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最終章

ISBN:4150017158スティーヴン・グリーンリーフ / ハヤカワ・ポケットミステリ

 このサイトの更新頻度からも分かるように、ひとつのことをこつこつと続けるのが苦手だ。だから、シリーズものを通して読みつづけることもめったにない。
 グリーンリーフ描く私立探偵タナーの物語は、その数少ない例外だ。

 どうしてだろう?

 プロット作りが優れているから? たしかにグリーンリーフの話作りはうまい。でもそれだけじゃない。
 このシリーズを飽きることなく読み続けられたのは、グリーンリーフがグリーンリーフであり続けたから--枯葉にならなかったからだ。

 第一作「致命傷」は、ロス・マクドナルドが作り上げた私立探偵小説のフォーマットに忠実な小説だった。このころからプロットは精緻だったが、あまりにも基本に忠実である、というところがかえって作品の印象を弱めていた。

 それはグリーンリーフ自身も気づいていたのだろう。彼の私立探偵小説というジャンルへの認識は、やがて「探偵の帰郷」からのいくつかの作品で、私立探偵小説への自己言及のような形で実現される。そして、作品のプロットも「ジャンルのお約束」に縛られないものになってゆく。

 シリーズで最も有名なのは「匿名原稿」だが、これなんかは私立探偵小説以外のジャンルのお約束にもとづいて書かれた私立探偵小説と言ってもいいだろう。以降の作品も、ジャンルの定型から踏み出しながら、しかし私立探偵小説としか呼びようのないものになっている。

 最終章なんて題名につられて、ついついシリーズをまとめてしまうようなことばかり書いたけど、もちろんこれはグリーンリーフの最終章なんかじゃないはずだ。

鮮血色の夢

ニューヨークで繰り広げられる、民族の血と憎悪の戦い

マイクル・コリンズ / 木村仁良訳 / 創元推理文庫

 片腕の私立探偵フォーチューンが依頼されたのは、ユーゴスラヴィアから亡命してきた老人の捜索。教会に張り込んでいた彼の見込み通りに姿を現した老人だったが、フォーチューンが声をかけると夜の底に消えていった……。

 舞台は70年代のニューヨーク、枠組みは典型的私立探偵小説、でも内容はまるで90年代の小説みたいだ。

 本書に登場する人々の多くが東欧系である。主人公の探偵フォーチューンもポーランド系だ。彼が創作を依頼される老人はユーゴスラヴィア出身。老人の娘婿はリトアニア人。ハンガリー動乱に参加した、ハンガリーからの亡命者も登場する。

 祖国を失い、その解放に憑かれた人々。リトアニアの土を一度も踏んだことのないリトアニア青年が戦いを叫び、動乱で戦った老将が解放を訴える。これは、そんな人々が織りなすドラマだ。圧制と憎悪の歴史に翻弄された人々の悲劇だ。

 クライマックスで明かされる真相は、民族紛争の歴史と、その重みを負った人々の業を感じさせ、実に衝撃的だ。

 本書の舞台はニューヨークだが、登場人物たちの心のよりどころの在処を思えば、本当の舞台はニューヨークではない。抑圧するものとされるものの構図がくっきりと浮かび上がる東欧諸国……あるいは、もっと普遍的な世界そのもの。

 ちなみに、ここに描かれるのとよく似た「抑圧者の正史-被抑圧者の叛史」というモチーフを多用する船戸与一の作家デビューは、本書の発表からほんの数年後のことである。冷戦構造を下敷きにした小説があふれる中で、船戸与一もコリンズも「その先」を見ていたのかもしれない。

消えた女

都会の闇が浮かび上がる大江戸ハードボイルド

藤沢周平 / 新潮文庫

 しがない版木の彫師・伊之助は、かつては凄腕の岡っ引きだった。だが、女房が男と心中して以来、浮かない日々を過ごしていた。だが、弥八親分の娘が失踪したと聞き、彼は重い腰を上げて、江戸の町にその行方を追うことになる……。

 時代小説作家・藤沢周平は一方で海外ハードボイルドの愛読者でもあったようで、この作品にはそんな作者の嗜好が如実に反映されている。

 いわくつきの過去を背負った元岡っ引きという伊之助のプロフィールは、60年代以降のアメリカ私立探偵小説に描かれる典型的な主人公像(一般市民を巻き添えにしてしまった元刑事など)と重なり合う。例えば、本書で伊之助はほかの岡っ引きから「もう一度十手を持たないか」と誘われるが、その姿はローレンス・ブロック描く元刑事のアル中探偵マット・スカダーが、ニューヨーク市警の刑事に「あんたは今もお巡りなんだよ」と復職を薦められる場面に符合する。

 そして作中に描かれる事件もまた、きわめて私立探偵小説的である。

 謎解きミステリの代表的な事件を「密室殺人」とするならば、私立探偵小説のそれは「失踪」だ。ブラックホールに飲み込まれたかのように、身近な人物が姿を消す。依頼を受けた私立探偵がその行方を追ううちに、失踪者が姿を消さざるをえなくなった事情が浮かび上がる。それはたいていの場合、社会が抱えるさまざまな問題に結びついている。失踪者を飲み込むブラックホールは、社会のひずみから生み出されるのだ。

 ほとんどの私立探偵小説が都会を描いているのは、その舞台としてそれなりに規模の大きな社会が必要だからだ。失踪者を飲み込んでしまえるくらいに大きく、複雑化した社会が。その点、当時世界有数の大都市だった江戸には、十分「失踪」の舞台になる資格が備わっている。

 ハードボイルドとはジャンルと言うよりは作品のスタイルだ。主人公はどこか社会体制に順応しきれない人物で、時には正真正銘のアウトローのこともある。その社会へのまなざしは、決して上から見下ろすものではなく、下から見上げる性質のものだ。

 本書が、江戸を舞台にしながらもなぜかアメリカの私立探偵小説を連想させるのは、作者がそういったハードボイルドの核を捉えていたからだろう。

幻の終わり

幻の終わり キース・ピータースン/ 創元推理文庫

 昔気質の新聞記者ウェルズは、有名な海外通信員のコルトと出逢った。意気投合したふたりは、酔いつぶれるまで酒を呑む。その翌朝、コルトは謎の男に殺されてしまう。殺人の目撃者となったウェルズは、酩酊したコルトが口にした「エレノア」という女の名前を手がかりに、彼の過去を求めてニューヨークをさまよう。だが、その身に危険が迫る……。

 新聞記者ウェルズが登場するシリーズ第一作『暗闇の終わり』が絵に描いたような私立探偵風ハードボイルドだったので、てっきりこの本もそうだと勘違いしていた。だがこれは、作者がたくさん書いているようなスリラー/サスペンスなのだ。

 読者を飽きさせることなく次から次へと起きる事件。主人公ウェルズは思索型というよりは行動型だが、その行動の背景は見えづらい。コルトが語ったエレノア像を、調査の過程で勝手にふくらませて、妄想をたくましくしているようにも見える。読者がどれほど感情移入できるのかは、どれほどウェルズの妄想について行けるかにかかっている、と言っても過言ではないだろう。

 ピータースンがもたらす、この「妄想誘発→炸裂」効果がどんな事態を引き起こしたのか知りたければ、シリーズ最終作『裁きの街』解説を読んでみよう。シリーズの根幹を揺るがすような凄いことになっている。おじさんの妄想力をあなどってはいけない。

 この作品がこんなにもおじさんの妄想力を喚起するのは、やはりエレノアの描き方の巧さのなせる業だろう。彼女は小説には直接あらわれず、人の言葉や新聞記事を通してイメージが伝えられるのだが、これがさほど綿密に描かれているわけではない。だから、あれこれ想像する余地が出てくるのだ。

 最近の娯楽小説(特にアメリカ産)は重厚長大化が目立つ。スティーヴン・キングの影響だろうが、人物や事物をじっくりと描写しているものが多いように思う。そういう小説も悪くないが、こんなふうに「はっきり描かない」ことによって、主人公はもちろん読者の想像力をも引きずりだす小説は実に魅力的だ。

 丸見えよりも、見えそうで見えないほうがそそられるというのは、やはり真理なのだ。