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犬は勘定に入れません

SF
ASIN:4152085533コニー・ウィリス / 大森望訳 / 早川書房

 ええい、犬猫を使うとは卑怯な。

 別に犬好きでも猫好きでもないのだが、この本に出てくる犬と猫はいいぞ。主人公のベッドを奪ってしまうさまといい、鎖でつながれて意気消沈するさまといい、せりふはなくとも十分記憶に残る存在だ。

 人間たちも同様。わがままお嬢様にのんきな坊ちゃん、世間からずれた象牙の塔の先生に押しの強いオバサンと、戯画化されたステレオタイプな人たちだけど、それだけに言動は分かりやすい。

 で、この作品はキャラクター同士がじゃれあうだけのコメディにはとどまっていない。しっかりしたストーリーに支えられているのだ。

 オックスフォード大学史学部の学生ヘンリーは、史学部のスポンサー、レディ・シュラプネルの強引な命令で、第二次大戦で焼失したコヴェントリー大聖堂再建のために時間旅行を繰り返していた。ついに過労で倒れたヘンリーだが、シュラプネルのいる現代ではおちおち休むこともできない。ヘンリーの身を気遣ったダンワージー先生は、彼をのんびりできそうな19世紀後期の英国へと派遣する。だが、時間旅行のしすぎで頭がボケていたヘンリーは、託された任務の内容をちゃんと聞いていなかった……。

 序盤のヘンリーは時代差ボケのため、周囲の状況を正しく認識できない。そんなわけで、ヒロインのヴェリティが出てきて事情を整理してみせるまで、状況がよく見えないのは難点と言えば難点。

 でも、その後の巧みなストーリー展開に比べれば、これは小さな瑕に過ぎない。

 ヘンリーの行動がきっかけで、レディ・シュラプネルの先祖のお嬢様が史実と異なる相手と恋に落ちてしまう。なんとか歴史を本来の方向に軌道修正しなければ! でも、彼女の結婚相手は誰だろう? これに加えて、もともとヘンリーが探していた大聖堂の「主教の鳥株」の行方が絡み合い、ミステリ風味のドタバタ騒ぎが繰り広げられる。

 ポイントは、ヘンリーと同じく21世紀からやってきたヴェリティの存在。実は彼女は、クリスティーやセイヤーズといった黄金時代のミステリのマニアなのだ。かくして物語の雰囲気は、クリスティー作品のようになる。それも、ポワロやマープルの代わりに、若い男女が主役を務める一群の作品だ。『秘密機関』とか『七つの時計』とか。

 そういえば、お嬢様の結婚相手や「主教の鳥株」に関する真相を隠す手際もクリスティー風かもしれない。作中のヴェリティが意識してるのは、もっぱらセイヤーズなんだけど。

 そして何より、生々しさを抑えた背景世界の構築がクリスティーを連想させる。クリスティーは、そんな心地よい空間に「殺人」を放り込んだわけだが、ウィリスの場合は代わりに「タイムトラベルが巻き起こす災い」を持ち込んでいる。

 ともあれ、心地よく読める物語ではある。なにしろ:
 いやそれとも、ペディック教授はもともと溺死するはずで、その彼を救出したことは、僕の罪状リストに新たな項目をつけ加えたのか?
 でも、もしあれが罪だったとしても、そんなにうしろめたい気持ちにはなれなかった。おかげで僕の人生が相当ややこしくなったとはいえ、教授が溺死しなかったことはうれしい。
こういうシンプルな善良さに裏打ちされた物語なのだ。ヘンリーもヴェリティも、人だけじゃなくて、犬や猫のことも心配している。

犬も勘定に入れようじゃないか。もちろん猫だって。

……と、たいへん幸せな気分でこの本を読み終えたわけだが、訳者あとがきにひとつ悲しいことが書かれていた。あとがきのおしまい近くに記された、作者の近況。
9・11に直面して、それまで書いていたUFO陰謀理論ネタのコメディを放り出し、積年のテーマであるロンドン大空襲を正面から書くことにしたのだという。
アメリカの正義もアラブの大義もどうだっていいが、この一節を読んで、私ははじめて本気であの事件をもたらしたものに怒りを覚えた。なんてことを! せっかくのUFO陰謀理論が!

まあ、積年のテーマなのだから仕方ない。きっと読ませる作品に仕上がることだろう。

でもUFO陰謀理論ネタも忘れないでほしいなあ。

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