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2000年9月の日記

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虚船-大江戸攻防珍奇譚

SF

矢追純一的宇宙人と時代小説が、ジュニア小説*1の上で出会う

 時は江戸時代。日本各地で空に浮かぶ光る物体が目撃され、また物体に人が誘拐される事件や、家畜が切り刻まれる事件が続発していた。幕府は調査のためにひそかに「青奉行」という機関を設けて、光る物体---「虚船」の謎を調査していた。

 家畜が切り刻まれる現象は「キャトルミューティレーション」、宇宙人に誘拐されて謎の手術を施される現象は「アブダクション」として、矢追純一などの著書でしばしばとりあげられるできごとである。

 本書は、そんなキャトルミューティレーションやアブダクションをやらかす宇宙人と、幕府の秘密組織との戦いが描かれる(幕府が宇宙人と密約を結んだりはしていないようだ)。宇宙人に誘拐された人間には、ちゃんと謎の物体が体内に埋め込まれる(何が「ちゃんと」だか)。

 アイデアとしては非情に面白い。ただし小説としての描写が弱いと、この手のバカバカしい思いつきによりかかった作品はあっという間に読むに耐えないものになってしまう。本書では、地に足のついた時代小説的な描写と、ジュニア小説的な「軽さ」が同居している。このアンバランスな取り合わせ、一歩間違えば支離滅裂になりかねないと思うが、そこは巧みに乗り切っている。もっともクライマックスには巨大ロボットらしきものまで登場するので、時代小説好きには不満もあるだろう(そんな人がこの文庫を手に取ることはあまりないと思うが)。

著者はイギリスのTVシリーズからアイデアを得たそうだが、クライマックスの描写などを読むかぎり、国産特撮ものの影響も強いような気がする。

*1 : 2008/01補足:当時の私にとって、「ライトノベル」という語句はまだなじみのないものだった。

不器用な愛

小説

彼と彼女の世界の認識

ISBN:4562033045エマニュエル・ベルナイム / 稲松三千野 / 原書房

 パーティの席で出会ったエレーヌとロイックのふれあいとすれ違いを描く恋愛小説。

 ドラマチックなできごとはほとんど起きない。二人がディナーを共にし、あるいはベッドを共にし、あるいは会う約束が反故になり、という様子が淡々と語られる。

 主に描かれるのは二人の行動、そして物事。そのディテールがつぶさに描かれる。二人の心の動きの大部分は、こういった事物を通じて語られる。もちろん内面描写もなくはない。だが、二人がお互いをどう考えているかということすら遠回しにほのめかされる程度である。

 行動を通して人物を描くというと何だかハードボイルドみたいだが、そういえばこの作品にはダシール・ハメットの作品のようなそっけなさも感じられる。ハメットの切り詰められた言葉が、実はきわめて密度が高いということはよく言われているが、この小説もそうだ。

 ただし、ハメットがあくまでも客観的な描写を目指したのに対し、この小説での事物の描写は、あくまでも二人のどちらかの視点に立ったものである。彼または彼女が、世界をどのように知覚したのか。彼または彼女がなにを認識し、何を認識しなかったのか。物事の描写には、そういう意味あいがこめられているようにも見える。行動を通して人物を描くというよりは、行動と知覚を通して人物を描く、といったところか。

 こういった面に読者の意識を誘導したいからだろうか、この小説では二人の会話らしい会話はほとんど出てこない。静けさは緊張をさらに高める。

 いつもスティーヴン・キングに代表されるようなアメリカ産娯楽小説、あるいは最近の国産ミステリーといった饒舌な小説ばかり読んでいるせいか、こういうある意味ストイックな作品はとても新鮮に感じられた。ヒロインの歯に野菜の切れ端がくっついてる様子までもが描かれる小説も、そんなにないような気がする。私がふだん読んでいるものが偏っているだけかもしれないが。

カノン

ノワール

妄想ダメ親父が拳銃片手に大暴走。クソどもは皆殺しだ!

カノンギャスパー・ノエ / 奥田鉄人 / 斎藤敦子訳 / 角川書店

 ATTENTION!

 こいつはヤバい作品です。ページを繰るときはご注意を。

 生まれて間もなく親に捨てられ、娘に手を出そうとした男に暴力をふるって刑務所に行き、出てからはヒモとして生きている中年男。信じられるのは自分だけ。アラブ人とホモ野郎に敵意をつのらせ、生き別れの娘の姿を追い求める男。ヒーローと呼ぶにはあまりにも薄汚いダメ人間だが、どこかハードボイルドな空気を身にまとっているのも事実だ。

 世間とうまく付き合えずに生きてきたそんな中年男が、ふとしたきっかけで暴発する。この男の世界観はいびつで自分勝手で冷酷そのもの。

 ATTENTION!

 世間の常識からは許されないようなカタルシスを味わえます。良識派を自認されている方はご注意を。

 クライマックスの妄想親父のキレ具合は果てしなく官能的ですらある。

 これ、ギャスパー・ノエによる映画を奥田鉄人がコミック化……というのは正しくないな、コミック・ノベル化したものである。小説でもあり漫画でもあり、という表現方法がここではかなり効果を上げている。主人公の顔はその頑なさをあますところなく表現しているし、彼のいかれた思考を綿々と綴る文章も読ませる。タイポグラフィもかなり自由に使いこなしている(特にクライマックス)。

 鬼畜そのもののフィニッシュは、それでも哀切に満ちている。

 かくも刺激的な作品が世に出るのは楽しいが、こんな作品がリアリティを帯びてしまう現実というのは……。