最終章

ISBN:4150017158スティーヴン・グリーンリーフ / ハヤカワ・ポケットミステリ

 このサイトの更新頻度からも分かるように、ひとつのことをこつこつと続けるのが苦手だ。だから、シリーズものを通して読みつづけることもめったにない。
 グリーンリーフ描く私立探偵タナーの物語は、その数少ない例外だ。

 どうしてだろう?

 プロット作りが優れているから? たしかにグリーンリーフの話作りはうまい。でもそれだけじゃない。
 このシリーズを飽きることなく読み続けられたのは、グリーンリーフがグリーンリーフであり続けたから--枯葉にならなかったからだ。

 第一作「致命傷」は、ロス・マクドナルドが作り上げた私立探偵小説のフォーマットに忠実な小説だった。このころからプロットは精緻だったが、あまりにも基本に忠実である、というところがかえって作品の印象を弱めていた。

 それはグリーンリーフ自身も気づいていたのだろう。彼の私立探偵小説というジャンルへの認識は、やがて「探偵の帰郷」からのいくつかの作品で、私立探偵小説への自己言及のような形で実現される。そして、作品のプロットも「ジャンルのお約束」に縛られないものになってゆく。

 シリーズで最も有名なのは「匿名原稿」だが、これなんかは私立探偵小説以外のジャンルのお約束にもとづいて書かれた私立探偵小説と言ってもいいだろう。以降の作品も、ジャンルの定型から踏み出しながら、しかし私立探偵小説としか呼びようのないものになっている。

 最終章なんて題名につられて、ついついシリーズをまとめてしまうようなことばかり書いたけど、もちろんこれはグリーンリーフの最終章なんかじゃないはずだ。

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死ぬほどいい女

ISBN:4594034667 ジム・トンプスン / 扶桑社

 トンプスンの小説を読むのは不快な経験だ。

 犯罪小説ではあるが、そこに描かれる犯罪計画は行き当たりばったりだし、たいした事件がおきるわけでもない。そもそも事件のスケールがしょぼい。登場人物の語り口は、読むものをむやみに不安にさせる。

 主人公のディロンは訪問販売のセールスマン。強欲な老婆が住む家に立ち寄った彼は、そこで彼女の姪のモナに出会う。老婆に売春まがいの行為を強いられていた彼女に惹かれるディロンは、やがてある計画を思いつく……。

 と、あらすじを紹介しても意味がない。表層での事件の動きよりも大事なのは、主人公が事件にどのように対峙したか──いや、どのように対峙を拒んだか。

 トンプスンの主人公たちは、世界のなかに自分を都合よく位置づけて解釈している。だから彼らは、おれは○○なやつなんだ、と繰り返す。妻を殴り売上金をごまかすディロンも、おれは不運なだけの正直で紳士的な男だと訴える。

 彼らは現実を認識できないのではない。認識しながらそれを拒み、都合のよい妄想にすりかえているのだ。「こうあってほしい」自分と現実の自分。そのふたつの意識の落差から、主人公の語りと語られる事件との間には不協和音が生まれる。ページが進むにつれて落差は広がり、違和感は膨れあがる。

 膨れあがった違和感は、終盤にいたって物語を破綻させる。ディロンが作り上げたふたつの意識の落差から、どす黒いものが目に見える形で噴出する。「行間を読む」という言葉があるが、ここでは行間を読むまでもない。それは目に見える形でそこにある。「清く正しいおれさま」というファンタジーが破れた穴の向こうには、シュールな地獄絵図が広がっている。

 ふたつの認識の乖離を「狂気」と言ってしまうのはたやすい。だが、それは狂気なのか? 確かに小説の中では誇張されているが、それは多かれ少なかれ「おれたちみんな」の心に巣食っているのではないか? トンプスンは否応なしにそのことを読者に突きつけてしまう。

 トンプスンの小説を読むのは不快な経験だ。
 だから、トンプスンを読むのはやめられない。

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テキサス・ナイトランナーズ

ISBN:4167527979ジョー・R・ランズデール/文春文庫

 黒い表紙。カタカナだけの題字。舌をだらりと垂らした犬の写真。狂犬のイメージが意識をよぎる。凶々しさを和らげているのは、皮肉なことに、この本のヤバさを煽りたてる帯の文句だ。馳星周の熱狂的な言葉の上には「パルプ・ノワール」の文字が踊る。

 「ノワール」というとらえどころのない、しかし一部の人々の心を惹きつけることは間違いないラベル。もっとも、少し違うラベルも似合うかもしれない。「スプラッタパンク」。悪趣味なまでに血と暴力衝動をまき散らすホラーを指して、その作者たちが与えた名前だ。この小説も、その一群に属している。

 もっとも、ラベルなんてどうでもいい。ランズデールの作品に、作者の名前以外のラベルは必要ない。

 ストーリーはいたって単純だ。大学教授とその妻がいる。妻は自分をレイプした不良少年たちを警察に通報した。少年のひとりは留置場で自殺した。生き残った少年は、復讐と称して夫婦を狙う。それだけだ。

 人間の暴力衝動が物語の中核に据えられている。一方の主人公である大学教授は非暴力主義を貫こうとする。幼いころの回想場面では、彼の周囲にあった暴力──虫けらを面白半分に殺す子供たち、あるいは彼とその弟をいじめる少年などが描かれる。彼はその中でも非暴力を貫き、兵役を拒否した過去を持つ。

 そしてもちろん、もう一方の主人公である少年たちがいる。他者を「もの」のように扱い、平然と凄惨な暴力を加えることのできる存在。そのひとりは、ある超自然の存在(これ、ランズデールのお気に入りのようで、他の短編にも顔を出している)に憑かれて暴力衝動をほとばしらせる。もっとも、邪悪な超自然現象は物語の脇役でしかない。少年たちの暴力礼賛こそが、この物語のもうひとりの主役だ。

 対立軸は明確だ──リベラリズムと暴力崇拝。インテリと不良少年。非暴力主義を貫いてきた男が、暴力に憑かれた少年たちにどのように対峙するのか。両者が対決するクライマックス目指して、物語はひたすらに走りつづける。

 ところで、非暴力主義の夫、不良たちの性犯罪の被害者となる妻という人物配置に、ランズデールとは別のジョーが書いた小説のことを思い出した。ジョー・ゴアズの「野獣の血」。こちらの主人公も大学教授。不良たちにレイプされた妻が自殺し、彼はその復讐に立ち上がるのだ。この小説がクローズアップしているのは、やはり人間の内なる暴力衝動だ。読み比べてみるのもいいかもしれない。

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パイド・パイパー

ISBN:448861602X ネビル・シュート/創元推理文庫

 第二次大戦がはじまって間もない1940年。スイスの保養地を訪れていた老弁護士は、戦局が緊迫するなか、イギリスへの帰途につく。戦火が広がるフランスを、老人はひたすら故国を目指して旅をする。スイスで知り合った、イギリス人の子供二人を連れて……。

 ネビル・シュートといえば「渚にて」だけが有名だが、実のところこの人は冒険小説家として評価が高いのだそうだ。本書を読めば、その評価にもうなずける。決して派手な物語ではない。老いた主人公が、子供たちを引き連れて、戦火の中イギリスを目指す、ただそれだけの物語だ。

 が、これがけっこうスリリングなのである。連れている子供たちは境遇をよく理解しないまま、ドイツ兵がいる町で英語をしゃべってしまうこともある。しかも主人公は老人。温和な人柄と人々の善意だけを頼りに、ドイツ軍に立ち向かう。一晩宿に泊まるだけでも、そこには強い緊張感がある。

 題名の「パイド・パイパー」には、老人についてゆく子供たちがだんだん増えてゆく物語の展開に加え、ハシバミの枝を削って笛を作るという老人の特技を象徴しているが、この特技が泣かせる。「若い読者が本書をどう読むかはわからないが」なんて解説には書いてあるけれど、老人が戦災孤児に笛を作るくだりといい、笛作りからふと我が子のことを思い出すくだりといい、身につまされることはなくとも、その叙述は淡々としているだけに胸にしみる。

 本書の敵役はもちろんドイツ軍。だが、その描き方は(トム・クランシーがアラブ人を描くような)単純な「悪役」としてのものではない。例えば、老人が遭遇するゲシュタポの士官の姿を見るがいい。一行の行く手を阻む敵ではあるが、あくまでも「ドイツ人としての立場」を背負ったひとりの人間として描かれているのだ。

 ちなみに本書が書かれたのは1942年。ドイツ軍は交戦中の敵なのだ。戦意を高揚させる言説が幅をきかせていたであろう時期に、敵をこのような血の通った存在として描いてみせたシュートは、実に懐の深い作家だ。

2008/01/03追記

その後、冒険小説で読む第二次世界大戦のために再読した。ついでにいろいろ調べている途中で知ったのだが、このひと、英国史上有数の珍兵器パンジャンドラム(→Wikipedia)の開発にも関与していたらしい。懐が深いにもほどがある。

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ヴィドック

ISBN:4042896014ジャン=クリストフ・グランジェ/角川文庫

クリムゾン・リバー』の作者が手がけた映画脚本を、(たぶん日本で独自に)小説に書き直したもの。主人公のヴィドックは19世紀フランスに実在した人物で、犯罪者上がりの探偵。作中では、すでに警察を退いて私立探偵を営んでいる。これが、連続殺人事件を追ううちに、逆に犯人によって苦境に追い込まれるのがプロローグ。

『クリムゾン・リバー』の作者だけに、つい ミステリを期待してしまいがちだが、これはむしろダーク・ファンタジー。ヴィドックの超人的な名探偵ぶりは、乱歩の少年探偵団での明智小五郎を思わせるし、犯人の正体や動機も『クリムゾン・リバー』には及ばないものの、その根底には奇想が存在している。

ただ、ストーリーそのものはかなり薄味。もっとも、これは脚本を小説にした日本人の手腕の問題かもしれない。

時代を19世紀中ごろに据えているのは、もっぱら「雰囲気づくり」のため。史実に忠実というわけではないし、作中での七月革命の扱いもかなり唐突である。

映画のほうは、もっと面白いかもしれない。

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ボトムズ

ISBN:415208376Xジョー・R・ランズデール/早川書房

 スティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』、ロバート・R・マキャモンの『少年時代』のような、語り手が少年時代に遭遇した事件を回想するという形式の物語。もっとも、その図式は『スタンド・バイ・ミー』や『少年時代』のそれとは大きく異なる。

 特に、作者と語り手の重なり合う部分が比較的少ないのは、比較されるであろう類書との大きな違いである。ほかの本だと、作者が回想という行為に我を忘れているところがあるのだが(で、それが長所だったりするのだが)、ランズデールは追憶の世界に生きる老いた語り手の様子をも描いてしまう。

 マキャモンに特に顕著な、ノスタルジーの全面肯定に伴う気恥ずかしさ。そのベタベタな甘さこそが『少年時代』なんかの良さなわけだが、『ボトムズ』の良さは、ノスタルジーとの距離のとり方にあるのではないか。老いた語り手を描く無慈悲な筆致は、誠実さの現われでもある。

 甘さの排除という点は、作中に描かれる怪異にも現れている。怪物ゴート・マンの扱いは、例えば『少年時代』の川の怪物オールド・モーゼスのそれとは大きく異なる。ゴート・マンは、あくまでも「人間たちの領域の外側」の森に棲む怪物であり、恐怖の対象である。オールド・モーゼスのような、「共同体の風変わりな一員」にはなりえない存在だ。「自分たちが支配していない領域に抱く恐怖」というのは、未知の大陸への進入によって成立したアメリカの、ひとつの原風景かもしれない。

 メインの連続殺人事件も、1930年代のアメリカ南部という背景に包むことによって独特の色を帯びている。……ただし、事件そのものはあまりにオーソドックスなので、ミステリとしては添え物にあたる部分──治安官レッドの運命や、ゴートマンをめぐる物語のほうがむしろ印象に残る。

 なにやら賞を受賞したせいか、ランズデールの代表作みたいに言われることもあるけれど、個人的には「テキサス・ナイトランナーズ」や「バットマン/サンダーバードの恐怖」みたいな暴虐路線も好みである。

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クリスタル

(解説)家族のため、愛するもののため

 バークは現代社会という名の泥沼でもがいている。
 シリーズの第一期、『フラッド』から『サクリファイス』にいたる六作では、児童虐待者に対するバークの処方箋は明快そのものだった--暴力による抹殺。
 しかし『サクリファイス』のクライマックスで、その処方箋はバークの人格を崩壊に導く最悪の結果を招く。
 バークの(あるいはヴァクスの)模索がここから始まった。燃え尽きたバークの復活を描く『ゼロの誘い』では、暴力に頼らない解決がとられた。かと思えば、続く『鷹の羽音』では、身を守るためではあるが再び暴力を用いた。
 そして『嘘の裏側』では、敵の姿すらはっきりしない社会の泥沼だけが示された。バークはまったく銃を使わない--そもそも撃つべき明確な敵が存在しない。フィクションであることを捨ててまで現実を強調したこの作品で示された認識は、おそらくヴァクスの現状認識そのものなのだろう。
 続く『セーフハウス』では、児童虐待とは異なる(とはいえ、弱者を抑圧する存在であることは同じ)悪との戦いが描かれる。女たちをつけ狙うストーカーに、狂信的なネオ・ナチ組織。前作とは正反対の、派手なアクションとカタルシスに富んだ物語だ。この作品で、バークは再び銃を手にする。

 『ゼロの誘い』からのバークは、絶えず暴力と非暴力の間を揺れ動いている。本書『クリスタル』も、その延長にある作品だ。

 まずは、このシリーズの主な登場人物について整理しておこう。
 バーク。恐怖ゆえの用心深さによって生き残りの達人となった。詐欺をはじめ、表に出せないさまざまな仕事で生計を立てている。児童虐待事件の調査に異様な情熱を燃やす。
 母親は娼婦。父親は不明。州の施設で育ち、何組もの里親のもとをたらい回しにされ、家族の団欒とは縁のない世界で成長した。
 だが、バークにも家族(ファミリー)がいる。血はつながっていないものの、自らの意思で結びついたファミリーが。
 父--プロフ。黒人の浮浪者。予言者(プロフェット)であり、教授(プロフェッサー)でもある。刑務所でバークと知り合い、この過酷な世界で生き延びるための知恵を彼に授けた。
 母--ママ・ウォン。怪しげな中華料理店を経営する中国人。彼女がふるまう酸辣湯をバークたちが味わう場面は、シリーズの読者にはおなじみの光景だろう。
 兄弟--マックス。チベット系(作品によってはモンゴル系とされる)の武術の達人で、心強い助っ人。耳が聞こえず、言葉も話せないが、身振り手振りだけで充分に意思を通わせている。『赤毛のストレーガ』で出会ったイマキュラータとの間に、フラワーという娘がいる。
 妹--ミシェル。男の体に女の心を持って生まれてきた元男娼。長年、性転換手術を受ける直前で踏みとどまっていたが、『嘘の裏側』でついに手術を受けた。
 ミシェルには息子がいる。『赤毛のストレーガ』で、バークたちが幼児売春の元締めから救出したテリイだ。さまざまな知識を身につけ、本書でも成長した姿で登場する。
 父親としてテリイを教育するのが、天才的な科学者にして技術者のモグラである。ガラクタ置場に住む無口なユダヤ人で、ナチ狩りには強い情熱を見せる。
 『サクリファイス』で登場したクラレンスは、プロフの新たな息子としてファミリーに加わる。西インド諸島出身の若きガンマンだ。
 もう一人(?)重要なメンバーがいる。子犬の頃からバークに育てられた雌のナポリタン・マスチフ、パンジイだ。旺盛な食欲と巨体と獰猛さの持ち主である。
 このファミリーからは、血縁という要素がほぼ排除されている。マックスとイマキュラータの娘フラワーは貴重な例外だ。特に、ミシェルとバークは生殖能力を失っているため、血のつながった子供を得る機会は閉ざされている(念の入ったことに、犬のパンジイも交尾に興味を示さない)。だが、彼らが血縁の欠落に引け目を感じることはない。家族であるために、血など特に意味はないと考えているのだ。

 そして、バークと関わりを持つ女たちがいる。シリーズ第一作『フラッド』から第五作『ブロッサム』までは、常にヒロインの名前が題名になっていた。
 フラッド。日本で修行を積んだ武術家。親友の娘を殺した幼児虐待者・コブラを追う過程でバークと出会い、深い仲になるものの、コブラを倒した後は日本へと旅立った。バークがしばしば回想する女性である。
 ストレーガ。燃えるような赤毛と、他人を支配するような魔性の持ち主。事件の依頼人としてバークの前に現れた。シリーズにはその後も時々登場し、本書でも重要な役割を担っている。
 ベル。悲しい生い立ちを背負ったストリッパー。一途にバークを愛する(そのひたむきさは、あまりにも男に都合がよすぎやしないかと思えるくらいだ)が、悲劇的な結末が待ち受けていた。
 キャンディ。バークの幼なじみで、売春婦。娘のエルヴァイラを怪しげな新興宗教から連れ戻すようバークに依頼する。
 ブロッサム。ウェイトレスとして働きながら、妹を殺した犯人を追う新米医師。このシリーズのヒロインにしては珍しく、妹の死を除けば悲劇的な過去を背負っていない。
 『サクリファイス』以降は、タイトルからヒロインの名前が消える(本書『クリスタル』も、原題は“Choice of Evil”だ)。ただし、『サクリファイス』は別として、それ以降の作品でヒロインに当たる存在を探すことはさほど難しくない。
 『ゼロの誘い』の、バークを倒錯プレイに引きずりこもうとするSM嬢ファンシイ。
 『鷹の羽音』で、連続レイプ殺人をめぐる厄介な事件にバークを巻き込む女刑事ベリンダ。
 『嘘の裏側』に登場するヘザーは、弁護士カイトのボディーガード。雇い主のカイトに熱烈な敬意を抱いている。
 そして、クリスタル・ベス。『セーフハウス』と本書に登場する。ストーカーから逃れる女たちに隠れ家(セーフハウス)を提供する。ベル以来、久しぶりにファミリーに関わってきた女性でもある。
 こうしたヒロインたちと立場は異なるが、エヴァ・ウルフもまたシリーズで重要な役割を果たす女性だ。『赤毛のストレーガ』で検事補として登場した彼女は、児童虐待者、性犯罪者には容赦をしない。日常的に法を犯すバークとも、利害が一致すれば協力する。その妥協を知らない姿勢が災いして、職を追われた彼女だが、民間で似たような活動を続けている。ただし、裏の社会と手を結ぶことも辞さなくなった彼女は、もはや「こちら側」の住人と言っても過言ではない。バークとは「同志」だが、微妙な距離を保っている。それは、「あなたとわたし、なるようにはならないわね」(『サクリファイス』より)という台詞にも表われている。

 大事な存在と言えばもう一人、シリーズを語る上で欠かせない人物がいる。
 ウェズリイ。バークの幼なじみだが、バークよりはるかに荒涼とした世界に生きる、何者も信じない一匹狼だ。『ハード・キャンディ』の結末で死んだとされている。バークが最も恐れる冷酷な殺し屋だが、単純な悪役ではない。バークの鏡像ともいうべき存在で、ほんの少し歩んだ道が違っていれば、彼もまたウェズリイのようになっていたかもしれないのだ。

 本書『クリスタル』では、このウェズリイの影が物語を覆っている。
 バークは警察の家宅捜索で住み慣れたアジトを失い、あわやパンジイまで失うところだった。そのころ、ゲイの集会が何者かに銃撃され、参加していたクリスタルが死んだ。バークは彼女の復讐のために銃撃犯の正体を追う。一方、この事件をきっかけに、“ホモ・エレクトス”と名乗る殺人者が、ゲイを虐待する者を次々と血祭りに上げ、やがて児童虐待者も標的にする。その殺戮の手口は、死んだはずのウェズリイによく似ていた。そして、ある同性愛者グループの依頼で、バークは“ホモ・エレクトス”に接触を試みる……。
 やっかいなことに、“ホモ・エレクトス”が殺す相手はバークの敵と重なっている。殺戮の手口こそウェズリイの存在を感じさせるが、行動原理はバークを思わせる。決して彼とは無関係な存在ではない。かくしてバークは、最終的には自分自身の暴力をめぐる行動規範も問いなおすことになる。
 後半、バークが“ホモ・エレクトス”と接触してからは、物語はこれまでの作品にもなかったような奇妙な展開を見せる。だが、注意深く読んでいただきたい。“ホモ・エレクトス”と暴力のかかわりについて。彼の「邪悪の選択」について。それは、バークとも縁の深い世界のできごとなのだ。
 “ホモ・エレクトス”が同性愛者を狙う殺人者だったなら、「バーク対殺人者」という単純な図式に貫かれた明快な物語になっていただろう。だが、単なる「悪党狩り」を避け、読者が戸惑うような混沌とした図式を採用することによって、物語に深みがもたらされている。

 また、ファミリーがパンジイ救出に乗り出す場面や、クライマックス直前の会話に見られるように、バークたちの動機として「ファミリーのため」、あるいは「愛するもののため」という意思が前面に押し出され、ファミリーの絆が強調される。今までもそういう要素はあったが、前作『セーフハウス』からは特にその傾向が強くなっている。
 それに伴い、バークがラジオで気が滅入るようなニュースを耳にする描写が目立つようになる。ニュースが報じるのは、『嘘の裏側』に描かれたような「社会正義」が空洞化しつつある現代社会の泥沼だ。バークの周囲でも、ウルフの免職にそれが象徴されている。
 もはや「社会正義」など信じることのできない世界で、それでも拠りどころを求めてやまない彼らがたどりついたのが、ファミリーなのだ。だが、ファミリーという限られた範囲に基づく正義は、一方で危うさもはらんでいる。一線を超えてしまえば、前作のネオ・ナチのように、社会からの果てしない逸脱につながりかねない。今のところ、そうした逸脱を食い止めているのは、彼らが「ファミリー」であること--社会の次の世代を育て、守り、共に生きようとする集団であることにかかっている。

 バークはいわゆるタフガイとはかけ離れた存在だ。絶えず恐怖を感じながら、暴力と非暴力の間を揺れ動く不安定なヒーローだ。
 そして、もはや初期のような同じ物語の反復はありえない。次に何が飛び出すか、予測のつかないシリーズと化している。だから、バークに安住の地は存在しない。本書でのバークはアジトを失い、クリスタルを失った。そして最新作“Dead and Gone”の冒頭では、長年にわたるバークの仲間が命を落とす。
 確固とした信念を抱くヴァクスによる、しかし安定とは程遠いシリーズ。それはときに読む者を戸惑わせるが、混沌とした世界に生きる混沌としたヒーローは独特の輝きを放っている。

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素粒子

ISBN:4480421777ミシェル・ウエルベック / 野崎歓訳 / 筑摩書房

この本の存在を教えてくれたのは、大学の後輩に当たる男。酒の席で、この本を読んだかと聞かれたので、読んでないと答えたところ、これはきっと気に入るはずだと薦められた。

大当たりだった。いやあ、とんでもない小説を読んでしまった。

主人公は奔放な母から生まれた、それぞれ異なる父を持つ二人の男。兄のブリュノは、女漁りが趣味の学校教師。そして弟のミシェルは、やたらと禁欲的な素粒子物理学者。物語は、この二人の半生をつづる形で進行する。さえない中年男の乱れた性生活とか、人付き合いの悪いインテリ野郎の地味な生活なんぞが延々と語られるわけだ。えらくこぢんまりした話だって? そうかもしれない。こんなふうに紹介すれば、ずいぶんおとなしい小説にしか見えないだろう。

でも、これが面白いんだな。性と俗、じゃなかった聖と俗の混交とでも言うのだろうか。若いねーちゃんのあんなところが見えちゃったよへっへっへ、という中年おやぢの淫靡なヨロコビと、二十世紀ヨーロッパ文明がたどり着いてしまったひとつの行き詰まりとが、まったく等価に扱われる。というか、この二つはつまるところ同じものかもしれない。

えー、あとは読んでのお楽しみ。結びの一行の壮大さはもうSF。

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夏の滴

ISBN:4048733095 桐生祐狩 / 角川書店(→角川ホラー文庫

幕開けは、子供たちの夏休みのひとこま。東京に引っ越した仲間を訪ねて、子供だけで急行列車に乗ろうとする場面だ。

……そんな冒頭のシーンからは想像できないくらいにヒドい話である。確実に「バトル・ロワイアル」よりも不健全かつ鬼畜きわまりない話であり、よく選考委員が賞を与えたものだと思う。というか、モラルを説いた人が賞を与えるべき作品ではない。

といっても、特殊なモラルを提示しているわけではない。なにしろ、世の中ではこの話に近いできごとも実際に起きている。むしろ、「それを言っちゃオシマイだろう」ということを堂々と言ってしまった作品である。特に、身障者や差別をめぐる部分はその色合いが濃い。

ふと連想したのはロス・マクドナルド。といっても内容が似ているわけではなく、『さむけ』あたりに描かれる人間関係が少し本書の人間関係にダブって見えた程度。

ちなみに、ネタからはラリイ・ニーヴンとかハリイ・ハリスンのSFを思い出してしまった。というか、最近ならば超自然要素を含まない作品としても書けなくはない領域である。

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氷の収穫

スコット・フィリップス / ハヤカワ・ミステリ文庫

 題名はダシール・ハメットの『赤い収穫』を連想させる。たしかに、舞台となる街の閉塞感などは、通じる部分がないでもない。が、「赤」と「氷」じゃずいぶんイメージが違う。

 時はクリスマス・イヴ。後ろ暗い方法で人生の賭けに打って出ようとたくらむ弁護士のチャーリイは、町を後にする前に、なじみの店や付き合いのある人々のところを訪ねて歩く。……そんなふうに始まる前半は、たしかに怪しげな描写はあるものの、どこがミステリなんだろうか、と思ってしまうような展開を見せる。

 しかし、この小汚いうらぶれたクリスマスストーリーは、中盤からにわかに別の顔をのぞかせる。奪い取った大金をめぐって、男女の欲望と相互不信が渦を巻く。……と、あとは典型的なノワールの展開。

 ノワールの典型をいまさら見せられてもなあ、と思う部分もそれなりにあり、個人的には前半のほうが楽しめた。……ミステリとして、あるいはノワールとしての楽しさとは別物だけれど。

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