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地下室の箱

ホラー
ISBN:4594031463ジャック・ケッチャム / 扶桑社ミステリー

 「私は、この本から生きる勇気をもらいました」なんて帯のついてる本はなんとなく嫌いだ。「全米を感動の渦に」とか「癒し」とかも同様。どこかうさんくささを感じてしまう。
 そんなの読むくらいならやっぱりケッチャムでしょう。……と思って手にとったのがこの本。

 妻子ある男と関係を持ち、妊娠したサラは、お腹の子を中絶するために産科の医師をたずねる。しかしその途上、彼女は謎の男女に捕われて、地下室に監禁されてしまったのだ。男女の目的は何か? 虐待を受けるサラの運命は……? という内容である。

 拉致/監禁/虐待。そう、これはまぎれもなく天下の鬼畜本『隣の家の少女』と同系の作品だ。あの作品の後味の悪さは半端じゃなかった。でも、この本は違う。逆境の中で、人格崩壊を起こしかけながらも力強さを見せるヒロインの姿は前向きだ。
 読後感も実にポジティヴな鬼畜小説である。私は、この本から生きる勇気をもらいました。……うーん、まずい徴候だなあ。

 ちなみに、サラを監禁する男が抱くいびつな信仰心もさることながら、男がサラに語る『組織』をめぐる陰謀めいた話も、一部のアメリカ人が抱くオブセッションを象徴しているかのようだ。この『組織』をめぐる物語がサラを内面から束縛してしまうという展開は、理不尽な世界になんらかの解釈を与えてくれる「物語」というものの危険な魅力を表している。

撃て、そして叫べ

ノワール
ISBN:4062731517ダグラス・E・ウィンター / 講談社文庫

主人公は銃器の密売人。大きな取引のためにワシントンDCへ向かった彼を待ち受けていたのは、裏切りと策謀、そして銃撃の嵐。ひょんなことから行動を共にすることになった相棒と一緒に、彼を陥れた奴らに復讐するのだ……

予断を許さない、しかし落ち着くべきところに落ち着くストーリー展開に、シニカルな語り口。簡潔にして深みのある人物描写。悪党ながらも、どこか古典的なヒーローを思わせる主人公。派手な銃撃シーンが次から次へと繰り広げられる、ストレートな犯罪小説だ。

銃撃描写の根底には、「銃のあるアメリカ」が抱える闇が潜んでいる。終盤近く、主人公が突き止めた策謀の背景を見るがいい。そこにあるのは、「政府の奴らが何かを企んでいる」と語る陰謀マニアが夢見るような、ゆがんだ執念だ。

ちなみに、作者はスティーヴン・キングの評論なども書いているホラー評論家。『死霊たちの宴』などのアンソロジーにも、スプラッタ色の濃いの短編を寄せている。80~90年代に栄えた、スプラッタパンク派の一人といえるかもしれない。

従来のホラーと違い、スプラッタ映画からの影響を受けてフィジカルな暴力に焦点を当てたのがスプラッタパンクだ。実際、スプラッタパンクに分類されるホラーの多くは、超自然的な描写を取り去ってしまえば、ノワールとして読むことも不可能ではない。最近、スプラッタパンクに属するとされた作家たちが次々と犯罪小説を発表しているが、それは決して意外なことではないのだ。

……と、これは読み終えた頃の感想。
最近、あるメーリングリストで、原書を読んだ方々が、邦訳との違いを指摘していた。
  • 原文では、会話文に“ ”を使わず、地の文と同じようになっている
  • 原文はすべて現在形
一般的な形で訳したほうが読みやすいだろうという配慮かもしれない。でも、こういう特殊な形式はなるべく再現して訳してほしかったなあ。同じく会話に“ ”を使っていないという「終わりのないブルーズ」では、邦訳でもカギカッコを使っていなかったことだし。

(2002/3/27追記)

そして粛清の扉を

ミステリ
そして粛清の扉を 黒武洋 / 新潮社

 柳の下でドジョウを探すのを商売の基本とすることのよしあしはさておき、その実例は珍しくない。この本もそんな一冊だ。柳の名前は『バトル・ロワイアル』。

 新潮社の第1回のホラー・サスペンス大賞受賞作である。この受賞は角川のホラー大賞との差別化狙いだとか、内容が内容だけに、少年犯罪の犯人を実名報道しちゃう新潮社ならではだとか、いろいろ下司のかんぐりができる作品でもある。

 娘の死をきっかけに、良心の最後の一線が切れてしまった女性教師が、銃や爆薬で武装して生徒を人質に立てこもる。警察が包囲する中で、生徒を次々と血祭りにあげ、やがてマスコミを使ってある要求を出す……という悪趣味な話だ。

 悪趣味ぶりが最も露骨に出ているのは、生徒の描かれ方。この小説に登場する高校生たちの立場は、極言すればヒロインの教師に「駆除」される「害虫の群れ」でしかない。ひとりひとりの個性がそれなりに描かれていた『バトル・ロワイアル』と比べれば、その違いは明白だ。

 ちなみに、傷をつつけばきりがない作品でもある。特に困ってしまったのは文章。私は「下手な文章」に対してはかなり鈍感ないし寛容だと思うのだが、さすがにこの作品の不可解な表現の数々には戸惑った。せめて次作以降は、もうすこし文章をどうにかしてほしいものである。

 とはいえ、そういうマイナスを補って余りある楽しさがあるのもまた事実。うかつに寝る前に読み始めると、確実に睡眠時間を削ってしまうだろう。今年のベスト級かもしれない(と、2月に言うのはいかがなものか)。こういうものを楽しく読んでいる自分に気づいたとたん、ふと後ろめたさを感じてしまう。そういう感情を起こさせた上で、なおかつ読ませてしまうのはたいしたもの。

 ちなみに、こんな作品がお気に召した方には、ベン・エルトン『ポップコーン』(ミステリアス・プレス文庫)もおすすめ。

X雨

ホラー
X雨 沙藤一樹 / 角川ホラー文庫

 少年たちのX-lay / X-Rain。

 ある晴れた朝、小学生の「私」の前に現れた少年は、なぜかレインコートを着ていた。右目が潰れたその少年は、自分には感じられるという「X雨」のことを「私」に語るのだった。

 たくらみに満ちた物語である。

 ダーク・ファンタジー調の前半、主役は4人の小学生。彼/彼女たち4人だけが、なぜかX雨を感知できるようになってしまった。最初は雨音が聞こえるだけ、しかしやがて雨は目に見え、実際に体をぬらすようになる。だから、たとえ他人から奇異のまなざしを向けられても、彼らはコートを着て傘をさす。そして、彼らは雨以外のものも感知するようになるのだが……。

 4人の関係には微妙なエロティシズムが漂い、世間から孤立する彼らの人間関係は次第に凄惨さを増してくる。いささか陳腐な小道具も出てくるが、しかし甘く見てはいけない。それらは陳腐であることを考慮した上で配置されている。

 中盤の悪夢のようなねじれを経て、後半では前半のファンタジーがじわじわと変容する。その手法はさながら謎解きミステリ。謎解きの手法が前面に出すぎていて、構成にはややぎくしゃくしたところがあるけれど、そのよじれ具合がこの物語にはマッチしている。

 なお、あとがきは決して先に読んではならない。

 読後、あわてて前作『プルトニウムと半月』も読んだ次第。いやはや、こんな作家を見逃していたとは。

the TWELVE FORCES

小説
~海と大地をてなずけた偉大なる俺たちの優雅な暮らしぶりに嫉妬しろ!~

the TWELVE FORCES戸梶圭太 / 角川書店

 アメリカのエンターテイメント作家が書く小説は、しばしばジェットコースターにたとえられる。息もつかせぬ勢いでめまぐるしく展開する物語は、確かにジェットコースターを思わせる。

 この『the TWELVEW FORCES 海と大地を(以下略)』も、そんなジェットコースターの影響がうかがえる作品だ。もっとも、作品のスタイルは、ジェットコースターとはかけ離れているけれど。

 ジャングルで発見された謎の物体。世界的な大富豪ランドルフは、それが古代人の作った二酸化炭素除去装置かもしれない、ということを知る。かくして、その正体を探るために世界各地から学者、傭兵、冒険家がスカウトされ、あげくのはてには芸術家までもが招かれる。二酸化炭素除去装置で、この地球を救うために……。

 とまあ、こんなあらすじを書いてもあまり意味のない話である。

 主役はランドルフ、そして彼の集めたヘンな連中。ストーリーの展開そのものよりも、ひとつひとつの場面で、彼らがいかにヘンな活躍をするか、に力が注がれている。

 この作品を楽しむには、登場人物に強く感情移入しながら読むよりは、観客として眺めているほうがいい。

 章は細かく分かれているので、いっぺん読み終えてしまえば、実は適当なところからでもそれなりに楽しく読める。一気呵成に読ませるところに意義があるジェットコースタータイプとは趣をことにする作品なのだ。

 没入するよりも、眺めるタイプ。

 線としての流れよりも、点としての個々の場面。

 そう、これはジェットコースターではなく、言うなれば「読む花火大会」なのだ。

 しかもいささかやけくそ気味の花火大会である。 最後には派手な大玉を打ち上げてくれる。構成そのものは破綻気味の作品ではあるけれど、もともと「流れ」に整合性を持たせることなんかあまり意識していなかったに違いない。

 読んだら感動するとか考え方が変わるとか、そんなことは決してないだろう。

 変な付加価値をつけずに、純粋に娯楽に徹して見せた作品だ。