▼ ハンニバル
【ミステリ】
■人を喰ったブラック・コメディ
トマス・ハリス / 新潮文庫『羊たちの沈黙』の続編。ただし、単なる『羊たちの沈黙2』ではない。
これは華麗な衣をまとってはいるものの、まぎれもないブラック・コメディだ。
前作『羊たちの沈黙』をまじめに読んできた人はがっかりするかもしれないが、それはおそらく作者の思うつぼ。大きくなりすぎたヒーローをどうやって始末するか、というのがこの作品に与えられた課題のひとつなのだから。
『羊たちの沈黙』までのレクター博士の「凄み」がどこから出ていたかと言えば、「まったく内面が描かれない」という一点につきる。それが今回は、内面描写はもちろん、その生い立ちまでもがつぶさに語られるありさまだ。レクター博士は「怪物」ではない、「人間」にすぎないのだ、ということを見せつけるかのように。
いうなれば、これは作者自身の手による偶像破壊行為。レクター博士を「アイドル」として描いたのが前作ならば、今回は「アイドルだってトイレに行く」という物語だ。
誇張されたキャラクターたちがくりひろげる、荒唐無稽と紙一重(というか荒唐無稽そのもの)の物語を描く文体もまた、余裕たっぷりの上に悪ノリの過ぎる素敵なしろもの。きわめて悪趣味な物語であることは間違いない。
今回、レクター博士がフィレンツェの街で芸術と文学を語り、科学への深い造詣を見せ、さらに人間以外の食材についてもグルメぶりを発揮するのも、作品の悪趣味ぶりをよりいっそう引き立てるためではないだろうか。悪趣味を引き立てるには、「悪」でない趣味を描くのが一番だ。
クライマックスの料理シーンは大笑い。
そしてここに至って初めて気づいたが、これはつまるところ「モンティ・パイソンの空飛ぶサーカス」なのだ。
念のため簡単に説明しておくと、「モンティ・パイソン」とは30年近く前のイギリスで放送されていたコメディ番組で、イギリス国営放送でやっていたとは思えないくらいに毒のきついギャグをふりまいていた。現在はビデオで全話を見ることができる。この「モンティ・パイソン」でしばしば描かれたのが、人肉食がらみのギャグ。あるエピソードでは、『ハンニバル』のクライマックスと似たような風景が描かれる(さすがに実写ではなく、アニメだ)。
映像として見ると明白なのだが、やっぱりこの光景は爆笑ものである。しかもレクターは(と言うより作者トマス・ハリスは)、さらにいくつかの要素を付け加えてバカバカしさを増幅させたうえに、その後でもうひとつとんでもないことをやらかしてしまうのだ。
このシーン、ラストにつなぐ前の、作中でもかなり重要な場面である(そういえば「モンティ・パイソン」のくだんの映像も、人食いギャグがエスカレートしてイギリス女王をも巻き込んだオチへとなだれ込む前の、重要なところに位置していた)。そんなところで読者を笑わせてしまうのだから、彼の意図はおのずと明らかだ。
「モンティ・パイソン」がイギリス女王をネタに好き勝手なギャグを繰り広げたように、トマス・ハリスもまたレクター博士をネタにして遊んでいる、そんな印象を受けた。「モンティ・パイソン」との大きな違いは、もちろんレクター博士がハリスの創作物である、というところ。これはもう、そこまでの底力をもつキャラクターを創造できた作家の特権だろう。
豪華なおぜん立ての上でやってのけた、壮大なポトラッチ。
もう、レクター博士をまともな形で小説に登場させることはできないだろう*1。シリーズを重ねる毎に痛々しい存在と化してしまった「13日の金曜日」のジェイソンなんかに比べれば、彼の最後ははるかに幸せだ。
*1 : 2008/01追記:ハンニバル・ライジング(笑)。
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