【ミステリ】
ロス・トーマス / 藤本和子訳 / ハヤカワ・ミステリ文庫
(解説)ゲームはポーカー・フェイスで
ディプロマシーというゲームをごぞんじだろうか。
プレイヤーの数は六、七人。各自が二〇世紀初頭のヨーロッパ列強各国を受け持って、自国の勢力拡大を目指してしのぎを削る。サイコロを振ったりカードを引いたりという不確定要素は皆無で、プレイヤー同士の駆け引きがものをいう。史実の列強のように二枚舌外交を繰り広げて秘密協定を結び、ときには裏切りも交えつつ、合従連衡を繰り返して覇権を目指す……という、複雑怪奇な国際関係の雰囲気をうまく再現している。純真な方にはおすすめできない。相手を欺くことも辞さない、冷徹な交渉を楽しむゲームなのだ。
一対一の駆け引きではない。それぞれの利害を抱えた多数の陣営による、錯綜した駆け引き。それは、ロス・トーマスが描く、多彩な登場人物の織りなす複雑な駆け引きの絵図にどこか似ている。
ロス・トーマスのデビュー作は一九六六年の"Cold War Swap"。日本では『冷戦交換ゲーム』という題名で刊行された。
舞台は東西冷戦下のドイツ。腕利きの情報部員パディロは、米ソの情報機関同士の密約によって、ソ連に亡命した数学者を取り戻すのと交換に、ソ連に引き渡されることに。所属機関に裏切られたパディロを、親友である酒場の経営者マッコークルが助けに向かう。
冷戦を背景にしながらも、米ソの対立とはまったく別の対立軸を描いてみせたこの作品には、後の作品にも共通するトーマスの個性がたっぷり詰まっている。
たとえば、癖のあるキャラクターの造形。あるいは、登場人物どうしの複雑な利害関係の網。同じ側に属していても、一枚岩なんてことはありえないのだ。そして、そんな構図の中で描かれる、裏切りと密約が絡み合ったコン・ゲーム風の騙し合い。
キャラクターの造形、そして軽妙な会話の楽しさは、トーマス作品の土台を支える重要な要素である。また、登場人物たちの織りなす人間関係と、そこから導かれる先の読めないプロットは、トーマス作品ならではの独特のものだ。彼の物語の展開は、ときに難解と評されるくらいに錯綜している。というのも、登場人物たちが、さまざまな場面で相手と自分の手札を見極めて、虚々実々の駆け引きを繰り広げ、事態を複雑にしてゆくからだ。
デビュー作の邦題にある「ゲーム」という言葉は、原題にこそ含まれていないものの、ロス・トーマスの作品世界を的確に表している。ここには、単純な熱血漢などいない。誰もが冷徹なゲーム・プレイヤーなのだ。勝負に臨むときはポーカー・フェイス。感情をあらわにすることはほとんどない。
もっとも、ゲームの合間には、ふと心の底をあらわにする瞬間がある。このさじ加減もまた、トーマスならではのものである。
本書『女刑事の死』も、そんなトーマスらしさを十分に備えた作品だ。
妹の死を知らされた兄が、故郷の街に帰ってきて事件の真相を探る……という展開だけなら普通のミステリだ。だが、彼は実はある任務を帯びていて……と、次から次へと別のプロットが飛び出す。それでいて、物語は破綻することなく進行する。構成の緻密さでは、本書はトーマス作品の中でも頂点に位置する。
主人公ベンジャミン・ディルは、ゲーム・プレイヤーとしての姿勢を貫いている。特に身を守るための切り札の残し方は巧妙で、ワシントンという政治の中枢で生き延びているだけのことはある、と思わせる。また、交渉のためにいささか過激な行動に及んだことを指摘されるくだりも印象深い。
もちろん、ゲームの最中はポーカー・フェイス。感情を吐露することはほとんどない。だが、ディルが決して冷淡な人間ではないことは、あのラストシーンをお読みになった方ならばおわかりだろう。右の引用部で言及されている過剰な行動も、亡き妹を思うがゆえのものだったのかもしれない。
語るべきことはまだまだたくさんあるけれど、そろそろ終わりにしよう。
ロス・トーマスは一九九五年に亡くなるまでに二十五の長編を発表し、そのうち十六作が翻訳された。だが、二〇〇五年六月現在、新刊として入手できるのは本書だけである。
本書が初めて訳されたのは一九八六年。それまで「好事家向け」だったトーマスの人気が上昇するきっかけになったのがこの作品で、本書以降の邦訳作品は年末の人気投票にも顔を出すようになったという。
本書のハヤカワ・ミステリ文庫での復活をきっかけに、多くのミステリ・ファンのもとに、再びロス・トーマスの数々の名作が届くようになることを願っている*1。
(解説)ゲームはポーカー・フェイスで
ディプロマシーというゲームをごぞんじだろうか。
プレイヤーの数は六、七人。各自が二〇世紀初頭のヨーロッパ列強各国を受け持って、自国の勢力拡大を目指してしのぎを削る。サイコロを振ったりカードを引いたりという不確定要素は皆無で、プレイヤー同士の駆け引きがものをいう。史実の列強のように二枚舌外交を繰り広げて秘密協定を結び、ときには裏切りも交えつつ、合従連衡を繰り返して覇権を目指す……という、複雑怪奇な国際関係の雰囲気をうまく再現している。純真な方にはおすすめできない。相手を欺くことも辞さない、冷徹な交渉を楽しむゲームなのだ。
一対一の駆け引きではない。それぞれの利害を抱えた多数の陣営による、錯綜した駆け引き。それは、ロス・トーマスが描く、多彩な登場人物の織りなす複雑な駆け引きの絵図にどこか似ている。
ロス・トーマスのデビュー作は一九六六年の"Cold War Swap"。日本では『冷戦交換ゲーム』という題名で刊行された。
舞台は東西冷戦下のドイツ。腕利きの情報部員パディロは、米ソの情報機関同士の密約によって、ソ連に亡命した数学者を取り戻すのと交換に、ソ連に引き渡されることに。所属機関に裏切られたパディロを、親友である酒場の経営者マッコークルが助けに向かう。
冷戦を背景にしながらも、米ソの対立とはまったく別の対立軸を描いてみせたこの作品には、後の作品にも共通するトーマスの個性がたっぷり詰まっている。
たとえば、癖のあるキャラクターの造形。あるいは、登場人物どうしの複雑な利害関係の網。同じ側に属していても、一枚岩なんてことはありえないのだ。そして、そんな構図の中で描かれる、裏切りと密約が絡み合ったコン・ゲーム風の騙し合い。
キャラクターの造形、そして軽妙な会話の楽しさは、トーマス作品の土台を支える重要な要素である。また、登場人物たちの織りなす人間関係と、そこから導かれる先の読めないプロットは、トーマス作品ならではの独特のものだ。彼の物語の展開は、ときに難解と評されるくらいに錯綜している。というのも、登場人物たちが、さまざまな場面で相手と自分の手札を見極めて、虚々実々の駆け引きを繰り広げ、事態を複雑にしてゆくからだ。
デビュー作の邦題にある「ゲーム」という言葉は、原題にこそ含まれていないものの、ロス・トーマスの作品世界を的確に表している。ここには、単純な熱血漢などいない。誰もが冷徹なゲーム・プレイヤーなのだ。勝負に臨むときはポーカー・フェイス。感情をあらわにすることはほとんどない。
もっとも、ゲームの合間には、ふと心の底をあらわにする瞬間がある。このさじ加減もまた、トーマスならではのものである。
本書『女刑事の死』も、そんなトーマスらしさを十分に備えた作品だ。
妹の死を知らされた兄が、故郷の街に帰ってきて事件の真相を探る……という展開だけなら普通のミステリだ。だが、彼は実はある任務を帯びていて……と、次から次へと別のプロットが飛び出す。それでいて、物語は破綻することなく進行する。構成の緻密さでは、本書はトーマス作品の中でも頂点に位置する。
主人公ベンジャミン・ディルは、ゲーム・プレイヤーとしての姿勢を貫いている。特に身を守るための切り札の残し方は巧妙で、ワシントンという政治の中枢で生き延びているだけのことはある、と思わせる。また、交渉のためにいささか過激な行動に及んだことを指摘されるくだりも印象深い。
「おれはずっとああいうやりかたをしてきたんじゃないかな」演技なのかどうか、当人も確信が持てないくらいに、駆け引きのための振る舞いが身にしみついている。
「でも、演技ではあるんでしょ?」
「そうさ」とディルはいった。「演技さ」ほんとにそうなのだろうか、と彼には確信がなかった。
もちろん、ゲームの最中はポーカー・フェイス。感情を吐露することはほとんどない。だが、ディルが決して冷淡な人間ではないことは、あのラストシーンをお読みになった方ならばおわかりだろう。右の引用部で言及されている過剰な行動も、亡き妹を思うがゆえのものだったのかもしれない。
語るべきことはまだまだたくさんあるけれど、そろそろ終わりにしよう。
ロス・トーマスは一九九五年に亡くなるまでに二十五の長編を発表し、そのうち十六作が翻訳された。だが、二〇〇五年六月現在、新刊として入手できるのは本書だけである。
本書が初めて訳されたのは一九八六年。それまで「好事家向け」だったトーマスの人気が上昇するきっかけになったのがこの作品で、本書以降の邦訳作品は年末の人気投票にも顔を出すようになったという。
本書のハヤカワ・ミステリ文庫での復活をきっかけに、多くのミステリ・ファンのもとに、再びロス・トーマスの数々の名作が届くようになることを願っている*1。
*1 : 2008年1月現在、他の作品はまだ復活していない。悲しい。