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ヴィドック

ミステリ
ISBN:4042896014ジャン=クリストフ・グランジェ/角川文庫

クリムゾン・リバー』の作者が手がけた映画脚本を、(たぶん日本で独自に)小説に書き直したもの。主人公のヴィドックは19世紀フランスに実在した人物で、犯罪者上がりの探偵。作中では、すでに警察を退いて私立探偵を営んでいる。これが、連続殺人事件を追ううちに、逆に犯人によって苦境に追い込まれるのがプロローグ。

『クリムゾン・リバー』の作者だけに、つい ミステリを期待してしまいがちだが、これはむしろダーク・ファンタジー。ヴィドックの超人的な名探偵ぶりは、乱歩の少年探偵団での明智小五郎を思わせるし、犯人の正体や動機も『クリムゾン・リバー』には及ばないものの、その根底には奇想が存在している。

ただ、ストーリーそのものはかなり薄味。もっとも、これは脚本を小説にした日本人の手腕の問題かもしれない。

時代を19世紀中ごろに据えているのは、もっぱら「雰囲気づくり」のため。史実に忠実というわけではないし、作中での七月革命の扱いもかなり唐突である。

映画のほうは、もっと面白いかもしれない。

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ボトムズ

ミステリ
ISBN:415208376Xジョー・R・ランズデール/早川書房

 スティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』、ロバート・R・マキャモンの『少年時代』のような、語り手が少年時代に遭遇した事件を回想するという形式の物語。もっとも、その図式は『スタンド・バイ・ミー』や『少年時代』のそれとは大きく異なる。

 特に、作者と語り手の重なり合う部分が比較的少ないのは、比較されるであろう類書との大きな違いである。ほかの本だと、作者が回想という行為に我を忘れているところがあるのだが(で、それが長所だったりするのだが)、ランズデールは追憶の世界に生きる老いた語り手の様子をも描いてしまう。

 マキャモンに特に顕著な、ノスタルジーの全面肯定に伴う気恥ずかしさ。そのベタベタな甘さこそが『少年時代』なんかの良さなわけだが、『ボトムズ』の良さは、ノスタルジーとの距離のとり方にあるのではないか。老いた語り手を描く無慈悲な筆致は、誠実さの現われでもある。

 甘さの排除という点は、作中に描かれる怪異にも現れている。怪物ゴート・マンの扱いは、例えば『少年時代』の川の怪物オールド・モーゼスのそれとは大きく異なる。ゴート・マンは、あくまでも「人間たちの領域の外側」の森に棲む怪物であり、恐怖の対象である。オールド・モーゼスのような、「共同体の風変わりな一員」にはなりえない存在だ。「自分たちが支配していない領域に抱く恐怖」というのは、未知の大陸への進入によって成立したアメリカの、ひとつの原風景かもしれない。

 メインの連続殺人事件も、1930年代のアメリカ南部という背景に包むことによって独特の色を帯びている。……ただし、事件そのものはあまりにオーソドックスなので、ミステリとしては添え物にあたる部分──治安官レッドの運命や、ゴートマンをめぐる物語のほうがむしろ印象に残る。

 なにやら賞を受賞したせいか、ランズデールの代表作みたいに言われることもあるけれど、個人的には「テキサス・ナイトランナーズ」や「バットマン/サンダーバードの恐怖」みたいな暴虐路線も好みである。

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クリスタル

ミステリ

(解説)家族のため、愛するもののため

 バークは現代社会という名の泥沼でもがいている。
 シリーズの第一期、『フラッド』から『サクリファイス』にいたる六作では、児童虐待者に対するバークの処方箋は明快そのものだった--暴力による抹殺。
 しかし『サクリファイス』のクライマックスで、その処方箋はバークの人格を崩壊に導く最悪の結果を招く。
 バークの(あるいはヴァクスの)模索がここから始まった。燃え尽きたバークの復活を描く『ゼロの誘い』では、暴力に頼らない解決がとられた。かと思えば、続く『鷹の羽音』では、身を守るためではあるが再び暴力を用いた。
 そして『嘘の裏側』では、敵の姿すらはっきりしない社会の泥沼だけが示された。バークはまったく銃を使わない--そもそも撃つべき明確な敵が存在しない。フィクションであることを捨ててまで現実を強調したこの作品で示された認識は、おそらくヴァクスの現状認識そのものなのだろう。
 続く『セーフハウス』では、児童虐待とは異なる(とはいえ、弱者を抑圧する存在であることは同じ)悪との戦いが描かれる。女たちをつけ狙うストーカーに、狂信的なネオ・ナチ組織。前作とは正反対の、派手なアクションとカタルシスに富んだ物語だ。この作品で、バークは再び銃を手にする。

 『ゼロの誘い』からのバークは、絶えず暴力と非暴力の間を揺れ動いている。本書『クリスタル』も、その延長にある作品だ。

 まずは、このシリーズの主な登場人物について整理しておこう。
 バーク。恐怖ゆえの用心深さによって生き残りの達人となった。詐欺をはじめ、表に出せないさまざまな仕事で生計を立てている。児童虐待事件の調査に異様な情熱を燃やす。
 母親は娼婦。父親は不明。州の施設で育ち、何組もの里親のもとをたらい回しにされ、家族の団欒とは縁のない世界で成長した。
 だが、バークにも家族(ファミリー)がいる。血はつながっていないものの、自らの意思で結びついたファミリーが。
 父--プロフ。黒人の浮浪者。予言者(プロフェット)であり、教授(プロフェッサー)でもある。刑務所でバークと知り合い、この過酷な世界で生き延びるための知恵を彼に授けた。
 母--ママ・ウォン。怪しげな中華料理店を経営する中国人。彼女がふるまう酸辣湯をバークたちが味わう場面は、シリーズの読者にはおなじみの光景だろう。
 兄弟--マックス。チベット系(作品によってはモンゴル系とされる)の武術の達人で、心強い助っ人。耳が聞こえず、言葉も話せないが、身振り手振りだけで充分に意思を通わせている。『赤毛のストレーガ』で出会ったイマキュラータとの間に、フラワーという娘がいる。
 妹--ミシェル。男の体に女の心を持って生まれてきた元男娼。長年、性転換手術を受ける直前で踏みとどまっていたが、『嘘の裏側』でついに手術を受けた。
 ミシェルには息子がいる。『赤毛のストレーガ』で、バークたちが幼児売春の元締めから救出したテリイだ。さまざまな知識を身につけ、本書でも成長した姿で登場する。
 父親としてテリイを教育するのが、天才的な科学者にして技術者のモグラである。ガラクタ置場に住む無口なユダヤ人で、ナチ狩りには強い情熱を見せる。
 『サクリファイス』で登場したクラレンスは、プロフの新たな息子としてファミリーに加わる。西インド諸島出身の若きガンマンだ。
 もう一人(?)重要なメンバーがいる。子犬の頃からバークに育てられた雌のナポリタン・マスチフ、パンジイだ。旺盛な食欲と巨体と獰猛さの持ち主である。
 このファミリーからは、血縁という要素がほぼ排除されている。マックスとイマキュラータの娘フラワーは貴重な例外だ。特に、ミシェルとバークは生殖能力を失っているため、血のつながった子供を得る機会は閉ざされている(念の入ったことに、犬のパンジイも交尾に興味を示さない)。だが、彼らが血縁の欠落に引け目を感じることはない。家族であるために、血など特に意味はないと考えているのだ。

 そして、バークと関わりを持つ女たちがいる。シリーズ第一作『フラッド』から第五作『ブロッサム』までは、常にヒロインの名前が題名になっていた。
 フラッド。日本で修行を積んだ武術家。親友の娘を殺した幼児虐待者・コブラを追う過程でバークと出会い、深い仲になるものの、コブラを倒した後は日本へと旅立った。バークがしばしば回想する女性である。
 ストレーガ。燃えるような赤毛と、他人を支配するような魔性の持ち主。事件の依頼人としてバークの前に現れた。シリーズにはその後も時々登場し、本書でも重要な役割を担っている。
 ベル。悲しい生い立ちを背負ったストリッパー。一途にバークを愛する(そのひたむきさは、あまりにも男に都合がよすぎやしないかと思えるくらいだ)が、悲劇的な結末が待ち受けていた。
 キャンディ。バークの幼なじみで、売春婦。娘のエルヴァイラを怪しげな新興宗教から連れ戻すようバークに依頼する。
 ブロッサム。ウェイトレスとして働きながら、妹を殺した犯人を追う新米医師。このシリーズのヒロインにしては珍しく、妹の死を除けば悲劇的な過去を背負っていない。
 『サクリファイス』以降は、タイトルからヒロインの名前が消える(本書『クリスタル』も、原題は“Choice of Evil”だ)。ただし、『サクリファイス』は別として、それ以降の作品でヒロインに当たる存在を探すことはさほど難しくない。
 『ゼロの誘い』の、バークを倒錯プレイに引きずりこもうとするSM嬢ファンシイ。
 『鷹の羽音』で、連続レイプ殺人をめぐる厄介な事件にバークを巻き込む女刑事ベリンダ。
 『嘘の裏側』に登場するヘザーは、弁護士カイトのボディーガード。雇い主のカイトに熱烈な敬意を抱いている。
 そして、クリスタル・ベス。『セーフハウス』と本書に登場する。ストーカーから逃れる女たちに隠れ家(セーフハウス)を提供する。ベル以来、久しぶりにファミリーに関わってきた女性でもある。
 こうしたヒロインたちと立場は異なるが、エヴァ・ウルフもまたシリーズで重要な役割を果たす女性だ。『赤毛のストレーガ』で検事補として登場した彼女は、児童虐待者、性犯罪者には容赦をしない。日常的に法を犯すバークとも、利害が一致すれば協力する。その妥協を知らない姿勢が災いして、職を追われた彼女だが、民間で似たような活動を続けている。ただし、裏の社会と手を結ぶことも辞さなくなった彼女は、もはや「こちら側」の住人と言っても過言ではない。バークとは「同志」だが、微妙な距離を保っている。それは、「あなたとわたし、なるようにはならないわね」(『サクリファイス』より)という台詞にも表われている。

 大事な存在と言えばもう一人、シリーズを語る上で欠かせない人物がいる。
 ウェズリイ。バークの幼なじみだが、バークよりはるかに荒涼とした世界に生きる、何者も信じない一匹狼だ。『ハード・キャンディ』の結末で死んだとされている。バークが最も恐れる冷酷な殺し屋だが、単純な悪役ではない。バークの鏡像ともいうべき存在で、ほんの少し歩んだ道が違っていれば、彼もまたウェズリイのようになっていたかもしれないのだ。

 本書『クリスタル』では、このウェズリイの影が物語を覆っている。
 バークは警察の家宅捜索で住み慣れたアジトを失い、あわやパンジイまで失うところだった。そのころ、ゲイの集会が何者かに銃撃され、参加していたクリスタルが死んだ。バークは彼女の復讐のために銃撃犯の正体を追う。一方、この事件をきっかけに、“ホモ・エレクトス”と名乗る殺人者が、ゲイを虐待する者を次々と血祭りに上げ、やがて児童虐待者も標的にする。その殺戮の手口は、死んだはずのウェズリイによく似ていた。そして、ある同性愛者グループの依頼で、バークは“ホモ・エレクトス”に接触を試みる……。
 やっかいなことに、“ホモ・エレクトス”が殺す相手はバークの敵と重なっている。殺戮の手口こそウェズリイの存在を感じさせるが、行動原理はバークを思わせる。決して彼とは無関係な存在ではない。かくしてバークは、最終的には自分自身の暴力をめぐる行動規範も問いなおすことになる。
 後半、バークが“ホモ・エレクトス”と接触してからは、物語はこれまでの作品にもなかったような奇妙な展開を見せる。だが、注意深く読んでいただきたい。“ホモ・エレクトス”と暴力のかかわりについて。彼の「邪悪の選択」について。それは、バークとも縁の深い世界のできごとなのだ。
 “ホモ・エレクトス”が同性愛者を狙う殺人者だったなら、「バーク対殺人者」という単純な図式に貫かれた明快な物語になっていただろう。だが、単なる「悪党狩り」を避け、読者が戸惑うような混沌とした図式を採用することによって、物語に深みがもたらされている。

 また、ファミリーがパンジイ救出に乗り出す場面や、クライマックス直前の会話に見られるように、バークたちの動機として「ファミリーのため」、あるいは「愛するもののため」という意思が前面に押し出され、ファミリーの絆が強調される。今までもそういう要素はあったが、前作『セーフハウス』からは特にその傾向が強くなっている。
 それに伴い、バークがラジオで気が滅入るようなニュースを耳にする描写が目立つようになる。ニュースが報じるのは、『嘘の裏側』に描かれたような「社会正義」が空洞化しつつある現代社会の泥沼だ。バークの周囲でも、ウルフの免職にそれが象徴されている。
 もはや「社会正義」など信じることのできない世界で、それでも拠りどころを求めてやまない彼らがたどりついたのが、ファミリーなのだ。だが、ファミリーという限られた範囲に基づく正義は、一方で危うさもはらんでいる。一線を超えてしまえば、前作のネオ・ナチのように、社会からの果てしない逸脱につながりかねない。今のところ、そうした逸脱を食い止めているのは、彼らが「ファミリー」であること--社会の次の世代を育て、守り、共に生きようとする集団であることにかかっている。

 バークはいわゆるタフガイとはかけ離れた存在だ。絶えず恐怖を感じながら、暴力と非暴力の間を揺れ動く不安定なヒーローだ。
 そして、もはや初期のような同じ物語の反復はありえない。次に何が飛び出すか、予測のつかないシリーズと化している。だから、バークに安住の地は存在しない。本書でのバークはアジトを失い、クリスタルを失った。そして最新作“Dead and Gone”の冒頭では、長年にわたるバークの仲間が命を落とす。
 確固とした信念を抱くヴァクスによる、しかし安定とは程遠いシリーズ。それはときに読む者を戸惑わせるが、混沌とした世界に生きる混沌としたヒーローは独特の輝きを放っている。

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