを迎えるが、埋め合わせられることのない喪失という苦味を伴っている。思えばこれは、埋められることのない喪失の物語でもあったのだ。語り手はピアニストとしての未来を失い、少女は両親を失い、そして二人が訪れた療養所の人々もまた、それぞれに失ったものがある。ラストにはもうひとつ大きな喪失が描かれている。
だが、決して陰鬱な物語ではない。喪失というネガティヴな事象に遭遇しながら、目をそらして何かに逃げることなく、それを乗り越えてゆこうとする人々を描いている。作中の「奇蹟」は、単純に救いをもたらすようなものではない。人々に、自己の喪失感と向き合う契機を与えるような性質のものだ。
登場人物たちの喪失感と向き合う真摯な姿勢が、物語に前向きな力強さをもたらしている。安直な「救い」に頼ることのない、本当の意味でポジティヴな物語といえるだろう。
■ちなみに
本書や、あるいは映画「レインマン」なんかもそうだが、イディオ・サヴァンといえば「感動」のきっかけとして扱われることが多い。そんな中で、ドライなアプローチに徹した中井拓志『アリス』はなかなか面白い作品だった。
ここで引き合いに出した『奇跡の詩人』だが、故・ナンシー関のホームページ(http://www.bonken.co.jp/)の生前最後の更新が、この番組のことを取り上げた文章だった。改めて読んでみたが、惜しい人を亡くしたものである。
2003-05-10
■三ヶ月ほど放置していたわけですが
本業の忙しさに加え、ここ一ヶ月は某賞下読みでほとんど身動きが取れなくなっておりました。
とりあえず「死んじゃった」とか「電磁波の研究を始めた」とかそういうことはありませんのでご心配なく。
2003-02-21
■高速執筆勝負
12時間で執筆から配本まで 独で出版新記録に挑戦へ
http://www.cnn.co.jp/fringe/K2003021900081.html
気分は『決戦! プローズ・ボウル』。