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炎に消えた名画

ノワール
ASIN:4594047734チャールズ・ウィルフォード / 扶桑社ミステリー

 野心あふれる若手美術評論家フィゲラスは、ある画家の取材をするチャンスを与えられた。ジャック・ドゥビエリュー。現代美術史の最重要人物でありながら、作品は火災で失われ、その後は沈黙を守っている幻の画家。彼に会うだけでも、フィゲラスの評論家としてのキャリアに大きな得点になる。だが、うまい話には落とし穴がつきもの。取材には、ある条件が付けられていたのだ……

 全編フィゲラスの一人称。自意識過剰で嫌味にあふれた語り口が実に「おじょーひん」で、小説の語り手としては非常にすばらしい(身近にいたら不快だが)。この口調で延々と日常生活を語って、そのまま終わっても一向に差し支えないくらいだ(隣にいたら殴るけど)。

 そしてもちろん、画家ドゥビエリューを忘れちゃいけない。その作品を鑑賞する機会が失われてしまったが故に美術史上きわめて重要な存在になったという、まるでチェスタトンが繰り出す逆説のような経歴の持ち主である。その言動にもシュールレアリストらしさが漂い、フィゲラスを翻弄する場面での悠然とした態度が印象に残る。

 最後の最後まで、先の読めない展開に翻弄される小説だ。翻弄されるのがこの本を楽しむうえでの大事なところなので、展開については触れないでおこう。

 ところでこの小説、ある種の批評としても楽しめる。もちろんドゥビエリューは架空の人物なので、レムの『完全な真空』や『虚数』、あるいはボルヘス&ビオイ・カサーレスの『ブストス・ドメックのクロニクル』(いま気づいたがどれも国書刊行会の本だ)のような、「架空の対象に対する批評」という趣向だ。

 存在しない作品の批評。それはフィゲラスの口からも語られるけれど、フィゲラスの思惑を抜きにした物語の全体像が、ひとつのシュールレアリスム論になっているように見える。

 また、この小説に描かれる、評者とその対象の関係も興味深く、いろいろと考えさせられるところがあった。

 たとえば、印象深かったのはこんな台詞だ。
じゃ何がわかってるのかというと、ドゥビエリューがアメリカで描いた絵を見る最初の批評家になろうと俺が決意したこと、〈アメリカ期〉という呼称もすでに決めていること、ただそれだけだ! (p.109-110)
 まだ何も見ていないというのに、すでに呼称まで決めている。フィゲラスの批評の枠組みにドゥビエリューをどう位置づけるのかも、すでに決まっているのだろう。もちろん、純粋に客観的になれる人間なんていないのだから、多かれ少なかれフィゲラスみたいな傾向は生じるのだけれど……。

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キマイラの新しい城

ミステリ
ASIN:4061823914殊能将之 / 講談社ノベルス(→講談社文庫

 鉄の怪物が跋扈する異様な世界に紛れ込んでしまった戦士が、黒い剣を武器に大暴れする本格ミステリである。

 フランスの古城を移築して作られたテーマパーク。その社長が、750年前に死んだ城主の霊に取り憑かれてしまった……? 「私を殺した犯人をつきとめてくれ」社長の依頼を受けてやってきた石動戯作とアントニオ。だが、事件の子細もその容疑者も、すべては社長の頭の中。かくして石動は、重役や従業員らの手を借りて、現場だった古城の中で、当時の状況を再現することに……

……というお話。そんなわけで、冒頭に書いたことは嘘ではない。

 城主の霊に憑かれたという社長は、途中でテーマパークを抜け出して、トキオーンの都にあるロポンギルズ(なんのことかわかりますよね)目指して旅に出るのだ。750年前のフランス人(外見は日本人だが)を現代の都市に野放しにするとろくなことにならない。この社長も、ドン・キホーテばりの騒動を巻き起こす。

 750年前の殺人の謎解きは、往年の島田荘司みたいな仕掛けもあってそれなりに楽しいが、やや小粒という印象はぬぐえない(空回りしちゃった時の島田荘司のようなものか)。やはりこれは「社長大暴れ之巻」として楽しむものじゃないかと思う。

 そういえば、前半にこんな台詞があった。
歴史ミステリもちゃんと読まなくちゃだめだ。『ビロードの悪魔』は傑作だよ……(本書p.144)
 国産本格ミステリにしばしば登場するカー崇拝者の発言である。

 『ビロードの悪魔』はディクスン・カーの隠れた傑作(といろんな人が言うので、今やあまり「隠れた」とは言えないかもしれない)。二〇世紀に暮らす主人公が、悪魔と契約して過去の世界に旅立ち、冒険を繰り広げる物語だ。

 で、本書はその裏返し。過去の時代の人間が、亡霊として「現代」を体験するのだ。過去の人間が現代にやってきて右往左往、という物語は珍しくないけれど、現代日本の描写に仕込まれた細かいネタのおかげで、愉快なバカ騒ぎに仕上がっている。

 ちなみに、登場人物のほぼ全員が、マイクル・ムアコックの〈エルリック・サーガ〉をもとに命名されている(『黒い仏』とは趣向が違うので、書いてしまっても大丈夫だろう)。江里陸夫=エルリック、西森ルミ=サイモリル……といったところはわかりやすいが、若林蘭三=ジャグリーン・ラーンとか、大海永久=ディヴィム・トヴァーなんてのは感動に近いものを覚えてしまう。

 混沌の神アリオッチまで出てくるのには笑ってしまった。とはいえ世界が混沌に飲み込まれたりストームブリンガーが飛んでいったりはしないのでご心配なく。

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揺籃の星

SF
上巻下巻ジェイムズ・P・ホーガン / 創元SF文庫

ちょっぴりいかがわしいけど、このワクワク感が懐かしい。

プロローグや、土星の衛星で妙なものが発見されるあたりは『星を継ぐもの』を、地球の外に理想郷を築いたクロニア人の描写は『断絶への航海』を連想させる。

トンデモ理論を下敷きにした大風呂敷の広げっぷりが楽しい。登場人物が討論を重ねる『星を継ぐもの』に比べると、可能性をほのめかすだけのことが多いので、論証の説得力ではやや劣るのだけれど。

同じくトンデモ話を扱った山本弘『神は沈黙せず』を読んだときに物足りなかったのが、作中で広げられる大風呂敷が、主人公たちの物語と微妙に噛み合っていなかったところだ。でも、この作品は大丈夫。あやしげな宇宙論から導かれるのは、地球規模の大災害だ。

かくして大風呂敷を広げる上巻に続く下巻は、災害パニック小説と化す。サービス精神あふれる娯楽作品だ。

三部作の第一部という本書はほんとうに序章のような感じ。続く2作で、このビリヤード台みたいな太陽系に何を巻き起こすのか楽しみだ。

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