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2000年6月の日記

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フィルス

ノワール

お下劣ポリ公大暴走!

フィルス アーヴィン・ウェルシュ / アーティストハウス

 お下劣ポリ公の薄ぎたねえ日常。これが「トレインスポッティング」などで知られるアーヴィン・ウェルシュの最新長編っつうわけだ。

 主人公はブルース・ロバートソンってワルい刑事。女も黒人も差別するし、同僚だって平気で陥れちまうろくでなしさ。「人生はゲーム。勝者はただ一人。それはおれ」ってのが奴のモットーだ。腹の中には妙に思索的なサナダムシを飼ってんだけど、自分じゃまだそのことに気づいちゃいない。

 いちおう殺しを捜査すんだけど、なにしろこんな奴が真面目にやるわけねーよな。まして被害者は黒人だ。捜査はそこそこ、休暇はきっちり。アムステルダムでエロたっぷりのバカンスを満喫さ。とーぜんだね。

 補導した娘にイイことさせたり、なにかと非道な毎日を語る鬼畜刑事。なぜか合間に、別れた奥さんのものとおぼしき独白が挟まれているんだ。独白といやあ、ブルースの腹の中にいるサナダムシもいろいろ喋るんだよな、ひとりぼっちのくせして。でまあ、いつしか鬼畜刑事の毎日も平凡なものじゃなくなってゆくわけだ。クライマックスじゃ、腰抜かすこと間違いなしだね。

 世界そのものがひっくり返っちまう気持ちよさ。これって、ミステリのでっかい魅力のひとつだろ? ウェルシュの野郎は、クソみてえな文体でごていねいな伏線をくるんで、思いっきり世界をひっくり返してみせるわけだ。こいつはすげえぜ。

 そーいう意味じゃ、こんだけピュアなミステリもそうそうないね。

 おれとしちゃ、今ちょっと後悔しているんだ。こんなこと書いたりしなきゃ、いきなり本を読んだ奴もそんだけよけいにビックリできたからな。

 世間じゃウェルシュの野郎をミステリ作家だなんて思っちゃいねーけど、こいつは去年1年間に読んだどんなミステリよりも強烈におれのキンタマを蹴飛ばした本さ。……おっと、もちろんねーちゃんが読んだってビックリだぜ。どこを蹴飛ばされるのかわかんねーけどな。

朗読者

小説
ISBN:4105900188ベルンハルト・シュリンク / 松永美穂訳 / 新潮社(→新潮文庫

 ドイツ人作家の、本国ほか世界各国でベストセラーになっているという作品*1

 少年は年上の女と知り合い、やがて恋に落ちる。秘められた逢い引きの日々。女は少年に古典を朗読させ、それを聞くのを好んでいた。奇矯なところのある女は、ある日なんの前触れもなく少年の前から姿を消した。数年が過ぎ、青年となった彼は、思いもかけないところで女と再会する……。

 第一部に張りめぐらされた伏線がみごとに活かされて、それまでのエピソードの意味合いすら変えてしまう、第二部後半(全体の3分の2くらいが過ぎたところ)でのあの瞬間。それは、優れたミステリのもたらす驚きに匹敵する(そういえば作者のデビュー作はミステリだとか*2)。

 物語のすべてが「あの事実」へと収斂する第三部。それを形を変えた第一部の再演として見ると、物語の全体がある種の幾何学模様のように精緻に組み立てられていることがわかる。

 さほど長くない上に、登場人物も極端に少ないというストイックなつくりだが、実のところきわめて豊穣な物語が埋め込まれた小説。ストイックと言えば、安易な作家なら後半を「泣かせる」方向へと盛り上げそうだが、そこをあえて淡々と描いている。この点にはかなり好感が持てるので、「アメリカで映画化されるかも」と知ってちょっと不安になった。

*1 : 2008/01追記:今さら言うまでもないが、その後日本でもベストセラーになった。

*2 : その後訳された。けっこういい出来だったと思う

バカなヤツらは皆殺し

ノワール

タフな小娘、大暴走!

バカなヤツらは皆殺しヴィルジニ・デパント / 稲松三千野 / 原書房

 「キレやすい若者」という話題は最近流行りだが、本書でもキレやすい若者が大暴れする。

 ポルノビデオとマリファナまみれの日々を送るナディーヌ、「好きなものはセックスとウイスキー」と言い切るマニュ。この二人の少女がふとしたところから殺人事件の当事者になってしまうところから、物語は一気に転がり出す。

 ピンクと黄色の表紙からは想像もつかない「キレた」世界が描かれる。性描写にしても暴力描写にしても、今どきの基準ではもはや「過激」というほどのものではないかもしれない。しかし作中での性と暴力の位置づけは、たしかにある一線を踏み越えてしまっている(あるいはそう考えてしまうこと自体、私がもはや若者ではないことの証明かもしれない)。

 パンキッシュに爆走する二人の物語は、やがて過酷で痛切なクライマックスを迎える。

 この作品が志向しているのはロマン・ノワール、暗い情熱と暴力に彩られた物語だ。

 作中、何人かの作家の名前が言及される。特に重要と思えるのは(主人公の二人がシンパシーを抱きそうなのは)二人。

 ひとりは、飲んだくれ不良オヤジの視点から見た世界を描き続けたチャールズ・ブコウスキー。

 もうひとりは、パラノイアックな文体でアメリカの「暗黒」を描くジェイムズ・エルロイ(映画『LAコンフィデンシャル』原作者、というほうが有名だろうか)。

 特にエルロイの名前は、後半のかなり重要な場面で意味ありげに用いられる(ちなみにこの場面、ミステリに限らず小説、映画、音楽などの愛好者の多くにはかなりきつい一撃を食らわしている)。もっとも、作品そのものからうかがえるのは、エルロイの影響よりも、フランスで彼をいちはやく絶賛したというジャン・パトリック・マンシェットの影響なのだが。

 ロマン・ノワールは直訳すれば「暗黒小説」、実際その描く世界は決して明るいものではない。とはいえ、これらの小説は決して重苦しいだけではない。映画『LAコンフィデンシャル』をごらんになった方なら分かるかもしれないが、時にユーモアを感じさせる物語には、どこか軽妙さが漂っている。そして、それは本書も同じだ(ちなみに、エルロイへのシンパシーをことある毎に表明してやまない馳星周の作品にもっとも欠けているのが、こうした軽妙さだと思う)。

 書店では「ミステリ」として売られているわけではない。新宿南口の紀伊国屋で見かけたときは、ウィリアム・バロウズやキャシー・アッカーの本と一緒に並んでいた。どこの棚に並んでいようと、最近一部で目にする「ノワール」と呼ばれる小説に興味のある向きにはおすすめの、そしてノワール愛好者にとっては必読の一冊だ。

ハンニバル

ミステリ

人を喰ったブラック・コメディ

上巻下巻トマス・ハリス / 新潮文庫

 『羊たちの沈黙』の続編。ただし、単なる『羊たちの沈黙2』ではない。

 これは華麗な衣をまとってはいるものの、まぎれもないブラック・コメディだ。

 前作『羊たちの沈黙』をまじめに読んできた人はがっかりするかもしれないが、それはおそらく作者の思うつぼ。大きくなりすぎたヒーローをどうやって始末するか、というのがこの作品に与えられた課題のひとつなのだから。

 『羊たちの沈黙』までのレクター博士の「凄み」がどこから出ていたかと言えば、「まったく内面が描かれない」という一点につきる。それが今回は、内面描写はもちろん、その生い立ちまでもがつぶさに語られるありさまだ。レクター博士は「怪物」ではない、「人間」にすぎないのだ、ということを見せつけるかのように。

  いうなれば、これは作者自身の手による偶像破壊行為。レクター博士を「アイドル」として描いたのが前作ならば、今回は「アイドルだってトイレに行く」という物語だ。

 誇張されたキャラクターたちがくりひろげる、荒唐無稽と紙一重(というか荒唐無稽そのもの)の物語を描く文体もまた、余裕たっぷりの上に悪ノリの過ぎる素敵なしろもの。きわめて悪趣味な物語であることは間違いない。

 今回、レクター博士がフィレンツェの街で芸術と文学を語り、科学への深い造詣を見せ、さらに人間以外の食材についてもグルメぶりを発揮するのも、作品の悪趣味ぶりをよりいっそう引き立てるためではないだろうか。悪趣味を引き立てるには、「悪」でない趣味を描くのが一番だ。

 クライマックスの料理シーンは大笑い。

 そしてここに至って初めて気づいたが、これはつまるところ「モンティ・パイソンの空飛ぶサーカス」なのだ。

 念のため簡単に説明しておくと、「モンティ・パイソン」とは30年近く前のイギリスで放送されていたコメディ番組で、イギリス国営放送でやっていたとは思えないくらいに毒のきついギャグをふりまいていた。現在はビデオで全話を見ることができる。この「モンティ・パイソン」でしばしば描かれたのが、人肉食がらみのギャグ。あるエピソードでは、『ハンニバル』のクライマックスと似たような風景が描かれる(さすがに実写ではなく、アニメだ)。

 映像として見ると明白なのだが、やっぱりこの光景は爆笑ものである。しかもレクターは(と言うより作者トマス・ハリスは)、さらにいくつかの要素を付け加えてバカバカしさを増幅させたうえに、その後でもうひとつとんでもないことをやらかしてしまうのだ。

 このシーン、ラストにつなぐ前の、作中でもかなり重要な場面である(そういえば「モンティ・パイソン」のくだんの映像も、人食いギャグがエスカレートしてイギリス女王をも巻き込んだオチへとなだれ込む前の、重要なところに位置していた)。そんなところで読者を笑わせてしまうのだから、彼の意図はおのずと明らかだ。

 「モンティ・パイソン」がイギリス女王をネタに好き勝手なギャグを繰り広げたように、トマス・ハリスもまたレクター博士をネタにして遊んでいる、そんな印象を受けた。「モンティ・パイソン」との大きな違いは、もちろんレクター博士がハリスの創作物である、というところ。これはもう、そこまでの底力をもつキャラクターを創造できた作家の特権だろう。

 豪華なおぜん立ての上でやってのけた、壮大なポトラッチ。

 もう、レクター博士をまともな形で小説に登場させることはできないだろう*1。シリーズを重ねる毎に痛々しい存在と化してしまった「13日の金曜日」のジェイソンなんかに比べれば、彼の最後ははるかに幸せだ。

*1 : 2008/01追記:ハンニバル・ライジング(笑)。