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女刑事の死

ミステリ
ASIN:4151756019ロス・トーマス / 藤本和子訳 / ハヤカワ・ミステリ文庫

(解説)ゲームはポーカー・フェイスで

 ディプロマシーというゲームをごぞんじだろうか。

 プレイヤーの数は六、七人。各自が二〇世紀初頭のヨーロッパ列強各国を受け持って、自国の勢力拡大を目指してしのぎを削る。サイコロを振ったりカードを引いたりという不確定要素は皆無で、プレイヤー同士の駆け引きがものをいう。史実の列強のように二枚舌外交を繰り広げて秘密協定を結び、ときには裏切りも交えつつ、合従連衡を繰り返して覇権を目指す……という、複雑怪奇な国際関係の雰囲気をうまく再現している。純真な方にはおすすめできない。相手を欺くことも辞さない、冷徹な交渉を楽しむゲームなのだ。

 一対一の駆け引きではない。それぞれの利害を抱えた多数の陣営による、錯綜した駆け引き。それは、ロス・トーマスが描く、多彩な登場人物の織りなす複雑な駆け引きの絵図にどこか似ている。



 ロス・トーマスのデビュー作は一九六六年の"Cold War Swap"。日本では『冷戦交換ゲーム』という題名で刊行された。

 舞台は東西冷戦下のドイツ。腕利きの情報部員パディロは、米ソの情報機関同士の密約によって、ソ連に亡命した数学者を取り戻すのと交換に、ソ連に引き渡されることに。所属機関に裏切られたパディロを、親友である酒場の経営者マッコークルが助けに向かう。

 冷戦を背景にしながらも、米ソの対立とはまったく別の対立軸を描いてみせたこの作品には、後の作品にも共通するトーマスの個性がたっぷり詰まっている。

 たとえば、癖のあるキャラクターの造形。あるいは、登場人物どうしの複雑な利害関係の網。同じ側に属していても、一枚岩なんてことはありえないのだ。そして、そんな構図の中で描かれる、裏切りと密約が絡み合ったコン・ゲーム風の騙し合い。

 キャラクターの造形、そして軽妙な会話の楽しさは、トーマス作品の土台を支える重要な要素である。また、登場人物たちの織りなす人間関係と、そこから導かれる先の読めないプロットは、トーマス作品ならではの独特のものだ。彼の物語の展開は、ときに難解と評されるくらいに錯綜している。というのも、登場人物たちが、さまざまな場面で相手と自分の手札を見極めて、虚々実々の駆け引きを繰り広げ、事態を複雑にしてゆくからだ。

 デビュー作の邦題にある「ゲーム」という言葉は、原題にこそ含まれていないものの、ロス・トーマスの作品世界を的確に表している。ここには、単純な熱血漢などいない。誰もが冷徹なゲーム・プレイヤーなのだ。勝負に臨むときはポーカー・フェイス。感情をあらわにすることはほとんどない。

 もっとも、ゲームの合間には、ふと心の底をあらわにする瞬間がある。このさじ加減もまた、トーマスならではのものである。



 本書『女刑事の死』も、そんなトーマスらしさを十分に備えた作品だ。

 妹の死を知らされた兄が、故郷の街に帰ってきて事件の真相を探る……という展開だけなら普通のミステリだ。だが、彼は実はある任務を帯びていて……と、次から次へと別のプロットが飛び出す。それでいて、物語は破綻することなく進行する。構成の緻密さでは、本書はトーマス作品の中でも頂点に位置する。

 主人公ベンジャミン・ディルは、ゲーム・プレイヤーとしての姿勢を貫いている。特に身を守るための切り札の残し方は巧妙で、ワシントンという政治の中枢で生き延びているだけのことはある、と思わせる。また、交渉のためにいささか過激な行動に及んだことを指摘されるくだりも印象深い。
「おれはずっとああいうやりかたをしてきたんじゃないかな」
「でも、演技ではあるんでしょ?」
「そうさ」とディルはいった。「演技さ」ほんとにそうなのだろうか、と彼には確信がなかった。
 演技なのかどうか、当人も確信が持てないくらいに、駆け引きのための振る舞いが身にしみついている。

 もちろん、ゲームの最中はポーカー・フェイス。感情を吐露することはほとんどない。だが、ディルが決して冷淡な人間ではないことは、あのラストシーンをお読みになった方ならばおわかりだろう。右の引用部で言及されている過剰な行動も、亡き妹を思うがゆえのものだったのかもしれない。



 語るべきことはまだまだたくさんあるけれど、そろそろ終わりにしよう。

 ロス・トーマスは一九九五年に亡くなるまでに二十五の長編を発表し、そのうち十六作が翻訳された。だが、二〇〇五年六月現在、新刊として入手できるのは本書だけである。

 本書が初めて訳されたのは一九八六年。それまで「好事家向け」だったトーマスの人気が上昇するきっかけになったのがこの作品で、本書以降の邦訳作品は年末の人気投票にも顔を出すようになったという。

 本書のハヤカワ・ミステリ文庫での復活をきっかけに、多くのミステリ・ファンのもとに、再びロス・トーマスの数々の名作が届くようになることを願っている*1

*1 : 2008年1月現在、他の作品はまだ復活していない。悲しい。

暴徒裁判

ミステリ
ASIN:4150715572クレイグ・ライス / 山本やよい訳 / ハヤカワ・ミステリ文庫

(解説)いつでも人生の明るい面を見ていこう

 クレイグ・ライスの小説を読んでいると、ある歌のことを思い出す。
 イギリスが生んだ不滅のコメディ・グループ、モンティ・パイソン。彼らの繰り広げるシュールなジョークと不条理なドタバタ騒ぎは、いくつもの名曲や迷曲に彩られている。その中で最も有名なのが、"Always Look on the Bright Side of Life"。題名のとおり、「いつでも人生の明るい面を見ていこう」と呼びかける陽気な歌である。もともとは彼らの映画『ライフ・オブ・ブライアン』のラストを飾った歌で、イングランドのサッカー好きが口ずさむ歌としても知られている。テレビのCMでも何度か使われたことがあるから、たとえあなたがモンティ・パイソンやサッカーに興味がなくても、そのほのぼのとしたメロディだけはご存じかもしれない。

 モンティ・パイソンの歌とクレイグ・ライスの小説のつながりを語る前に、まずはこの本について述べておこう。
 本書『暴徒裁判』はライスの五番目の長編で、デビューから二年後の一九四一年に発表された。一九四〇年代前半、ライスが次々と傑作を生み出していた時期の作品である。
 主役は、デビュー作以来の三人組。おっちょこちょいな熱血漢のジェイクと、その妻で気の強い美女ヘレン。そして、二人が首を突っ込んだ事件に引きずり込まれ、解決へと導くことになるのがジョン・J・マローン。彼は頭も薄くなりかけた小男で、感傷的な酔っぱらいである。でも、弁護士としては超一流。法廷に立てば負け知らずの腕前を誇る。ちなみに、マローンだけでなく、ジェイクもヘレンも常軌を逸した大酒飲みだ。まるで泳ぎ続けないと死んでしまう魚のように、三人は酒を飲み続ける。
 三人のホームグラウンドはシカゴだが、本書の舞台はウィスコンシン州の田舎町。都会から離れているという点で、本書はシリーズの異色作である。もっとも、異色なのは舞台だけ。小道具こそ田舎ならではのものに置き換えられているけれど、にぎやかな騒動の様子はシリーズのほかの作品と変わらない。いずれにしても、この本で初めて三人の活躍を知ったという方には、ぜひ『大はずれ殺人事件』や『大あたり殺人事件』といった、地元シカゴで繰り広げられる物語もお薦めしたい。
 ストーリーを進行させるのは三人のアクション。その派手さは、映像化した場合、台詞がなくても話の流れを追うことができるんじゃないかと思えるほどだ。特に本書は、展開の派手さではシリーズでも上位に位置する作品である。「絵」を想像しながら読むと、いっそう楽しめるはずだ。

 さて、本書を読んだ方はすでにお気づきだろう。ライスの小説が、ただ陽気なだけのものではないことに。
 例えば、本書のこんな一節だ。
「すべてが耐えられないぐらい悲しいような気がしてきた。人生はすばらしいのに、どう生きればいいのか、誰にもわかっていないみたいだし、世界はこんなにも美しいのに、それに目を向けるのは旅行者ぐらいしかいない。マローンは重大かつ感動的な真理を発見したのを感じ、たまらなく孤独になった」
 マローンが感傷的になって、孤独を感じる瞬間だ。狂騒の合間に、ふと淋しさが忍び寄る。
 あるいは、大恐慌のせいで精神に変調をきたしてしまったヘンリー・ピヴリーの姿。日常生活には支障がないとはいえ、その脳内のカレンダーは一九二九年で止まったまま、今も禁酒法の時代に生きている。必死に酒を隠そうとする振る舞いは微笑ましいけれど、ただ愉快というだけでは済まされない、言いようのない哀しみに包まれている。
 たしかにこの小説には、いたるところに笑いが満ちあふれている──でもそれは、同じくらいの哀しみに裏打ちされているのだ。これはどういうことなのだろう?

 ミステリの作家事典やブックガイドのたぐいをひもとけば、クレイグ・ライスについてはこんなことが書かれている。
 両親に捨てられ、親戚に育てられた。結婚と離婚を繰り返した。自殺未遂の経験あり。若くしてアルコール依存症になり、これが原因で早逝した。
 不幸なできごとの連続。彼女の作品のユーモアは、そんな境遇に抗うためのものだったのだろう。モンティ・パイソンの歌とクレイグ・ライスの小説が重なり合うのはここだ。辛い境遇だからこそ、人生の明るい面に目を向けるのだ。
 "Always Look on the Bright Side of Life"の歌詞は陽気なメロディとは裏腹に実にシニカルで、決して無邪気にポジティヴなメッセージを垂れ流すような歌ではない。そもそも、人生万事好調な人間が、わざわざ「明るい面を見ていこう」なんて歌うだろうか? モンティ・パイソンの映画でこの歌が歌われるのは、主人公が死を迎える場面だった。イングランドのサッカー好きがこの歌を口ずさむのは、ひいきのチームが敗れたときだという。
 どん底の哀しみと隣り合わせの明るさ。それが"Always Look on the Bright Side of Life"であり、ジェイクにヘレン、そしてマローンの物語である。三人がいつも酔っぱらっているのも、そんな人生観によるものだろう。この世は、素面で過ごすにはいささか哀しみの多すぎる場所なのだ。
 しかし、そんな境地から発せられる笑いだからこそ、なんの翳りもないポジティヴなだけのメッセージよりもはるかに力強く、ぼくたちを愉快な気分にしてくれるのだ。
 そういえば、クレイグ・ライスの創作活動が最も盛んだった一九四〇年代は、第二次世界大戦と重なっている。戦争という過酷な現実がのしかかっていた時代だけに、彼女の小説が大勢の読者に支持されたのも不思議ではない。

 辛いできごとのせいで、なんだか気分が沈みがち。そんなときには、クレイグ・ライスの小説が役に立つ。現実の難題を片づけてくれるわけじゃないけれど、重い気分をちょっとばかり軽くしてくれる。
 その秘訣は──そう、いつでも人生の明るい面を見ていこう。


三百年の謎匣

ミステリ
ASIN:4152086343芦辺拓 / 早川書房

 神秘の東洋に海賊に革命劇に秘境探検に西部劇に飛行船の旅。

 多彩な物語への憧憬をミステリの形で描いた、この作者ならではの作品だ。芦辺拓には過去の名作へのオマージュを織り込んだ作品が多数あるけれど、どれも原典の魅力を伝えようという熱意にあふれていて、心地よく楽しめる。

 不可解な状況で殺された富豪。彼の所蔵していた古書には、さまざまな時代に起きた六つの事件の記録が綴られていた。事件に巻き込まれた森江春策は、古書をひもとき、謎めいた物語の中へと分け入ってゆく……という形で、さまざまな時代の物語が、それぞれの関係者の手記という形で語られる。

 「匣の中」には、それぞれの時代に応じた冒険と謎が用意されている。謎の背後には大仰な仕掛けが多用されているけれど、これがクラシカルな冒険活劇によく似合っていて、違和感なくとけこんでいる。チェスタトンを思わせる、のどかな大仕掛けが楽しい。

 それだけに、地に足のついた謎解きとの相性はあまりよろしくない。「匣の外」では森江春策が富豪の死の謎を解くのだが、「匣の中」の華やかさに接した後では色あせて見えてしまう。コンセプトを一貫させるための工夫はなされているし、実はかなりギリギリの線で叙述を組み立てているのだけれど、こちらは状況も関係者も「夢と浪漫」からは遠く離れたところにあるからだろう。もっとも「匣の中」の魅力は、それを補って十分に余りある。

 そんなわけで、以下は「匣の中」について簡単に。

匣の中

新ヴェニス夜話

「新ヴェニス」が何を指すのかは読むうちにわかるはず。細かいネタの織り込み方が凝っているのは、一発目ならではの意気込みによるものだろうか。手記の最後の一行なんかはいかにも芦辺拓。

海賊船シー・サーペント号

自由を求める海賊たちと、悪辣な東インド会社とが対決する勧善懲悪劇。これまたずいぶん派手な仕掛けで、情景を想像するとなんだか可笑しい。志村うしろうしろ。

北京とパリにおけるメスメル博士とガルヴァーニ教授の療法

フランスでは革命が繰り広げられているさなか、中国を訪れた使節団の物語。メスメリズムみたいな怪しい科学を拾ってくるあたりに、作者のネタ選びの巧妙さがうかがえる。

マウンザ人外境

秘境探検もの。『地底獣国の殺人』が好きなだけに、この物語も気に入った。芦辺拓は情念が表に出た作品を書くことは少ないけれど、これはその例外。幻の女王国をめぐる白人たちの思惑が心に残る。

ホークスヴィルの決闘

西部劇ネタであると同時に、芦辺拓が得意とするあの趣向も盛り込まれている。真相のあまりのばかばかしさに感動。

死は飛行船に乗って

ナチ支配下のドイツから飛び立った飛行船。乗客の間で起きた殺人事件の真相は……? これまたずいぶん大仕掛け。
(2008/01/03追記:そういえばマックス・アラン・コリンズが『ヒンデンブルク号の殺人』という類似シチュエーションの小説を書いていた。)

修善寺・紅葉の誘拐ライン

ミステリ
若桜木虔 / ジョイ・ノベルス

 伊豆は修善寺のさる旅館で起きた誘拐事件と、その捜査の様子を描いた物語だ。ミステリーと観光案内を足して10で割ったような作品で、2004年の週刊文春ミステリーベスト10では9位に入っている。

 目次などを除いた本文は233ページで、本の重さは204グラム(カバー・帯を含む)。定価は838円+消費税で、ISBNは4-408-60291-4となっている。初版発行は2004年10月25日で、著者は若桜木虔、発行は有楽出版社、発売は実業之日本社、そして印刷・製本は大日本印刷株式会社である。

……と、本の紹介としては異色の形で書いたけれど、これは本書での観光地や名産品を紹介するやりかたに倣ったものである。なんというか、スペック重視なのですね。例えば……
伊豆署は修善寺ではなく田方郡大仁町大仁六八〇番地一号にあって管轄区域は伊豆市、田方郡大仁町、戸田村の広範囲に跨っており、電話番号は〇五五八(七六)〇一一〇番。(p.27)
ハリストス正教会の住所は、伊豆市修善寺硯沢の八六一番地で、明治四十五年に建てられた(中略)ロシア正教会である。(p.39)
清水署の所在地は静岡市清水天王南一丁目三十五番地で、電話は〇五四三(六六)〇一一〇。(p.74)
それから湖岸道路を走って諏訪市美術館も訪れてみた。住所は諏訪市湖岸通四-一-一四で……(p.185)
 名所の所在は番地まで記される。警察署にいたっては電話番号まで。トラベルミステリーの類については不勉強でよく知らないのだが、一般にここまで詳しく書くものなのだろうか?

 著者の霧島那智名義の架空戦記で、兵器のスペックが必要以上に細かく述べられているのを思い出す。この手のミステリーでの名所や警察署は、ある種の架空戦記での超兵器と同じ役割を担っているのだろう。

 ただ、所在地を番地まで詳しく書くよりも、地図の一枚でも載せてくれたほうが、位置関係がわかりやすくなったと思う。特に前半は、誘拐犯の要求で伊豆のあちこちを移動するという筋書きなので、地図がまったく載っていないのはちょっと辛かった。

 ホテルや旅館、地方のおいしい食べ物の紹介は、さまざまなWebページからの引用が多いようだ(巻末に、参考にしたというWebページのURLがずらりと並んでいる)。「誘拐ものは創作する側としてはパターンで書けないので」と作者は述べているが、プロット以外の要素をすべてパターン化するのはあまり印象がよくない。できれば作者自身の文章で語ってほしかった。

 ネガティヴなことばかり書いてしまったので、いいところにも触れておこう。
 本書でいちばん笑ったのはここだ。誘拐された少女が解放され、事件の報道が解禁された後の様子。
ただでさえ観光客を満載した大型バスで渋滞するところへ、電車で駆けつけた記者やカメラマンのみならずテレビ東京を除いた全ネット・テレビ局の中継車が何十台も押しかけた。(p.85)
 嗚呼テレビ東京。

(2005.1.28追記)

 杉江松恋さんが「この2冊はセットで読まないといけないというルールでもあるんですか?」と気にしていた、大野優凛子『しまなみ海道 沈黙の殺人』も読んでみた。

 警察署の電話番号や観光地の所番地こそ載っていないけれど、文章や人物描写はこちらのほうが自然で、妙なひっかかりを感じることもなく読めた。そんなわけで、減点法で評価するなら『修善寺~』よりもこちらのほうが上。

 ただ、小説の面白さというのは決して減点法で測れるものではない。加点法で比べるなら、まあだいたい同じ位置だろう。

(2005.12.23追記)

ちなみに、今年から週刊文春のミステリーベスト10は、作家の自作への投票は無効として扱っているらしい。

パズル

ミステリ
ASIN:415208605Xアントワーヌ・ベロ / 早川書房

 二人の選手が同じジグソーパズルに挑戦し、完成時間を競うスピード・パズル。そんな架空の競技の普及によって発展した、架空のジグソーパズル業界を描いたミステリだ。

 冒頭、パズル関係者を次々と襲う連続殺人犯の存在と、その事件の概略が語られる。本編のメインは、パズルのピースに見立てられた48の断章。雑誌記事やパズルの実況中継、手紙、議事録などが一見無造作にちりばめられている。これらを組み合わせることによって、真実が浮かび上がるのだ。

 個々のピースを構成するエピソードも興味深い。難解パズルコンテストに出展された、すべてのピースが同じ色に塗られたパズルは、認識論上の難題を提示する哲学的な作品だ。あるいはパズル協会が巨費を投じて行う、パズルを解くという行為に関する科学的な実験。レンガを積むものと解体するものの二者が織り成すメタ・パターンは、さながら「数学的な美」ともいうべきものを浮き彫りにする。

 ……というのはウソです。

 難解パズルもレンガの実験も、実は笑うところなのだ。知的な文体で、とても空疎な内容を綴るおかしさ。そう、本書のピースはたいていバカバカしいホラ話である。あからさまかどうかの違いはあるけれど。そもそも、やたらと女の子をいただいてしまうデンマークの木こりがパズルチャンピオンになるエピソードを読んで、シリアスな話だと思えるだろうか?

 本書にはふたつのパズル団体が登場する。ヨーロッパに本拠を置き、パズルの知的側面を追究するパズル協会と、アメリカの大富豪が率いる、スピード・パズルを普及させたパズル連盟。パズル協会は「アメリカでパズルを売るには、アメリカ人がチャンピオンになるところを見せないと!」とあからさまな八百長試合をやらかす分かりやすい人たち。いっぽうの連盟は、「難解パズル」みたいな哲学的深遠さを装った愚行を重ねている。アメリカ人にはストレートなバカ、ヨーロッパ人にはひねったバカ、という役割分担だ。

 ともあれ、えらく意地の悪いコメディだ。全編ニヤニヤしながら楽しめる。