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えーと。だんだんうかつに説明できないシチュエーションに突入しました。
人づてに聞いて興味深く読み、少しびっくりした。
http://oinusama.com/tpcc/2006/05/post_44.html
ウッドハウスの本に関する記事と、それに付随したやりとり。……でも、ウッドハウスへの言及はほとんどない。無理もないことで、この方は「バークリーの作品を読むためにこの本を購入した」のだ(「ウッドワーズ」という誤記が、ウッドハウスへの関心の度合いを物語っている)。
わずか数ページの小品のために本を1冊購入。かなりリスクの高い行為である。案の定、バークリー作品の前に収録された論文や編訳者注のせいで、素直に楽しめなかったとのこと(どちらも、この作品を高く評価していないのだ)。
びっくりしたのは、直前の解説のせいで気持ちが萎えてしまった、という事実である。
だって、わずか数ページの小品のために、さほど興味のない作家の本を購入するほどの人なのだ。その熱意は、もはや「バークリーが書いたものなら何でも読む」レベルに見える(ほかの記事を読むと、実際そのとおりだと分かる)。そういう方なら、他人がどう評価してるかなんて、かなりどうでもいいことではないだろうか。「さほど面白いものではない」それが何か? だって、まだ読んでない作品がそこにあるんだよ。バークリーを気に入った自分の嗜好を、もっと信頼していいと思う。
ただ、本を作った側の意図はどうであれ、問題の短編は一本立ちした付録(ってのも変な表現だが)とは言いがたい。まず「探偵小説とウッドハウス」という論があり、その補強としてバークリーの短編が置かれている。読んだ後に浮かぶのは、そんな図式だ。なので、「バークリーの作品」に期待するミステリ読者には不満が残るかもしれない。そういう作りの本ではないのだから。
これから読むもの・読み直すもの