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2003年1月の日記

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2003/01/09(木)

日常

「このミステリーがすごい!」大賞の授賞式

たまたま下読みで私のところに来た作品のうち、2本が受賞。『四日間の奇蹟』は上手い。

しかしまあ、杉江松恋氏がまたしてもモノを壊した疑惑を生み出したり、いろいろあったパーティでした。

グローリアーナ

ISBN:4488652093マイクル・ムアコック/創元推理文庫

 エリザベス1世時代のイギリスによく似た異世界が舞台。定番のニポーン人も端役で登場。

 宮廷陰謀劇を主軸とした物語は、重厚にして絢爛な文章でつづられる。読んでいると疲れるけれど、豪勢な味わいがある。

 アドルフス・ヒドラーなる異世界からの来訪者の名前が出たところで、これもムアコックの巨大な物語体系の一部なのだと気づく。そういう目で見ると、「アリオク」ってのはきっと、エルリック・サーガなどでの「アリオッチ」なのだろう。キシオムバーグなんて名前も出ていたな。

 宮廷の地下やら隠し通路の描写なんぞを見るにつけ、イギリス人ってやっぱり地底好きだよな、と思う。(英国地底魂も参照)

グルーム

ノワール
ISBN:4167527952 ジャン・ヴォートラン / 文春文庫

主人公は、自分だけの妄想の世界を抱いて生きるひきこもりの青年・ハイム。彼の妄想と外の世界とのバランスが崩れたとき、悲劇が起きる。

ハイムの妄想が、アルゴンキン・ホテルというひとつの閉鎖空間を形作っているところに、ふと綾辻行人の館シリーズを連想した。あのシリーズでは、館の内側と外側のバランスが崩れて殺人事件に至るという展開が多い。そして、外側=正常、内側=異常なんていう単純な図式を無邪気に持ち込まないところは、この小説と同じだ。

たとえば、ハイムに対置される警察官たちの姿。彼らは法と秩序を代表しているわけだが、そのいびつな描かれ方を読んでしまうと、外の世界=正常、ハイム=異常なんてありきたりな図式はとても浮かんでこない(もっとも最近の日本では、警察もかなり【自主規制】であるという認識が広まっているけど)。

そう、どいつもこいつも壊れているのだ。

羊たちの沈黙」以降の、柳の下のどじょうすくいに殺到したサイコスリラーに感じた不満は、異常殺人者を「向こう側の人間」として無邪気に線を引いてしまうことだった(追記:このへんはちょっと意見修正。)。
ここには(そして他の優れた作品もそうだが)そういう区切りはない。誰だって、何かの弾みで壊れてしまうかもしれない。美しく残酷なクライマックスを読むと、そもそもこの社会にきっちり適応しているヤツほど、実は壊れているのかもしれないと思えてくる。

そんな世界像を描いている小説だから、人物描写もどこか戯画めいている。それでいて妙に生々しい。これは、「パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない」や「鏡の中のブラッディ・マリー」にも見られる、ヴォートランの巧さなのだろう。

ちなみに、もっとも胸に刺さったのはこの台詞。
ヒーローだけじゃない。作家だってそうだよ、ハイム坊主。たとえば、誰かが何か読むにたえるものを書いたとしよう。すると、その作家はたちまち有名になって、どこかに分類される。その結果、だめになるんだ。過去の偉大な作家と比べられて、この作家に似ている、この作家に近いと分類された結果ね。(p.225)
私も“この作家に似ている”“この作家に近い”と書いてしまいがちなので、これはなかなかに痛烈だった(まあ、自分がその作家をだめにしてしまうほどの影響力があるとは思わないが)。

ふと見れば、この本には「パルプ・ノワール」というラベルがついている。そう、“どこかに分類”されてしまっているわけだ。もしかしたら、これはとても不幸なことかもしれない。

慶応大推理研の例会後

 2002年12月に、慶応大推理研がこの本の読書会をやっていたので、OB数人でもぐりこんでみた。

 そのとき、あるいはその後に思ったことをいくつか。
  • これは狂気の物語ではない。むしろ、狂気への逃避に憧れながら、それを実現できずにいる男の悲劇である。
  • そんな角度から見直すと、これはなんとも泣ける話である。
  • 江戸川乱歩『パノラマ島奇譚』にもどこか似ていないか。
    • 『パノラマ島』の主人公は、自分の妄想をパノラマ島の形で実現する。
    • が、「外」の論理とのせめぎあいに敗れて破局を迎える。
    • ここで「外」を体現しているのが明智小五郎だったりするのも意味深。

英国地底魂

地底小説
(2001年ごろのミステリマガジンに書いた文章。意外と評判がよかったので載せておく。)

穴掘り公爵 第五代ポートランド公のウィリアム・ジョン・キャベンディッシュ=ベンティック=スコットは、重度の穴掘り好きだった(自分が掘るのではなく、人を雇って掘らせていたのだから、穴掘らせ好きというべきか)。屋敷の地下に合計十五マイルに及ぶ広大なトンネルを掘らせて、さらには礼拝堂やらビリヤード室やら舞踏場まで地下に設けてしまったそうな。この公爵は極端なケースだが、英国の人々はどうやら地底がことのほかお好きなようで、それは英国産の小説にもうかがえる。この奇人公爵をモデルにしたミック・ジャクソンの小説『穴掘り公爵』(新潮社)も、ブッカー賞の最終候補にもなっている。

ジョン・ランプリエールの辞書 アンダードッグス また、昨年話題になったローレンス・ノーフォークの『ジョン・ランプリエールの辞書』(東京創元社)では、ロンドンの地下に広がる巨大な空洞の存在が印象深い。太古の巨大な生物の死骸が原型となったこの空洞の中で、怪しい連中が謀略をめぐらせたり、あるいは主人公が謎の暗殺者と追跡劇を繰り広げたりするのだ。また、シアトルの地下にひろがる旧市街の遺構での冒険を描く『アンダードッグス』(文春文庫)も、舞台こそアメリカだが、著者ロブ・ライアンはイギリス人である。……そういえば、かのシャーロック・ホームズも、ロンドンの地下でトンネルを掘っていた犯罪者を捕まえたことがあったではないか。

 そんな英国地底魂は、もちろんホラーとその周辺にも見られる。比較的最近のイギリス作品から、いくつか例を探してみよう。

ミッドナイト・ミートトレイン まずはクライヴ・バーカー。デビュー作「ミッドナイト・ミートトレイン」の舞台は地下鉄だ。身近な乗り物であり、そして地上とは隔てられた空間を走るという地下鉄の特性が、存分に活かされた作品である。

 この作品の舞台はニューヨークだが、地下鉄といえば元祖はやっぱりロンドン。もともとは、建物が密集したロンドン市街の交通渋滞解決のために作られたそうである。交通問題の解決はさておいて、地下鉄の登場がイギリス人の地底魂をますます刺激してしまったことは言うまでもないだろう。

ネバーウェア だから、本場ロンドンの地下鉄が登場する作品ももちろん存在する。ニール・ゲイマンの長編“Neverwhere”(注:その後『ネバーウェア』という題名で訳された)では、何者かに追われている少女を助けた主人公が、ロンドンの地下に広がるもう一つの町に足を踏み入れることになる。ロンドンの地下鉄は長い歴史を有するだけあって、使われなくなった駅やらトンネルにも事欠かないらしく、作中でも効果的に用いられている。


 いっぽう、地下鉄と同じく日常生活に縁の深いものでありながら、あまり馴染みがないのが下水道だ。あまりお近づきになりたくない生き物が住みついているだけに、特にホラーでは何かと重宝する施設のようである。

キング・ラット たとえば、ロンドンの下水道を縦横に駆けるネズミの群れが活躍する、チャイナ・ミーヴィルの『キング・ラット』(アーティストハウス)。題名にもなっているキング・ラットは、見かけこそ人間だが、その名のとおりネズミたちの王で、ちゃんと玉座も宮殿も持っている(下水道の中ではあるけれど……)。もっとも、服装は薄汚いし、悪臭は放つし、残飯を口にしても平気だし、王らしからぬふるまいが目立つお方でもある(なんといってもネズミ男なのだ)。


 また、ショーン・ハトスンの『スラッグス』(ハヤカワ文庫NV)では、下水道に肉食ナメクジ集団が住みついている。主人公の衛生検査官は、下水修理工とともに町の下水道にもぐりこむのだ。……もっともハトスンの場合、下水道の「下」の描写にも並ならぬ情熱を注いでいて、さすがに「お下劣」【ルビ:ナスティ】と評されるだけのことはある。食事の前後に読むのはあまりおすすめできない(食事中に関しては言うまでもない)。

 こういった小説の舞台になるのは、地下鉄や下水道といった都市のインフラだけではない。地面の底には、過去の遺産も埋まっているのだ。

 ブライアン・ラムレイの「狂気の地底回廊」(国書刊行会『黒の召喚者』所収)の登場人物たちが潜り込むのは、人類以前の種族が建造した遺跡である。この作品はアメリカの怪奇小説家H・P・ラヴクラフトの「狂気の山脈にて」に捧げられた作品だが、ラヴクラフトが南極で発見した古代遺跡を描いているのに対して、こちらの舞台は英国国内。人類以前の種族の遺跡などという大変なものではあるが、けっこう気楽にたどり着けるのだ。

ISBN:4488523110 グレアム・マスタートンの「シェークスピア奇譚」(創元推理文庫『ラヴクラフトの遺産』所収)も、ラヴクラフトに捧げるオマージュである。こちらはロンドン市内の工事現場で発見された十七世紀の劇場跡と、三〇〇年前の死体の謎が語られる。なんだか歴史ミステリみたいな幕開けだが、そこはやっぱりホラー。地中には他にも大変なものが埋まっている。

 さて、ここまで取り上げた小説のほとんどが、前人未踏の洞窟などではなく、身近な地下世界を描いている。それは、地上の現実と隣り合わせの別世界だ。特に、ロンドンの地下に広がるもう一つの町を描いた“Neverwhere”や、下水道に広がるネズミたちの国を描く『キング・ラット』には、そのような異世界志向が特に強く見られる。

 そういう志向は、J・R・R・トールキンの『指輪物語』のような、本格的な異世界を創造するファンタジーにも接近していると言えるだろう。実際、「ミッドナイト・ミートトレイン」でニューヨークのもうひとつの顔を描いたクライヴ・バーカーは、その後『不滅の愛』(角川文庫)などで、異世界を描く幻想小説へと乗り出している。

 ただし、幻想的な異世界と、街路の下に広がる世界との間には、大きな違いがある。現実との距離だ。ここで紹介した地下世界にたどり着くには、長い旅も神秘的な手続きも必要ない。降りる手段さえあればいい。行き来が容易なだけに、地下世界のできごとが地上の現実に影響を及ぼす展開も珍しくない。

 地上の現実とはっきり区切られているけれど、階段や梯子を降りるだけで入り込めてしまう身近な異空間。この微妙な距離感のおかげで、地下世界はイギリス人以外の読者にも魅力的なものになっているのだ。英国地底魂を侮るなかれ。