【ミステリ】
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▼ 生首に聞いてみろ
【ミステリ】
法月綸太郎 / 角川書店 (→角川文庫)
法月警視は種々の奇抜な首切り手段を編み出して、殺し屋に伝授していた。そのことを知った綸太郎は、自らの家の血塗られた秘密に苦悩する……という話ではない。それでは別の話になってしまう。
病死した彫刻家が死の直前に創りあげた、娘をモデルにした石膏像。その首だけが何者かに切り取られ、持ち去られる。彫刻家の遺族に相談を持ちかけられた綸太郎は、調査のためにアトリエを訪ねる……という幕開け。
無駄のないシンプルな物語でありながら、中盤以降、事件をめぐる状況は二転三転する。作中のほぼすべての出来事が謎解きに奉仕している、贅肉をそぎ落としたような作品だ。
事件のモチーフはロス・マクドナルド風。そのへんは過去の作品と同じなのだけれど、テーマを作品に埋め込む手際は、過去に比べはるかに巧みになっている。
特に鮮烈なのが、第五部に描かれるある人物との会見シーン。ある人物の奇異な振る舞いは、ロス・マクドナルド作品のラストシーンのようなグロテスクさを備えている。そして最後まで読み終えることによって、そのゆがんだ印象はよりいっそう強化される。それは『頼子のために』に描かれた母親像の観念的な異様さとは別種の、きわめて生々しい異様さだ。
終盤の 犯人指摘→綸太郎による真相説明→エピローグ という流れは、幾分ぎくしゃくしているように感じた。特に真相説明のくだりは、ほんとうに「単なる説明」だけに徹している。謎解きそれ自体が読者を引っ張る力を備えているとはいえ、もうちょっと凝った演出があってもいいのではないか。もっとも、エピローグでは巧みにロス・マクドナルドのある作品の仕掛けを本歌取りしてみせていたので、少々の不満は吹き飛んでしまったのだが。
作者の計算通りにきっちりと構築されている、という印象を残す端正な作品。
端正な話もいいけれど、時には『誰彼』 『ふたたび赤い悪夢』のような勢い余って暴走してしまった作品も読んでみたい……というのは欲張りだろうか。そもそも長編の発表自体ずいぶん久しぶりだからなあ……。
法月警視は種々の奇抜な首切り手段を編み出して、殺し屋に伝授していた。そのことを知った綸太郎は、自らの家の血塗られた秘密に苦悩する……という話ではない。それでは別の話になってしまう。
病死した彫刻家が死の直前に創りあげた、娘をモデルにした石膏像。その首だけが何者かに切り取られ、持ち去られる。彫刻家の遺族に相談を持ちかけられた綸太郎は、調査のためにアトリエを訪ねる……という幕開け。
無駄のないシンプルな物語でありながら、中盤以降、事件をめぐる状況は二転三転する。作中のほぼすべての出来事が謎解きに奉仕している、贅肉をそぎ落としたような作品だ。
事件のモチーフはロス・マクドナルド風。そのへんは過去の作品と同じなのだけれど、テーマを作品に埋め込む手際は、過去に比べはるかに巧みになっている。
特に鮮烈なのが、第五部に描かれるある人物との会見シーン。ある人物の奇異な振る舞いは、ロス・マクドナルド作品のラストシーンのようなグロテスクさを備えている。そして最後まで読み終えることによって、そのゆがんだ印象はよりいっそう強化される。それは『頼子のために』に描かれた母親像の観念的な異様さとは別種の、きわめて生々しい異様さだ。
終盤の 犯人指摘→綸太郎による真相説明→エピローグ という流れは、幾分ぎくしゃくしているように感じた。特に真相説明のくだりは、ほんとうに「単なる説明」だけに徹している。謎解きそれ自体が読者を引っ張る力を備えているとはいえ、もうちょっと凝った演出があってもいいのではないか。もっとも、エピローグでは巧みにロス・マクドナルドのある作品の仕掛けを本歌取りしてみせていたので、少々の不満は吹き飛んでしまったのだが。
作者の計算通りにきっちりと構築されている、という印象を残す端正な作品。
端正な話もいいけれど、時には『誰彼』 『ふたたび赤い悪夢』のような勢い余って暴走してしまった作品も読んでみたい……というのは欲張りだろうか。そもそも長編の発表自体ずいぶん久しぶりだからなあ……。
▼ キマイラの新しい城
【ミステリ】
殊能将之 / 講談社ノベルス(→講談社文庫)
鉄の怪物が跋扈する異様な世界に紛れ込んでしまった戦士が、黒い剣を武器に大暴れする本格ミステリである。
フランスの古城を移築して作られたテーマパーク。その社長が、750年前に死んだ城主の霊に取り憑かれてしまった……? 「私を殺した犯人をつきとめてくれ」社長の依頼を受けてやってきた石動戯作とアントニオ。だが、事件の子細もその容疑者も、すべては社長の頭の中。かくして石動は、重役や従業員らの手を借りて、現場だった古城の中で、当時の状況を再現することに……
……というお話。そんなわけで、冒頭に書いたことは嘘ではない。
城主の霊に憑かれたという社長は、途中でテーマパークを抜け出して、トキオーンの都にあるロポンギルズ(なんのことかわかりますよね)目指して旅に出るのだ。750年前のフランス人(外見は日本人だが)を現代の都市に野放しにするとろくなことにならない。この社長も、ドン・キホーテばりの騒動を巻き起こす。
750年前の殺人の謎解きは、往年の島田荘司みたいな仕掛けもあってそれなりに楽しいが、やや小粒という印象はぬぐえない(空回りしちゃった時の島田荘司のようなものか)。やはりこれは「社長大暴れ之巻」として楽しむものじゃないかと思う。
そういえば、前半にこんな台詞があった。
『ビロードの悪魔』はディクスン・カーの隠れた傑作(といろんな人が言うので、今やあまり「隠れた」とは言えないかもしれない)。二〇世紀に暮らす主人公が、悪魔と契約して過去の世界に旅立ち、冒険を繰り広げる物語だ。
で、本書はその裏返し。過去の時代の人間が、亡霊として「現代」を体験するのだ。過去の人間が現代にやってきて右往左往、という物語は珍しくないけれど、現代日本の描写に仕込まれた細かいネタのおかげで、愉快なバカ騒ぎに仕上がっている。
ちなみに、登場人物のほぼ全員が、マイクル・ムアコックの〈エルリック・サーガ〉をもとに命名されている(『黒い仏』とは趣向が違うので、書いてしまっても大丈夫だろう)。江里陸夫=エルリック、西森ルミ=サイモリル……といったところはわかりやすいが、若林蘭三=ジャグリーン・ラーンとか、大海永久=ディヴィム・トヴァーなんてのは感動に近いものを覚えてしまう。
混沌の神アリオッチまで出てくるのには笑ってしまった。とはいえ世界が混沌に飲み込まれたりストームブリンガーが飛んでいったりはしないのでご心配なく。
鉄の怪物が跋扈する異様な世界に紛れ込んでしまった戦士が、黒い剣を武器に大暴れする本格ミステリである。
フランスの古城を移築して作られたテーマパーク。その社長が、750年前に死んだ城主の霊に取り憑かれてしまった……? 「私を殺した犯人をつきとめてくれ」社長の依頼を受けてやってきた石動戯作とアントニオ。だが、事件の子細もその容疑者も、すべては社長の頭の中。かくして石動は、重役や従業員らの手を借りて、現場だった古城の中で、当時の状況を再現することに……
……というお話。そんなわけで、冒頭に書いたことは嘘ではない。
城主の霊に憑かれたという社長は、途中でテーマパークを抜け出して、トキオーンの都にあるロポンギルズ(なんのことかわかりますよね)目指して旅に出るのだ。750年前のフランス人(外見は日本人だが)を現代の都市に野放しにするとろくなことにならない。この社長も、ドン・キホーテばりの騒動を巻き起こす。
750年前の殺人の謎解きは、往年の島田荘司みたいな仕掛けもあってそれなりに楽しいが、やや小粒という印象はぬぐえない(空回りしちゃった時の島田荘司のようなものか)。やはりこれは「社長大暴れ之巻」として楽しむものじゃないかと思う。
そういえば、前半にこんな台詞があった。
歴史ミステリもちゃんと読まなくちゃだめだ。『ビロードの悪魔』は傑作だよ……(本書p.144)国産本格ミステリにしばしば登場するカー崇拝者の発言である。
『ビロードの悪魔』はディクスン・カーの隠れた傑作(といろんな人が言うので、今やあまり「隠れた」とは言えないかもしれない)。二〇世紀に暮らす主人公が、悪魔と契約して過去の世界に旅立ち、冒険を繰り広げる物語だ。
で、本書はその裏返し。過去の時代の人間が、亡霊として「現代」を体験するのだ。過去の人間が現代にやってきて右往左往、という物語は珍しくないけれど、現代日本の描写に仕込まれた細かいネタのおかげで、愉快なバカ騒ぎに仕上がっている。
ちなみに、登場人物のほぼ全員が、マイクル・ムアコックの〈エルリック・サーガ〉をもとに命名されている(『黒い仏』とは趣向が違うので、書いてしまっても大丈夫だろう)。江里陸夫=エルリック、西森ルミ=サイモリル……といったところはわかりやすいが、若林蘭三=ジャグリーン・ラーンとか、大海永久=ディヴィム・トヴァーなんてのは感動に近いものを覚えてしまう。
混沌の神アリオッチまで出てくるのには笑ってしまった。とはいえ世界が混沌に飲み込まれたりストームブリンガーが飛んでいったりはしないのでご心配なく。
▼ 怪盗ニック対女怪盗サンドラ
【ミステリ】
エドワード・D・ホック / ハヤカワ・ミステリ文庫
高額の報酬で盗みをはたらくニック・ヴェルヴェット。彼が引き受けるのは、価値のなさそうなものの盗みだけ。裏社会のニッチ市場を押さえる彼に、好敵手が現れた。サンドラ・パリス。「白の女王」とも呼ばれる、元女優の美女だ。
ある時は手ごわい敵として、ある時は心強い味方として、ニックとサンドラが奇妙なターゲットに立ち向かう10編を収めた短編集。
かつてポケミスで刊行されていた『怪盗ニック登場』『怪盗ニックを盗め』『怪盗ニックの事件簿』が、しゃれた表紙をまとって文庫化された。そんなわけで、これは4冊目の作品集だ。文庫オリジナルで、アメリカでも2004年に発表されたばかりの新作も収められている。
このシリーズのおもしろさは、「ニックがいかにして目的の品を手にいれるか」と、「なぜ依頼人はその品を盗みたがるのか」という二つの謎の絡み合いにある。
そんな二つの糸に、「サンドラの盗みの手口」というもう一つの糸が加わるのがこの作品集。ニックとサンドラが最初から協力している作品もあるけれど、やはりそれぞれが独自の力でターゲットに向かって行く作品が内容も凝っていて楽しめる。
本書に限らず、ホックの作品は「ミステリをあまり読まない人」に「いかにも推理小説な作品」をお勧めする時に適してるんじゃないかと思う。どぎつさ控えめのスタンダードな謎解きで、ミステリ屋さんの小粋な職人芸を堪能できる。
高額の報酬で盗みをはたらくニック・ヴェルヴェット。彼が引き受けるのは、価値のなさそうなものの盗みだけ。裏社会のニッチ市場を押さえる彼に、好敵手が現れた。サンドラ・パリス。「白の女王」とも呼ばれる、元女優の美女だ。
ある時は手ごわい敵として、ある時は心強い味方として、ニックとサンドラが奇妙なターゲットに立ち向かう10編を収めた短編集。
かつてポケミスで刊行されていた『怪盗ニック登場』『怪盗ニックを盗め』『怪盗ニックの事件簿』が、しゃれた表紙をまとって文庫化された。そんなわけで、これは4冊目の作品集だ。文庫オリジナルで、アメリカでも2004年に発表されたばかりの新作も収められている。
このシリーズのおもしろさは、「ニックがいかにして目的の品を手にいれるか」と、「なぜ依頼人はその品を盗みたがるのか」という二つの謎の絡み合いにある。
そんな二つの糸に、「サンドラの盗みの手口」というもう一つの糸が加わるのがこの作品集。ニックとサンドラが最初から協力している作品もあるけれど、やはりそれぞれが独自の力でターゲットに向かって行く作品が内容も凝っていて楽しめる。
本書に限らず、ホックの作品は「ミステリをあまり読まない人」に「いかにも推理小説な作品」をお勧めする時に適してるんじゃないかと思う。どぎつさ控えめのスタンダードな謎解きで、ミステリ屋さんの小粋な職人芸を堪能できる。
■収録作
白の女王のメニューを盗め
サンドラ・パリス登場。カジノを舞台にした盗みを巡って、二人の怪盗が火花を散らす。犯行声明代わりに「白の女王 不可能を朝食前に」という名刺を残す、サンドラのスタイルが微笑ましい。
図書館の本を盗め
ニックの受けた依頼は、図書館にあるハメットの『影なき男』を盗むこと。いっぽう、サンドラが依頼人を誘拐しようとしていることを知ったニックは、彼に警告するが……いつもながらのニックもののエピソードに、サンドラの活動がさらなる謎を加える。「サンドラ効果」が発揮された一編。
紙細工の城を盗め
ターゲットを狙って豪邸に忍び込んだニックは、殺人事件の容疑者に。苦しい立ち場のニックに、サンドラが救いの手を差し伸べる。ニックは「型どおりの仕事だ」と言うけれど、その「型どおりの仕事」に凝らされたさまざまな工夫こそが、このシリーズの魅力なのだ。
それにしてもこの作品のサンドラ、やることが派手である。彼女には、ものごとを劇的に演出したがる癖があるようだ。
色褪せた国旗を盗め
カリブ海に浮かぶ小国の大使館。そこに掲げられる古びた国旗がターゲット。だが、サンドラも同じ国旗を狙っていた……。サンドラとの競争がもたらす緊張感が心地よい。依頼人の動機は馬鹿馬鹿しいけれど、小国の苦渋を感じさせる。
レオポルド警部のバッジを盗め
ホックが生んだ別のシリーズ主人公、レオポルド警部が登場する。一夜のうちに起こった、絵画盗難と殺人事件。窮地に立たされたサンドラを助けるため、ニックはレオポルドにある勝負を持ちかける。
「紙細工の城を盗め」のニックとサンドラの立場を逆転させた作品。レオポルドに勝負を挑むというニックの振る舞いは、サンドラとは違った意味で派手だけど、そのための手段はやっぱり短編ミステリの主人公ならでは。
禿げた男の櫛を盗め
ターゲットの持ち主、禿げた男が住むのは南部の丘陵地帯。酒を密造しているようで、警戒心が強く、来客を銃で追い払うことも少なくない。禿げた男の櫛というターゲットは、このシリーズならではのもの。もっとも、これはニックの物語としてはやや異色。実利的な動機に基づく依頼が多いこのシリーズには珍しく、情緒が勝っているのだ。
全般に、ジョー・R・ランズデール作品のような雰囲気も漂う。幕切れが印象深い。
蛇使いの籠を盗め
舞台はモロッコ。サンドラが付け狙うのは、ある蛇使いの持つコブラの入った籠。仕掛けはいたってシンプルで、エキゾチックな肉付けが楽しい。背景はずいぶん生々しいけれど、それを生々しく感じさせないのがホックの作風だ。
バースデイ・ケーキのロウソクを盗め
武器を積んだ飛行機を盗もうとするサンドラの物語と、ケーキのロウソクを盗もうとするニックの物語が、意外な形で交錯する……のはいいんだけど、ちょっと接続の仕方が強引。ニックの物語は「いつもどおり」なんだけど……。浴室の体重計を盗め
テキサスにある牧場。その家の浴室から体重計を盗み出す、という依頼。ただしそこは野生動物飼育所で、牧場にはベンガル虎が放し飼いにされているのだ……。『馬鹿★テキサス』ならぬ「虎★テキサス」。サンドラも登場するけれど、雰囲気はいつものニックものに近い。
ダブル・エレファントを盗め
オーデュボンの鳥類図鑑の実物大複製画。250ドル程度のこの絵を巡って、ニックとサンドラがしのぎを削る。サンドラの台詞からも推測できるように、こういう依頼の仕方って、すさまじく当てが外れる危険があるような……
▼ 馬鹿★テキサス
【ミステリ】
ベン・レーダー / ハヤカワ・ミステリ文庫
馬も四本足、鹿も四本足。そしてこの本に出てくる最高の馬鹿も四本足。正確には二本足の馬鹿が二人。
舞台はテキサスの田舎。冒頭、馬鹿コンビが鹿を撃つ。ところが獲物を検分してみると鹿じゃなかった。鹿の着ぐるみを着て鹿の観察をしていた動物学者だったのだ。これが事件の幕開け。最初から馬鹿エンジン全開だ。
いい奴と悪い奴、そして馬鹿な奴が出てくる。いい奴が悪い奴の犯罪を暴くという内容だが、物語を前に進めるのは馬鹿な奴らだ。馬鹿な奴らがやらなくていいことをやったり、やるべきことをやらなかったりして、いろんな物事が狂ってゆく。
もちろん、これは悪い奴が懲らしめられる話だ。だから、無事に一件落着する方向に収束してゆく。おさまりのつかないまま暴走してゆくのも面白いけど、そうなると人には薦めにくい。でも、これなら安心だ。
落ち着くべきところに落ち着くとはいえ、収束のしかたはずいぶんマヌケだ。なにしろ悪い奴らは、馬鹿な奴らのせいで実にマヌケな仕打ちを受けるのだから。
原題は"Buck Fever"。邦題は「馬鹿フィーバー」でもよかったのに……と思ったけど、早川書房の中の人があんまりだと思ったのだろう。ふざけた本を出版してるけど、きっと根はまじめな人たちに違いない。
残念ながら馬は登場しない。これは鹿ミステリなのだ。アメリカの作家に、漢語の字面にまで配慮を求めるのは無理というものだ。
馬鹿ミステリを所望の方はディック・フランシスあたりを併読するといいだろう。
追記:早川書房の中の人によると、この邦題は『パリ、テキサス』を意識したらしい。馬鹿はパリだったのか……
2008/01/03追記:そういえば同じ早川書房の『CLAW 爪』の帯には「猛虎襲来」と書いてあったけど、あれはもしかして「蒙古襲来」をイメージしたのだろうか。何となく同じ思考回路の産物のような気がする。
馬も四本足、鹿も四本足。そしてこの本に出てくる最高の馬鹿も四本足。正確には二本足の馬鹿が二人。
舞台はテキサスの田舎。冒頭、馬鹿コンビが鹿を撃つ。ところが獲物を検分してみると鹿じゃなかった。鹿の着ぐるみを着て鹿の観察をしていた動物学者だったのだ。これが事件の幕開け。最初から馬鹿エンジン全開だ。
いい奴と悪い奴、そして馬鹿な奴が出てくる。いい奴が悪い奴の犯罪を暴くという内容だが、物語を前に進めるのは馬鹿な奴らだ。馬鹿な奴らがやらなくていいことをやったり、やるべきことをやらなかったりして、いろんな物事が狂ってゆく。
もちろん、これは悪い奴が懲らしめられる話だ。だから、無事に一件落着する方向に収束してゆく。おさまりのつかないまま暴走してゆくのも面白いけど、そうなると人には薦めにくい。でも、これなら安心だ。
落ち着くべきところに落ち着くとはいえ、収束のしかたはずいぶんマヌケだ。なにしろ悪い奴らは、馬鹿な奴らのせいで実にマヌケな仕打ちを受けるのだから。
原題は"Buck Fever"。邦題は「馬鹿フィーバー」でもよかったのに……と思ったけど、早川書房の中の人があんまりだと思ったのだろう。ふざけた本を出版してるけど、きっと根はまじめな人たちに違いない。
残念ながら馬は登場しない。これは鹿ミステリなのだ。アメリカの作家に、漢語の字面にまで配慮を求めるのは無理というものだ。
馬鹿ミステリを所望の方はディック・フランシスあたりを併読するといいだろう。
追記:早川書房の中の人によると、この邦題は『パリ、テキサス』を意識したらしい。馬鹿はパリだったのか……
2008/01/03追記:そういえば同じ早川書房の『CLAW 爪』の帯には「猛虎襲来」と書いてあったけど、あれはもしかして「蒙古襲来」をイメージしたのだろうか。何となく同じ思考回路の産物のような気がする。