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2002年2月の日記

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パイド・パイパー

冒険小説
ISBN:448861602X ネビル・シュート/創元推理文庫

 第二次大戦がはじまって間もない1940年。スイスの保養地を訪れていた老弁護士は、戦局が緊迫するなか、イギリスへの帰途につく。戦火が広がるフランスを、老人はひたすら故国を目指して旅をする。スイスで知り合った、イギリス人の子供二人を連れて……。

 ネビル・シュートといえば「渚にて」だけが有名だが、実のところこの人は冒険小説家として評価が高いのだそうだ。本書を読めば、その評価にもうなずける。決して派手な物語ではない。老いた主人公が、子供たちを引き連れて、戦火の中イギリスを目指す、ただそれだけの物語だ。

 が、これがけっこうスリリングなのである。連れている子供たちは境遇をよく理解しないまま、ドイツ兵がいる町で英語をしゃべってしまうこともある。しかも主人公は老人。温和な人柄と人々の善意だけを頼りに、ドイツ軍に立ち向かう。一晩宿に泊まるだけでも、そこには強い緊張感がある。

 題名の「パイド・パイパー」には、老人についてゆく子供たちがだんだん増えてゆく物語の展開に加え、ハシバミの枝を削って笛を作るという老人の特技を象徴しているが、この特技が泣かせる。「若い読者が本書をどう読むかはわからないが」なんて解説には書いてあるけれど、老人が戦災孤児に笛を作るくだりといい、笛作りからふと我が子のことを思い出すくだりといい、身につまされることはなくとも、その叙述は淡々としているだけに胸にしみる。

 本書の敵役はもちろんドイツ軍。だが、その描き方は(トム・クランシーがアラブ人を描くような)単純な「悪役」としてのものではない。例えば、老人が遭遇するゲシュタポの士官の姿を見るがいい。一行の行く手を阻む敵ではあるが、あくまでも「ドイツ人としての立場」を背負ったひとりの人間として描かれているのだ。

 ちなみに本書が書かれたのは1942年。ドイツ軍は交戦中の敵なのだ。戦意を高揚させる言説が幅をきかせていたであろう時期に、敵をこのような血の通った存在として描いてみせたシュートは、実に懐の深い作家だ。

2008/01/03追記

その後、冒険小説で読む第二次世界大戦のために再読した。ついでにいろいろ調べている途中で知ったのだが、このひと、英国史上有数の珍兵器パンジャンドラム(→Wikipedia)の開発にも関与していたらしい。懐が深いにもほどがある。