定吉七は丁稚の番号

定吉七は丁稚の番号 / 東郷隆

 大阪商工会議所・秘密会所の丁稚・定吉は、殺しのライセンスを与えられた腕利きの工作員。関西文化の破壊を企む汎関東主義秘密結社・NATTOを相手に、今日も死闘を繰り広げる……

 007シリーズの世界を、そっくり80年代日本に置き換えたパロディである。東西冷戦構造は、そのまま関東と関西の対立にシフトする。NATTOの目的が「関西人に納豆を食べさせる」というのもなかなかいい(でも、少なくとも半世紀以上は大阪に住んでいる私の祖父母は、ふつうに納豆を食べていたけれど)。

 パロディなので、原典を知っている人には楽しい場面が満載だ。例えば『定吉七は丁稚の番号』に収録されている中編「ドクター・不好」の冒頭は、元ネタ『ドクター・ノオ』の冒頭の展開にぴったり重なる。もっとも、ジャマイカのリゾートが湘南に、コントラクト・ブリッジが麻雀になっているけれど。

 もちろん、元ネタなんて知らなくても楽しめる。この東西冷戦は、荒唐無稽でありながら、たいていの日本人には米ソの冷戦よりもはるかに身近な対立軸だ。スタイルはあくまでもギャグ。そして、それが逆に「日本の公的機関に属するスパイ・ヒーロー」をリアルな存在にしている。

 なにしろ現実の日本政府は、どう見てもMI6やCIAみたいな諜報機関なんて持ってなさそうだ。だから、「××庁の秘密エージェント」なんてのが外国のスパイ相手に大活躍しても絵空事にしか見えない。

 そこで定吉七番シリーズだ。「国家のエージェント」という枠組みが背景と合わないのなら、背景のほうを変えてしまえばいいのだ。

 かくして生まれたのが、関東と関西が冷戦を繰り広げる日本である。この対立軸は、多くの日本人には身近なものだろう。一方で、「大阪商工会議所の秘密工作員」なんてのがいてもおかしくない雰囲気を備えている。ふさわしい舞台に、ふさわしい登場人物。ひとつの世界として整合性があるからこそ、荒唐無稽ではあるがリアリティに満ちている。

 しかも、とっぴな設定に隠れがちだが、アクションの描写も、物語の造りもいたって真剣なのだ。原作のアクションシーンは、巧みに日本の事物を活かしたアクションに置き換えられている。ストーリーだって、固有名詞を置き換えればシリアスな物語として充分通用しそうだ。作者が真剣に冗談をやっているからこそ、作品世界がより身近に感じられるのだろう。

 このシリーズ、本書に続いて『ロッポンギから愛をこめて』『ゴールドういろう』『角のロワイヤル』『太閤殿下の定吉七番』が刊行された。舞台は80年代なので、今読むと懐かしさを感じさせるような描写も珍しくない(特に、田中康夫風の作家が登場する『ロッポンギから愛をこめて』がそうだ*1)。そのせいか、新刊書店では入手が難しい。

 だが、そんな理由で埋もれさせてしまうにはあまりにも惜しいシリーズである。どこかで見かけたら、ぜひご一読を。

*1 : 2008/01追記:この文章を書いたのは、田中康夫が長野県知事選挙に立候補するとかしないとか言っていたころだ。

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殺戮の天使

フランスが生んだハードボイルドの結晶

殺戮の天使 ジャン・パトリック・マンシェット / 野崎歓訳 / 学研

 冷徹に人を殺す正体不明の女は、身分を偽ってある田舎町へとやってきた。町の俗物たちと付き合いながら、やがて彼女はある計画を実行に移す……。

 ハードボイルドといえばアメリカ、という印象がある。が、アメリカ製ハードボイルドの影響を受けながらフランスで独自に発展した小説(向こうではロマン・ノワール—-暗黒小説と呼ばれることが多い)も、非常に味わい深いものがある。

 英語圏の娯楽小説とフランスとの関わりには、ひとつの傾向があるように思う。

 母国では安っぽい煽情的な三文小説の書き手とされていた作家が、フランスでは熱狂的に受け入れられる、という図式だ。ホラーではH・P・ラヴクラフト(『クトゥルーの呼び声』)、SFではフィリップ・K・ディック(『ヴァリス』)、そして犯罪小説ではジム・トンプスン(『ポップ1280』)やジェイムズ・ハドリー・チェイス(『ミス・ブランディッシの蘭』)。

 フランス人がハードボイルドに「発見」したのも、チャンドラー的なロマンティシズムよりは、むしろ根源的な暴力の世界だった。

 そんなフランス製ハードボイルド、ロマン・ノワールの一つの頂点を作り上げたのが、本書の作者ジャン=パトリック・マンシェットだ。極左思想の信奉者であり、本書も注意深く読めばそういう要素が読み取れる(初期の傑作『地下組織ナーダ』では前面に出ていた)。

 が、「左翼」という言葉からイメージしがちなイデオロギーまみれのうっとうしさは皆無である。ぎりぎりまで研ぎ澄まされた文体で語られる鋭利な物語は、ハードボイルドのひとつの極点だ。饒舌さを排したところに生まれるスピード感が心地よい。

 ただし、これはマンシェットのスタンダードではない。

 スタイルが洗練の極みに達したせいか、この作品は一種異様な高揚感に満ちている。本書のクライマックスでは、物語は象徴に満ちた寓話のような世界へと結晶し、最後には正常な小説の書き方すら投げ捨てて幻想の地平へと飛翔してしまう。極限まで言葉を切り詰めたがゆえになしえた力技だろう。

P.S.
 今年(2000年)もっとも気になる作品であるヴィルジニ・デパントの『バカなヤツらは皆殺し』は、この小説のラストでのマンシェットの叫びに対する、ある種の返答のように思われる。

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ポップ1280

神なき世界の黒い哄笑

ポップ1280 ジム・トンプスン / 三川基好訳 / 扶桑社 (→扶桑社ミステリー)

ニック・コーリーは保安官で、人口1280人に満たない田舎町ポッツヴィルの治安を担っている。……もっとも、仕事らしい仕事はほとんどしない。彼をなめてかかっている売春宿のヒモをどうすべきか、同僚の保安官に相談に行ったところから、彼の運命は転がりはじめる……。

 ジム・トンプスンといえば、近年再評価著しい伝説のパルプ作家。もっとも、映画『ゲッタウェイ』の原作者、と呼んだほうが通りがいいかもしれない(あ、『グリフターズ』の原作も彼だ)。狂った論理が堂々とまかり通るその作品世界は、読者の心をも侵蝕してゆく毒に満ちている。

 本書は、彼の最高傑作といわれる暗黒小説。「すでにできあがっていたカバーイラストに合わせて2週間で書き上げ、入った原稿料はあっというまに飲んでしまった」という素敵なエピソードも伝わっている。

 書き飛ばした作品? たしかに、成立過程はそうかもしれない(あくまで「伝説」という気もするが)。だが、それを感じさせない精緻なつくりを備えていることも確かだ。さして長くもないこの小説の随所に隠された仕掛けは、吉野仁氏の力のこもった解説でその一端が解き明かされる。

 いたるところに皮肉とブラックユーモアが撒き散らされている。冒頭、睡眠不足を訴えながら過剰なまでの睡眠をとり、食欲減退を訴えながら異常な量の食事をとるところはほんの序の口。行き当たりばったりにあっさりと人を殺し、あるいはいとも簡単に罠にかけてしまう。それでいながら純真な心の持ち主であることを強調しつづける主人公。純真さを装っているのか、それとも「真性」なのか、そのはざまを漂うこの男の語りが、読者をどこまでも翻弄する。

 この男の狂った論理を「狂気」と呼んでしまうことはたやすい。だが、彼ひとりが病んでいるのではない。世界そのものが病んでいるのだ。そして、そんな物語を「娯楽」として消費してしまう我々も。

 限りなく悪意に満ちた視点の持ち主だからこそ、トンプスンは狂った世界の狂った物語を軽妙な犯罪劇に仕立て上げることができたのだろう。

 いわゆる「ノワール」が苦手な人にも、この軽妙にして洒脱な、ブラックユーモアあふれる犯罪劇はぜひともおすすめしたい。ポップな味つけの施されたこの猛毒は、全身を震撼させる。

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地底獣国の殺人

2008/01おことわり

このサイトの2000年頃の読書録は全部そうだけど、この文章は当時利用していたreview-japanというレビュー投稿サイトに書いたもの(いまではkhipuという名前になっているようだ)。まさか後に自分が文庫解説を書くことになるとは思わなかった。

人外魔境で謎解きを

ノベルス文庫 時は1930年代、日本が急速に軍国主義に傾倒してゆく時代。

 日本の新聞社が「ノアの方舟探検隊」プロジェクトをぶち上げる。奇人学者に美人助手、科学者たちにカメラマンと新聞記者からなる探検隊は、飛行船でアララト山を目指す。

 が、現地にたどり着く前から何やらきな臭い陰謀の影が一行につきまとう。そして一行がようやくたどりついたのは、アララト山内部の空洞に広がる、恐竜が今も生きている世界だった。だが、一行の中で連続殺人事件が……。

『失われた世界』(コナン・ドイル)、「地底獣国」(久生十蘭)、「人外魔境」シリーズ(小栗虫太郎)といった、往年の秘境探検ものへのオマージュ。最初の二つについては作中で触れられている(特に「地底獣国」は題名にも含まれている)し、主要登場人物の一人の名字は「人外魔境」の主人公の名前と同じである。

 『怪人対名探偵』もそうだったが、作者はこの手のオマージュ作品では独特の巧さを発揮する。そういえば、作者の出発点は、「自分の読みたい小説が現代には存在しないので自分で書くことにした」(当時は「新本格」ブームの直前)というところにある。つまりこれは、現代には存在しない「自分の読みたい小説」に他ならないのだ。

 それだけに、物語自体も非常に楽しめる。最近の科学的成果も取り入れた舞台設定はもちろん、「邪馬台国はエジプトにあった」などの怪説とともに「新史学」を提唱する奇人学者・鷲尾哲太郎の存在感は強烈だ(もっとも、これは実在の人物を下敷きにしている)。

 1930年代という舞台設定も作品に緊張感を与えている。複雑怪奇な国際政治が、秘境にも影を落とす時代。もはや秘境といえども人間の営みと無関係ではいられなくなった時代だ。

 たとえば本書のアイデアの源泉である「地底獣国」には、背景として当時のソ連の対日戦略が描かれる。また「人外魔境」シリーズにも、日本の領土拡大に関連するエピソードがあった。そもそも、探検という行為そのものが「政治」や「国家」と深く関連しているのだから、政治とは何かと縁が深くなるのも無理はない。

 問題は、これが単なる秘境探検小説ではなく、連続殺人の謎を解く「本格ミステリ」でもある、ということ。両者を融合させようという意欲的な試みではあるが、枠組みがあまりにも典型的な「本格ミステリ」であり、さらにいくつもひねりを加えているため、謎解き部分が探検物語から浮きあがっている印象は否めない。

 では純然たる秘境探検小説にすべきだったのか?

 そうではない。

 読者に最初に提示される物語が、謎の解明によってもう一つの顔を表すというミステリの物語形式は、「ロマンあふれる秘境探検」のもうひとつの側面を、クライマックスの謎解きという印象的な形で浮かび上がらせている。謎解き部分への違和感も、あるいは「ロマン」のもう一つの顔が暴かれることに対する戸惑いなのかもしれない。

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麦酒の家の冒険

ビール飲みの、ビール飲みによる、ビール飲みのためのミステリ

麦酒の家の冒険(講談社ノベルス)麦酒の家の冒険(講談社文庫) 西澤保彦 / 講談社ノベルス → 講談社文庫

 ビールがおいしい季節は夏だ、とされている。

 私の人生はいつだって夏だ。
 春は桜の木の下で、秋は大地の収穫に舌鼓を打ちながら、冬はこたつで鍋を囲んで、ときにふれ合う脚と脚、二人は互いに見つめあい、ほてった頬は桜色、そして絡まる指と指(おっと以下略)と、夏でなくともビールはおいしいものだ。
 ところで、この麗しくも黄金色に輝く神の恵みを、「とりあえず」などというふざけた姿勢で飲むような輩がいる。
「とりあえず」だと!(やや逆上)
 そのような不逞の輩に、この芳醇な大地の恵みを口にする資格など本来ありはしないのだ。水でも飲んで寝ているがいい(逆上)。
 ことに「一気のみ」などと称して無為にビールを消費する学生などは、とっとと急性アル中で倒れてしまえ運ばれてしまえこの世からいなくなってしまえ(著しく逆上)。

 ……失礼。なお、ふだんの私は紳士的なふるまいを忘れない小心者だ。上のような暴言を吐くことはない。と思う。

 何はともあれ、そんなビール飲みとして強く強く推薦したいのが、この麦芽100%のミステリだ。

 夏の終わり、ドライブの途中で道に迷った4人の若い男女。彼らがたどりついた山荘には、家具といえばベッドがひとつ、そして冷蔵庫がひとつ置かれているだけだった。しかし冷蔵庫の中には大量の缶ビールと13個のジョッキが冷やされていた! かくして、することもない彼らは勝手にビールを飲みながら、この奇妙な状況がなぜ作られたかを推理する……。

 本書の大半を占めるのは、この4人が飲んだくれながら繰り広げる推理の数々だ。このやりとりの中に、4人のキャラクターとそれぞれの関係も描かれている。が、やはり中心にあるのは、この奇妙なシチュエーションに対して次から次へと繰り出される解釈。さまざまな説が検討され、否定され、補強される。ときには、素面の人間ならとても思いつきそうにない奇怪な説まで飛び出す。

 作者はビール好き。この事件の解決も、ビール好きでなければ考えそうにない性質のものである。

 ある種のドラッグ文学が「素面」じゃわけがわからないように、これも軽くビールなど飲みながら楽しむのに適している。もっとも、作中で繰り広げられるロジックが分からなくなるまで飲み過ぎないようにご注意を。

 なんだか、のどが渇いたな……

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謀殺の弾丸特急

謀殺の弾丸特急 / 山田正紀 / 徳間文庫

 東南アジアの小国・アンダカムでは、日本製のSLが今でも使われている。
 日本人旅行客たちが乗り込んだSLは、隣国タイに向けて出発。ところが、一行の中に軍事政権の秘密をスクープしてしまったジャーナリストがいたため、彼らは最新装備に身を固めたアンダカム軍に追われる羽目に……。

 よけいなことは何も考えずに楽しめる、スピーディな冒険活劇。

 一行はジャーナリストのほか、添乗員の女性、元機関士、旅好きの老婆、能天気な新婚カップル、無職の三〇男に鉄道模型マニアの大学生。こんな普通の日本人たちが、歴戦の軍人たちを相手に戦うのだ。彼らの乗り物は、線路に沿ってしか動けない鉄道(しかも、機関車は戦前の日本で作られた古いしろものだ)。これに、四方八方から、最新兵器に身を固めた軍隊が襲いかかる。

 圧倒的に有利な敵に立ち向かう、劣勢な主人公たち。この手の冒険ものでは、あまたの名作で手を替え品を替え使われているシチュエーションだ。山田正紀自身も『火神を盗め』で、インドを舞台に、CIAの殺し屋集団に挑む窓際サラリーマンたちの死闘を描いている。

 登場人物を含む小道具の使い方がとにかく上手い(特に、添乗員の女性の指輪に注目)。一行のひとりひとりに、それぞれの役割と見せ場が用意され(つまり頭数をそろえるためだけのキャラクターはいない)、巧妙な伏線とともに用意された数々の小道具が、しかるべきところでしかるべく使われる。ジグソーパズルのピースが、それぞれの場所にぴたりとおさまるように。それは、精緻に組み立てられた謎解きミステリにも通じる楽しさだ。

 そんなわけで、本書を絶賛し、文庫化のきっかけを作ったのも、……現代日本で有数の巧緻なパズルの作り手である有栖川有栖なのだ。

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始祖鳥記

始祖鳥記 飯嶋和一 / 小学館 (→小学館文庫

 天明年間。名の通った表具屋の幸吉は、巨大な翼を作って夜な夜な空を舞っていた……心の底に大きな夢を抱いて。だが、それは悪政の世に現れるという鵺を模したものだと受け取られ、幸吉はお上の取り調べを受けることになる……。

 筒井康隆の短編「空飛ぶ表具師」にも登場する、鳥人・幸吉の数奇な生涯を描く時代小説。浜で育った幸吉が憧れる海と空。それは、鎖国体制下の日本から遠い異国へと至る道であり、そして彼を縛りつける「日常」から解き放ってくれる存在でもある。

 そしていつしか幸吉自身が、腐敗と圧政に苦しむ人々の心に何かを与える存在となってゆく。 あらゆるくびきを投げ棄てて、再び空を目指す幸吉の姿には、胸のすくような開放感を覚えた。

 空を舞う鳥のように自由に生きたい。そんな、人々の無意識の願いを、文字どおりの形で現実にしてのけた幸吉の姿が魅力的だ。そして、幸吉と知り合ったり、あるいはその逸話を聞いたりして、自らのなすべきことをしようと決意する男たちもまた魅力的に描かれる。安住することをよしとせず、豪商たちの寡占体制に立ち向かう塩問屋、あるいは蝦夷地を目指す船乗り、あるいは駿府の町の有力者たち。

 中盤に描かれるのは、幸吉自身というよりは、幸吉と接した人々の物語である。特に塩問屋のエピソードは、官僚と大企業の癒着構造に対決を挑むベンチャービジネスという、あまり時代小説っぽくない構図でなかなか刺激的だ。

 物語は安直な幻想に逃げ込むことなく、地に足をつけながらも高らかな飛翔で幕を閉じる。

 抑えた筆致ながら、どっぷりと浸っていたいと思わせる物語。終わってしまうのが名残惜しいと思わせる小説にであったのは久しぶりだ。

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悪党パーカー/ターゲット

リチャード・スターク / 木村仁良訳 / ハヤカワ・ミステリ文庫

 財務コンサルタント・キャスマンが持ちかけてきた仕事は、試験的に興行しているカジノ船の襲撃だった。パーカーは彼の意図に不審なものを感じながらも、仲間を集めて計画を練る……。

 『悪党パーカー/エンジェル』に続く、復活第二弾。

 標的は川の上のカジノ船。周囲と隔絶された、いわば一種の「密室」である。この密室にため込まれた大金をいかにして奪い、いかにして逃げ延びるか。冷徹な計画の下に不可能を可能にするプロセスは、形こそ違うが、謎解きミステリにも通じるカタルシスを感じさせてくれる。そう、これはまぎれもなく、不可能犯罪を描くミステリである。

 そして、こんな大仕事をやってのけるパーカーの個性も、このシリーズの魅力の大きな位置を占めている。「仕事」に徹する非情なプロフェッショナル。場当たり的な仕事は決してしない。事前に入念な調査をして、計画を立て、同じくプロの仲間たちと連絡を取り合い、計画を実行に移す。予定外の事態にも臨機応変に対処し、本来の目的を見失わない。

 そう、やっていることはまぎれもない犯罪だが、その犯罪に臨む姿勢は、まぎれもなく企業の新人教育で教えこまれるような「正しい社会人」そのものである。業務計画の立案、プロジェクトの工程管理、チーム内での情報共有、業務の分担、業績の評価、リスクマネジメント……。

「プレジデント」なんかも、いつまでも戦国武将ばっかり取り上げてないで、「悪党パーカーに見るプロジェクト管理者の資質」「優れた人材獲得の秘訣を悪党パーカーに学ぶ」「悪党パーカー流リスクマネジメント」なんて特集でも組めばいいのにね。あと、企業の新人教育のテキストにもおすすめ。

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忠臣蔵とは何か

忠臣蔵とは何か 丸谷才一 / 講談社文芸文庫

 なぜ忠臣蔵はかくも人気があるのかという話から、「曾我物語」へと話は移り、さらに元禄時代の世情について述べられる。そして最後は忠臣蔵の人気の根元へと迫ってゆく評論。

 この本の最もおもしろい部分は、最後の章に示される結論—-「忠臣蔵とは何か」に対する答えである。それまでに述べてきたことを下敷きに導き出される結論はあまりにも意外で、著者自身、

「私が思ひ描く時間の枠組は気が遠くなるくらゐ大きい」

 と述べてゐるほどだ(あ、うつっちゃった)。下手なミステリよりもはるかにスリリングな謎解きが展開されている。ほとんど伝奇SFといってもいい。その結論についてはここには書かない(ミステリのネタばらしは避ける方がいいだろう)。ちなみに、瀬戸川猛資氏の『夢想の研究』にもこの本が紹介されていた(もともとこの本を手にしたきっかけも、『夢想の研究』を読んだからだった)。

 ちなみに、本書を受けて書かれたのが井沢元彦『忠臣蔵 元禄十五年の反逆』(新潮文庫)。ベースにあるのは丸谷の論だが、著者お得意の「言霊」をキーにした忠臣蔵の謎解きが繰り広げられる。こちらもおすすめ。

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ファイト・クラブ

喧嘩上等暴力炸裂

ISBN:4152082089ISBN:4150409277チャック・パラニューク / 池田真紀子訳 / 早川書房

 冒頭の場面は、数分後に爆発する超高層ビルの屋上。主人公は口に銃口をつっこまれている。そんな状態の彼が語るのは……ファイト・クラブという喧嘩上等な男たちの秘密クラブに端を発する、奇想天外な物語。

 鋭い文体(翻訳だが、きわめて個性的だ)で描く、アナーキーな暴力と、破壊衝動の果てしないエスカレート。随所に散りばめられた、ブラックユーモアに満ちたエピソードの数々。

 暴力的。
 政治的。
 お下劣。
 そして痛切な叫び。

 とりとめもなくエピソードが連ねてあるだけの、破綻気味の小説のような印象を受けるが、決してそんなことはない。むしろ、きわめて緻密に構成された作品だ。ミステリでは使い古されたある手法を、実に効果的に用いている。

 ……おっと、内容について詳しく伸べるのはやめておく。なにしろファイト・クラブの規則は、

「第一条 ファイト・クラブについて口にしてはならない」

「第二条 ファイト・クラブについて口にしてはならない」

なのだから。

 ダークな笑いに満ちたポップなノワール—-例えば『ポップコーン』のような—-が好きな方には是非おすすめの一冊。1999年の翻訳小説ベスト3に入ると思う。

P.S.

 この小説、デビッド・フィンチャー/ブラッド・ピットの監督/主演コンビで映画化された。私は見ていないのだが、ある意味では映像化不可能なこの小説を、いったいどんなふうに映画にしたのだろう?
(と書いたのを見た知人が教えてくれた。おそろしいことに、けっこう原作に忠実だったようだ。映像化によってある側面はさらに強化された模様)

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