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2000年12月の日記

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the TWELVE FORCES

小説
~海と大地をてなずけた偉大なる俺たちの優雅な暮らしぶりに嫉妬しろ!~

the TWELVE FORCES戸梶圭太 / 角川書店

 アメリカのエンターテイメント作家が書く小説は、しばしばジェットコースターにたとえられる。息もつかせぬ勢いでめまぐるしく展開する物語は、確かにジェットコースターを思わせる。

 この『the TWELVEW FORCES 海と大地を(以下略)』も、そんなジェットコースターの影響がうかがえる作品だ。もっとも、作品のスタイルは、ジェットコースターとはかけ離れているけれど。

 ジャングルで発見された謎の物体。世界的な大富豪ランドルフは、それが古代人の作った二酸化炭素除去装置かもしれない、ということを知る。かくして、その正体を探るために世界各地から学者、傭兵、冒険家がスカウトされ、あげくのはてには芸術家までもが招かれる。二酸化炭素除去装置で、この地球を救うために……。

 とまあ、こんなあらすじを書いてもあまり意味のない話である。

 主役はランドルフ、そして彼の集めたヘンな連中。ストーリーの展開そのものよりも、ひとつひとつの場面で、彼らがいかにヘンな活躍をするか、に力が注がれている。

 この作品を楽しむには、登場人物に強く感情移入しながら読むよりは、観客として眺めているほうがいい。

 章は細かく分かれているので、いっぺん読み終えてしまえば、実は適当なところからでもそれなりに楽しく読める。一気呵成に読ませるところに意義があるジェットコースタータイプとは趣をことにする作品なのだ。

 没入するよりも、眺めるタイプ。

 線としての流れよりも、点としての個々の場面。

 そう、これはジェットコースターではなく、言うなれば「読む花火大会」なのだ。

 しかもいささかやけくそ気味の花火大会である。 最後には派手な大玉を打ち上げてくれる。構成そのものは破綻気味の作品ではあるけれど、もともと「流れ」に整合性を持たせることなんかあまり意識していなかったに違いない。

 読んだら感動するとか考え方が変わるとか、そんなことは決してないだろう。

 変な付加価値をつけずに、純粋に娯楽に徹して見せた作品だ。

ストレート・レザー

小説

切り裂く刃はリンクを夢見る

ストレート・レザー ハロルド・ジェフィ / 今村楯夫訳 / 新潮社

 この短編集の題名から連想したのは、イギリスのヘヴィ・メタル・バンド、ジューダス・プリーストのアルバムだ。'80年の「ブリティッシュ・スティール」のジャケットには、剃刀の刃が描かれていた。中身は、いささか過激な歌詞と、装飾をほとんど削ぎ落とした楽曲。その特徴は、『ストレート・レザー』の題材と文体にもあてはまる。

 作者が好んで歌う題材は、暴力と性的逸脱だ。

 暴力は社会秩序の侵犯であり、同性愛や服装倒錯は性差にまつわる規範からの逸脱である。つまるところ、どちらも「秩序の混乱」なのだ。

 二つの要素はしばしば連動している。だから、この短編集での暴力行為はある構図をとることが多い。それは性的秩序を維持する側と、そこから逸脱する側との衝突だ。例えば、表題作に登場する死刑執行人と若者の関係がそうだ。「シリーズ/シリアル」の男嫌いの女殺人者と、被害者の男たちの関係も同じである。

 暴力を「社会秩序の維持」の名のもとに否定するのはたやすい。だが、個人的な嗜好である性的逸脱はどうか? この二つが絡み合い、しかも人種差別/性差別といった既成秩序の負の面が描かれることによって、「秩序維持=正義」という図式は切り裂かれてゆく。

 もっとも、このような題材の選択と視点は、すでに多くのミステリーやホラーに見られる(どちらも、社会秩序、あるいは日常的な秩序の混乱を好んで描くジャンルだ)。

 むしろ注目すべきは、その表現方法だ。

 作者が奏でる文章に目立つのは──省略/欠落/装飾の排除。

 個々の短編はいたって短い。文章は切り詰められている。会話だけで地の文がない短編もある。作者が創り出した架空のスポーツやテーマパークの名前が、何の説明もなく飛び出す。省略という点で特徴的なのは「透明人間」の文体だ。原文の一部はあとがきに載っている。何でもかんでも切り詰めてしまうそのスタイルは、英語圏のWebページで見かける略語とジャーゴンまみれの文体を思わせる。

 Web的なスタイルといえば、本書の短編は、それぞれの要素によって互いにリンクしている。例えば表題作と「シリーズ/シリアル」は、「剃刀で男の下半身をいためつける二人組」という要素でつながっている。「ネクロ」と「迷彩服とヤクとビデオテープ」を結ぶのは、白人の不良警官だ。

 極端な短さ、そして短編どうしのリンク。そう、これは印刷物として読む(read)よりも、Webの上で眺める(browse)のに適したスタイルの小説だ(1ページに長い文章が鎮座ましますWebサイトにうんざりしたことはないだろうか?)。題名こそ切断をイメージさせる短編集だが、その文章はリンクを──つながりを志向している。

 最近、スティーヴン・キングが「ライディング・ザ・ブレット」をインターネットで配信した。配信形態こそ変わっているが、あれは印刷物の形でも十分に読みやすい──むしろそのほうが読みやすい。それは、キングが従来の小説と同じスタイルで書いているからだ。しかし、『ストレート・レザー』のスタイルは違う。本書が奇異に見えるのは、印刷物の形をとっているからではないだろうか。もしもブラウザで見るのに適した形で提供されていたら、果たしてどうだろう?

 ジューダス・プリーストが自らの音楽を剃刀にたとえた「ブリティッシュ・スティール」だが、もっと激烈な音楽があふれる今では、その魅力はむしろ激しさ以外のところにある。『ストレート・レザー』もまた、いつかは奇抜でもなんでもない作品になるのかもしれない。

愛はいかがわしく

ノワール

負け犬ペテン師、人生張った大バクチ

愛はいかがわしく ジョン・リドリー / 角川書店

 なにをやっても裏目に出る、って時がある。一度や二度ならいいけれど、いやと言うほどそんな目に会うやつもいる。

 本書の主人公、ジェフティもそんな不運な連中の一人だ。成功を夢見てハリウッドに出てきたはいいけれど、今じゃケチな寸借詐欺でその日をしのいでいる。女には縁はなく、友は酒とバーテンだけ。おまけに借金地獄に首まで浸かっているときたもんだ。

 物語の冒頭、ジェフティは高利貸しの用心棒に指をへし折られてしまう。次は命だ、と脅されながら。かくしてこの冴えない詐欺師は、借金地獄から抜け出すべくあの手この手を繰り出すが……

 半端じゃなく切羽詰った状態に置かれているジェフティの様子を見ていると、なぜか西原理恵子のマンガを思い出してしまう。彼女が描くダメ人間同様、ジェフティもかなり情けない(でもどこか憎めない)男なのだ。

 物語は、そんな負け犬が一念発起して大活躍という、お約束どおりの展開をたどる。もっとも、具体的に何をするのかは知らないほうがいい。だから、カバー見返しのあらすじ紹介は読まないほうがいいだろう。

 人生を賭けた大勝負に挑むジェフティの内面は前半とは打って変わってかっこよさすら漂うが、でもどこか憎めない情けなさは相変わらず。それはラストシーンにもちゃんと出ている。

 わずかな出番でもしっかりと印象を残す脇役たち。

 ハードボイルド・ヒーローみたいに減らず口を叩くのはいいけど、そのたびに酷い目に会う主人公。

 そして何より饒舌な語り口。

 会話だけでも十分に楽しませてしまうところは、作者の映画畑での経験がものを言っているのだろうか。映画の影響が濃厚な語り口は、エルモア・レナードを連想させる。

 もっとも、作者のハリウッドに抱く感情は複雑だ。後半、ジェフティが仕掛ける大勝負の設定にも、作者の複雑な愛憎がにじみ出ている。

 この作者の邦訳には、ほかに『ネヴァダの犬たち』(ハヤカワ文庫NV)という作品がある。こちらは言葉を切り詰めた、ジェイムズ・M・ケインばりの犯罪小説(オリバー・ストーン監督で映画化されているらしい)。こちらもオススメ。

ドラキュラ戦記

ホラー

吸血鬼が闊歩する、豪華な戦争活劇小説

ドラキュラ戦記キム・ニューマン / 創元推理文庫

時は1918年、第一次大戦のさなか。撃墜王・リヒトホーフェン率いるドイツ吸血鬼戦闘航空団が、西部戦線の空を血に染める。ドイツ航空団の拠点マランボワ城を探る指令を受けた英国情報部員は西部戦線へと向かう。

 一方、祖国アメリカを捨て、吸血鬼として生き続けるエドガー・ポオもまた、ドイツ皇帝のある依頼を受けてマランボワに向かう……。

19世紀末の大英帝国にドラキュラが君臨するという『ドラキュラ紀元』の続編。

ドイツ航空団の秘密兵器は、吸血鬼ものならではの怪奇趣味に満ちている。なにしろドイツ軍の上層部にいるのは、カリガリ博士やマブゼ博士といった「悪の科学者」なのだ(そういえば、リヒトホーフェンの二人の従僕って、20年代のドイツで「吸血鬼」の異名をとった実在の連続殺人者だ)。

そう、この作品の最大の特色は多彩な登場人物にある。リヒトホーフェン、マタ・ハリ、チャーチルといった実在の人物はもとより、さまざまな文芸作品や映画の作中人物が何人も登場する。ドイツの悪の科学者を筆頭に、前線で奇怪な人体実験を重ねるドクター・モローと助手のハーバート・ウェストやら、負傷して下半身付随になってしまうチャタレイさん、はてはフィリップ・マーロウの生みの親、レイモンド・チャンドラーまで顔を出す。

最も印象に残るのが、クライマックスで重要な役割を演じる、ある人物の存在だ。本当はこれを書きたかったのではないかと思えるほどで、著者がいかに吸血鬼好きかがうかがえる。

巻末には前作同様、膨大な登場人物事典が付いている。作中にでてくる人名のほぼすべてを網羅している。なにしろ、脇役にいたるまでほとんどすべての登場人物が実在、または原作つきなのだ。

 この事典、訳者が作ったようだが、もしかしたら翻訳よりも大変だったんじゃないだろうか。

Mr.クイン

ミステリ

ラディカル・シニカル・パズル

Mr.クインシェイマス・スミス / 黒原敏行訳 / ミステリアス・プレス文庫

 クインは麻薬王の影のブレーン。完璧な犯罪計画を立て、それをボスに伝授する。彼の存在を知るのはボスただ一人。彼の存在は腹心の部下たちにも知られていない。

 クインがめぐらす犯罪計画は綱渡りに似ている。危ない橋も渡ってみせるが、落ちたときのために網を張っておくことも忘れない。

 作中、クインはしばしば意図の読めない指示を下す。犬を飼え、壊れた携帯電話を用意しろ、などなど。その多くが実はこうした予防措置なのだ。数々の謎めいた指示が効果を発揮する後半は、クインたちの計画をかぎつける新聞記者の存在も手伝って、さながら謎解きミステリの解決シーンのような楽しさがある。

 完全犯罪めざして計画を練る犯罪者といえば、ほかにはリチャード・スターク描く悪党パーカーが有名だ。どちらも犯罪をビジネスと割り切っていることは共通している。冷酷ではあるが残酷ではない。綿密な下調べの上に計画を立て、日ごろからリスクマネジメントを怠らない。まっとうな仕事に就いていても、それなりに成功しそうな人物である。

 だが、パーカーとクインのあいだには大きな違いがある。

 それは家族の存在だ。

 パーカーは家族らしい家族を持たない。

 子供はいないし、第一作からすでに夫婦関係の破綻した男として登場する。しいて挙げるなら、愛人のクレアぐらいか。

 クインには妻子がいる。犯罪計画と並行して、クインの浮気が妻にばれてさあ大変、という騒動が描かれる。妙な屁理屈をこねて自分を正当化してみたり、ブラックではあるがユーモラスな一幕だ。

 だが、クインの家族に接する姿勢を見るがいい──その冷酷なまでの計算高さは、犯罪者としての彼の姿勢とまったく同じだ。浮気はあっけなくばれてしまうものの、その後は彼ならではの危機管理の手腕が発揮される。

 パーカーは家族を持たないからこそ、読者にそういう面を見せずにすんでいた。いや、彼はアンチ・ヒーローというよりは、たまたま犯罪を生業とする冷酷なだけのヒーローなのかもしれない。なにしろ愛人のクレアが人質にとられたときには、その身を案じて無理をしたこともあったくらいだから。

 クインは違う。家族でさえも「ビジネス」と同じような計算の対象にしてしまう。家族といえば利益関係以外のなにかで繋がっている存在、少なくともそういうことになっている。そんな幻想を軽妙に、しかし冷たく笑い飛ばしてしまうのがクインという男である。

 正統派アンチ・ヒーローの登場だ。