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2003年11月の日記

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角の生えた男

陰謀小説
ISBN:4887243510 ジェイムズ・ラスダン / DHC

読みかけの本に挟んでおいたしおりが何十ページも移動していた。それをきっかけに、ひとりの大学講師の身のまわりに次々と不可解なできごとが起きる。数々の事象の裏に、彼は前任者ツルミルチクの影を見いだす……。

ここ数年、陰謀の匂いがするフィクションが気になっている。自分の暮らす環境が、何者かの意志に基づいてコントロールされている--そういう妄執(ないしは現実)を扱った作品だ。

この本にもそういう匂いがただよっている。主人公がツルミルチクを疑う根拠はそれほど強固なものではないが、数々の偶然に見える符合を必然と見なすことによって、彼の妄執もエスカレートする。それにあわせるかのように、彼の身に降りかかる疑わしい現象もどんどんエスカレートする(し、彼自身も陰謀に対抗して突飛な行動をとるようになる)。

短いながらも、危険な妄想によるトリップ感覚が味わえる作品だ。

チャンス

ミステリ
ASIN:4150756813 (ロバート・B・パーカー/ハヤカワ・ミステリ文庫)解説

スペンサーは変わらない

 二〇〇三年の『真相』で、スペンサー・シリーズは三〇作を数えることになった。初登場の『ゴッドウルフの行方』から三〇年。十分に長い年月といえるだろう。なにしろ、第一作が刊行された年に生まれた赤ちゃんが、書評家と称して『チャンス』の文庫解説を書くようになるくらいの年月なのだから。
 失礼、解説者のことはどうでもいい。本書『チャンス』は、一九九六年に刊行されたスペンサー・シリーズの第二十三作である。
 題名のとおり、これはチャンスをめぐる物語だ。誰もがチャンスを狙っている。たとえばスペンサーが行方を追うアンソニイは、いつでもひと山当てようとしているギャンブル狂だ。今回が初の登場で、後に『ポットショットの銃弾』にも姿を見せる私立探偵バーナード・J・フォーテュナトも、つかんだチャンスを逃さない男として描かれる。そして、アンソニイの舅ヴェンテュラほか、ボストンの裏社会のボスたちも、勢力拡大のチャンスを虎視眈々と狙っているのだ。
 さらに、トップレス・バーで働くディクシイをはじめ、端役たちもチャンスを狙っている。わずか一場面に姿を見せるだけのスチュワーデスのシェリルさえも、乗客のホークにささやかなチャンスを見いだす。
 そんな数々の「チャンス」を象徴するように、今回スペンサーが赴くのはラス・ヴェガス──一獲千金を夢見る男女が集まる街だ。ボストンを描くいつもの筆さばきで綴られるラス・ヴェガスの光景は、本書の見どころのひとつでもある。ストーリーそのものは実にあっさりした作りだが、「チャンス」をめぐる細部の凝り具合はなかなか興味深い。

 興味深いといえば、作者パーカーは本書にちょっとした表現上の試みを取り入れて、「いつもの連中のいつもの冒険」にささやかなスパイスを加えている。それは第三者の視点だ。
 言うまでもないが、スペンサーの物語は彼自身の一人称で語られる。物語を支配するのはスペンサーの視点であり、スペンサーの主観だ。そこに第三者の視点が侵入する。『真紅の歓び』で犯人のモノローグが挿入されたのをきっかけに、スペンサーの視点に支配された世界がかすかに綻ぶ。『ダブル・デュースの対決』では、黒人少女の死の場面が三人称で淡々と描かれ、『虚空』では監禁された女性の視点での文章が挿入される。
 そして、『チャンス』の冒頭だ。華やかな明日を夢見る、おそらくはまだ若い女性。彼女の視点で綴られた三人称の短い文章の後に、おなじみのスペンサーの語りが幕を開ける。いったい、彼女は何者なのだろう?
 明らかにスーザンではなさそうだ。物語の幕が上がってからすぐに登場する、ヴェンテュラの娘シャーリイでもないだろう。このような夢を抱くほどの想像力はなさそうだし、そもそも彼女は赤毛ではない。疑問符をぶらさげながら読んでゆくうちに、どうやらこの人らしい--この人の過去の姿らしい、という人物が登場する。そう、彼女もまた、チャンスに賭けた人間だったのだ。
 叙述面では特別な地位にいる彼女だが、物語の中では特権的な立場にはいない。彼女の役割はたしかに重要だ。だが、スペンサーと彼女の会話よりも印象に残るのが、スペンサーがスーザンやホークと交わす、スペンサーの彼女に対する姿勢をめぐる議論のほうである。このような、スペンサーとおなじみの面々とのやりとりは、彼が自分のスタイルを再確認するための作業でもある。行動そのもの以上に、行動をめぐる反省会めいたやりとりを通じて、スペンサーという存在がより明確に読者の心に刻み付けられる。彼女も、スペンサーを印象づけるための存在になっているのだ。

 スペンサーにスーザン、そしてホークという面々を中心とするおなじみの登場人物たち。いくつもの作品を通じて熟成された彼らのかけあいの妙は、行動の後の「反省会」も含めて、すでに完成の域に達していると言っていいだろう。
 たとえば、カジノでの一場面。ブラックジャックに挑戦した(けど負けた)スーザンと、後ろからアドバイスを与えた(けど無視された)スペンサーの、勝負の後の会話。
「そう、批判するわけではないが、十八でなぜもう一枚もらったんだ?」
「ただ突っ立ってるのがいやなの」
「もちろん、そうだろう」
 スーザンの駄目ギャンブラーぶりが描かれる愉快な場面での、これまた愉快なやりとりである。短い中にも、スペンサーとスーザンの人物像、そしてふたりの関係が浮かび上がる台詞だ。
 こんな彼らの会話を読むだけで満足、というファンの方も多いのではないだろうか。最近のシリーズは、描かれる事件そのものよりも、そこに登場するお馴染みの人物たちのやりとりを楽しむものとしての傾向が強くなっている。
 そんなキャラクター小説としての充実ぶりは、「タフガイ」というスペンサーのあり方と表裏一体の関係にある。その両者をつなぐのが、先ほど述べた「反省会」だ。
 ふつうの反省会ならば、良いところをさらに伸ばし、悪いところを改めるために行われるものだろう。だが、スペンサーの「反省会」はいささか勝手が違う。たとえば、こんな発言が出てくることも珍しくないのだ。
「ほかの方法を考えるべきだったわ」
「判ってる」
「かりに、もう一度やらなければならないとしたら、あなたは同じことをやるわ。そうでしょう?」
「そうだ」
 スペンサーの行動を批判しながらも、スタイルの不変を指摘するスーザンと、それにうなずくスペンサー。批判を認めながらも、次も同じようにやる、と確認する。そう、スペンサーの「反省会」は、やりかたを改善するための作業ではない。自分のやりかたを貫くことができたかどうかを確かめる作業なのだ。
 自分のやりかたを貫くこと。それは、スペンサーの言う「タフ」を構成する重要な要素だ。だからこそ彼は、時には依頼人の要求を逸脱するし、自分のルールで人を裁きもするし、誰かを敵に回すことも厭わない。
 安易に他人に影響されないスペンサーが、毎回のように自分の姿勢を再確認する。こうして彼の個性はますます強固になり、存在感はますます揺るぎないものになってゆく。スーザンやホークも、彼の話し相手として、それぞれの立場から彼の姿勢を問い直す。そのやりとりを通じて、周囲の人物たちの個性も固まってゆく。変わらないことをポリシーに掲げる男を描くシリーズとして、実に強力なサイクルを築いている。
 だが、そこには落とし穴も潜んでいる。先に述べたような、構成上特別な地位を与えられた登場人物ですら「反省会」の素材にとどまってしまう状況では、主人公としてのスペンサーが揺さぶられることはほとんどない。シリーズの過去の作品では、スペンサーの自我が揺さぶられるようなできごとが何度か起きている。そのときのスペンサーの切迫感が、読むものの心も揺り動かしていた。彼の自我と事件とが響き合ったところに生まれる感動を、安定期にさしかかった最近の作品に見出すことは難しい。長い年月をかけて完成されてきたスペンサーが、再び揺さぶられることはあるのだろうか?

 強靭な個性を持つキャラクターに支えられ、安定した人気を誇るスペンサー・シリーズ。「今年のベスト選び」みたいなお祭りとは距離を置いて、ベスト投票の結果ごときに左右されないファンをしっかり掴んでいる。シリーズとしては安住の地を得ているといっていいだろう。ある程度の数のファンを獲得できずに、いつのまにやら翻訳されなくなるシリーズも少なくないことを思えば、幸せなシリーズだと言える。
 しかし、このままずっと「いつもの連中のいつもの冒険」が続くのだろうか? おなじみの面々どうしのやりとりと、スペンサーのライフスタイルが見どころの、継続に意義があるシリーズとして続いてゆくのだろうか?
 今のままでも、スペンサーからの年一回の挨拶として、愛読者には十分に満足できるシリーズであり続けるだろう。だが、生まれたころにはすでにスペンサーの活躍が始まっていたような若輩の身としては、もう一度、読む者の魂を激しく揺さぶるスペンサーの活躍が見たい。もうおしまいかもしれないという切迫感を漂わせたスペンサーの姿が見たい。心地よさ以上に刺激に満ちた物語を読みたい。
 見当違いな願望だろうか? ないものねだりだろうか?
 そんなことはない、と思いたい。
 チャンスはどこかにあるはずだ。

2003/11/25(火)

日常

チャンス

 解説を書いたR.B.パーカー『チャンス』文庫が書店に並んでいるのを確認。

 装丁の辰巳四郎氏は最近亡くなったとのこと……。

冷たい心の谷

ホラー
上巻下巻クライヴ・バーカー/ 嶋田洋一訳 / ヴィレッジブックス

ルーマニアの修道院から、アメリカ西海岸の屋敷に運び込まれたタイル絵。そこには、ありとあらゆる残酷で淫らな情景が描かれていた。そしてタイル絵の置かれた部屋には、強大な魔力が宿っていた……。タイル絵が作り出す異世界を通して、ハリウッドという異世界を描いて見せた作品。

物語の前半は、やや落ち目のアクションスターの視点で綴られる。彼が巻き込まれる災難は、まさしく虚飾の世界ならではのもの。虚飾といえば、作中には古今のスターが何人も実名で登場する。中にはすさまじい倒錯者として描かれている人もいるので、こんなこと書いて大丈夫だろうか、と思ってしまう。だが、そういう醜聞をも糧として取り込んでしまうのがハリウッドという魔境なのだろう。艶やかな花と、その下の爛れた土壌。そんな対比が、すでに飽きるほど語られたことであるにもかかわらず、実に鮮烈に浮かび上がる。

その描写を支えているのが、もうひとつの魔境──ハリウッドのはずれに建てられた屋敷だ。その描写は、「血の本」シリーズでデビューした作者ならでは。背徳的な場面もあれば、凄惨で不気味な光景にも事欠かない。異世界を組み立ててゆくパワフルな想像力の結晶を存分に楽しめる。屋敷に君臨する、現代では忘れられた往年のヴァンプ女優も、いささかステレオタイプではあるが(まあ、ステレオタイプな役柄を演じていた女優という設定なので)、物語のシンボルとしては十分に魅力的な存在だ。

いい意味で予想を裏切る構成はなかなか巧み。特にファンクラブ会長の主婦が見せる意外な一面は、これはもう必読といっていいだろう。

ラストの情景も、不気味な美しさをたたえて印象に残る。
  • 幻のハリウッド Bookstack 古山裕樹
    デイヴィッド・アンブローズ / 創元推理文庫題名どおり、ハリウッドを舞台に起こる奇妙な物語を収めた短編集。■収録作生きる伝説フィリップ・K・ディックの短編を連想させる。最後の一行のダブル・ミーニングが効いている。ハリウッドの嘘O・ヘンリーばりの「いい話」...