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荊の城

小説
上巻下巻サラ・ウォーターズ / 創元推理文庫

 読後興奮のあまり、いっそ表紙は金子國義だったらよかったのに、などと思ってしまった。

前作『半身』と同じく、
  • ヴィクトリア朝のイギリスが舞台で
  • 階級の違う女性どうしの恋愛が描かれ
  • そこには策謀と裏切りが潜んでいる
というおはなし。

 ただしストーリーの構成は前作よりも凝っている。『半身』は作品の魅力の大半を「雰
囲気」に負っていたところに不満を感じていたけれど、今回はそれも解消された。物語の色合いを鮮やかに反転させるだけではない、波乱万丈の展開が待っているのだ(それにしても、ヴィクトリア朝の時代ですらすでに手垢にまみれていたであろうアレを
、まさか21世紀の作品で読むことになるとは思わなかった)。

 山あり谷あり精神病院ありの物語だが、あくまでも主軸は二人の女性の愛。同性愛者の女性が主役だけに、ヴィクトリア朝という時代の抑圧的な部分が生々しく描かれる。

……そして、その反動がもたらす淫靡な部分も。まさかお嬢さまがそんなプレイを強いられていたとは。いやはや。羞恥と禁忌の意識が強かった時代ならではのエロティシズムが色濃く感じられる小説だ。

 ヒロインを待ち受けているのは過酷な出来事ばかりだけれど、フィニッシュは実に痛快(しかもえっちだ!)。少々毛色は異なるが、サリンジャーとピンチョンを足して2で割ったような作家が登場するある小説を思い浮かべた。『荊の城』は、書き方次第ではメタミステリならぬメタポルノになっていたかもしれない。

 部屋のどこかに埋もれているはずの作者不詳ヴィクトリアンポルノ『閉ざされた部屋』を読み返してみたくなった。そして読み返した後は、「異色の密室もの!」とか言って無垢な若者に薦めたりするのだ。うひひひ。……でも、無垢な若者なんて身近にいないんだよなあ。

木曜日に生まれた子ども

小説
ASIN:4309204066ソーニャ・ハートネット / 河出書房新社

穴を掘る才能に恵まれ、地中で暮らすことを選んだ少年ティンと、その家族の物語。

時は第一次大戦後、舞台はオーストラリアの荒野。語り手の少女ハーパーには、ティンという奇妙な弟がいる。彼は幼いころから穴を掘るのが大好きだった。やがてティンはトンネルを作り、地中で暮らすようになり、地上の家族の前にもほとんど姿を見せなくなる。

おりしも大恐慌。一家には次々と災難が降りかかる。その折々に、ティンが地底から姿を見せる。救いになることもあれば、トラブルになることも。彼は徐々に、いける伝説のようなものになってゆく……。

風変わりな地底小説である。家族の中でただひとり「遠く」に行ってしまったティンは、遠くて近い他者。長大なトンネルを掘るその姿は次第に怪物めいたものになってくるけれど、それでも彼を家族として認めるハーパーたちの姿勢がいい。

過酷にして叙情的な物語だ。大恐慌が家族を疲弊させる様子が生々しく描かれる一方で、ティンの出現する場面はどこか幻想めいたものを感じさせる。クライマックスの荒々しい情景には、生々しさと幻想とが溶け合った奇妙な感動がある。

Pendragon/The World 題名はマザーグースの一節、"Thursday's child has far to go"に由来しているとのこと。Pendragonの"The Voyager"という曲を思い出した。詞はマザーグースとは少し違っているけれど、やはり「木曜日の子どもは遠くへ旅に出る」という一節があるからだ。

ところでほかの曜日はどうなっているんだろう、と調べてみたらこんなサイトを見つけた。

http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/pbMotherGoose.htm

ちなみに私は金曜日生まれ──愛情豊かなのだそうな。愛情豊か、ねえ。

太陽の塔

小説
ISBN:410464501X 森見登美彦 / 新潮社
我々の日常の九〇パーセントは、頭の中で起こっている。(p.72)
 つまりはそういうことだ。

 日本ファンタジーノベル大賞の受賞作。もっとも、作中に描かれるのは休学中の学生のしょぼい日常だ。
 読み始めた時点での疑問は、「これのどこがファンタジーなんだ?」というもの。その疑問は読み終えても解消されなかった。
 小説として難がある、ということは全くない。晦渋さと軽さを適度にブレンドした文章で、情けない日常をひとつの物語として読ませてしまう腕前は素晴らしい。巧みに織り込まれたユーモアも、適度に自然で適度にわざとらしく、この本を楽しく読み進める原動力になっている。しめくくりの、押しつけがましくないセンチメンタリズムも悪くない。

 妄想に満ちた主人公の語りは、日常を非日常的な何かにつくりかえている。だから、ダメな若者のダメな日常を綴っているだけなのに、楽しく読める物語になっている。舞台になった京都のことを私はほとんど知らないのだが、少なくとも語り手が暮らす空間としての京都は、彼の視点を通じて独特の雰囲気を醸し出している。

 でも「ファンタジー」じゃないだろ、これは。

 語り手の視点が(というよりも語り口が)ユニークなのは確かだ。
 だが、現実を組み替える視点から語られる物語と、組み替えられた現実を語る物語っとは別物だ。「ファンタジー」という名前は、後者を前者とは異なるものとして区分している。
 そもそも、現実を組み替える視点から語られる物語は珍しくない。たとえばレイモンド・チャンドラーは、自らを高潔な騎士だと信じている、卑しい街に暮らす私立探偵の物語を残した。フィリップ・マーロウの感傷に満ちた視点はファンタジー的と言えなくもないが、ファンタジーとは呼ばれない。

 なにか面白い小説を読みたい──そういう人には安心してお薦めできる小説だ。しかし、面白いファンタジーを探している人に、この本の名前を挙げることは決してないだろう。

幻のハリウッド

小説
ASIN:4488598013 デイヴィッド・アンブローズ / 創元推理文庫

題名どおり、ハリウッドを舞台に起こる奇妙な物語を収めた短編集。

収録作

生きる伝説

フィリップ・K・ディックの短編を連想させる。最後の一行のダブル・ミーニングが効いている。

ハリウッドの嘘

O・ヘンリーばりの「いい話」を、ぐいっとねじ曲げてみせた。善意がもたらす悲喜劇を描いた、残酷にして暖かい一編。

リメンバー・ミー?

名優たちの幽霊といえば、『冷たい心の谷』にも登場していた。題材そのものは、アメリカではかなりポピュラーな都市伝説らしい。ヒーローやアイドルの不滅を願う心理から生まれたのだろうか。「源義経がジンギスカンになった」という説を思い出す。

へぼ作家

最後の一行がフレドリック・ブラウンの短編を連想させる。もしブラウンが、パソコンが普及した時代に活躍していたら、真っ先にこういう短編を書いていたんじゃないだろうか。

名前の出せない有名人

スタンダードな物語を、奇抜なシチュエーションのもとで描く小説がある。ありがちなハードボイルド私立探偵がナチ支配下のベルリンで活躍する『偽りの街』とか、あるいはハイジャックされた飛行機という閉鎖空間での殺人捜査を描く石持浅海『月の扉』なんかもそのくちだろう。で、この作品もそれ。ふつうの恋愛小説なんだけど、男はポルノ男優、女はポルノ女優という設定が話をおもしろくしている。

ぼくの幽霊が歌ってる

短編小説でなければできない幻惑の語り。『冷たい心の谷』にも描かれた虚飾の世界の一面が、「虚飾」を虚飾と感じない男の口から語られる。

ハリウッド貴族

小粒でぴりりと辛い犯罪小説。
  • 迷宮の暗殺者 Bookstack 古山裕樹
    デイヴィッド・アンブローズ / ヴィレッジブックスミステリというと、たいていは「最後にびっくり」だ。最後の一行で読者を驚かせようと工夫を凝らす作家も珍しくない。ただし世の中には、「真ん中でびっくり」という作品もないわけではない。殊能将之『黒い仏』とか、ある...

四日間の奇蹟

小説
ASIN:4796638431 浅倉卓弥/ 宝島社

第1回「このミステリーがすごい!」大賞で、金賞を受賞した作品。はじめて読んでから、そろそろ一年近く経つ。たまたまこの賞の一次選考委員を務めていたため、応募原稿のうちの一本として読むことになったのだ。

 作品自体については、一次選考での選評でだいたい書いたので、ここでは書き残したことを挙げておこう。

第一印象

 上手いんだけど、でも……というものだった。

 読み始めてすぐに、文章力、構成などが応募原稿の中で群を抜いていることは分かった。だが、悪い予感を拭い去ることはできなかった。

 悪い予感はどこからきたのか? それは登場人物の設定と、タイトルだ。この作品で重要な役割を果たす少女は、知能に障害を負っている。その一方で、天才的なピアノの腕前の持ち主である。いわゆるイディオ・サヴァンというヤツだ。さらに題名の『奇蹟』の文字から、当時話題になっていたある番組を連想してしまった。

 応募原稿としてこの作品を読んだのは去年(2002年)の今ごろ。ちょうどそのころ世間では、NHKスペシャル『奇跡の詩人』がけっこう話題になっていた。脳に障害を持ち、体を動かすこともままならない少年が、母親の力を借りながら文字盤を指すことで、人と意思を通じている。そして、年齢の割にはかなり大人びた詩を作っていて、それが人々を感動させている……という内容だ。

 放送直後から「あれは母親が少年の手を動かしてるんじゃないか。少年の言葉じゃなくて、母親の言葉じゃないのか」と騒がれた(その一方で、本気で感動しちゃった人たちもいたようだが……)。ことの真偽はともかく、そんなふうに突っ込んでみたくなるような「安手の感動垂れ流し」番組であった、とは言えるだろう。

 善意に満ちた登場人物。障害を背負いながらも、優れた能力を持つ少女。なんとなく、『奇跡の詩人』を連想せずに入られなかった(『奇跡の詩人』の少年と本書の少女とでは、障害の性質がまったく異なるのだが)。上手く書けてるのに、安直な「癒し」話だったらどうしよう……そんな危惧を抱きながら、そのわりにはけっこう楽しみながら、読み進んでいった。

読み終えてみたら

 杞憂だった。

 物語はある種のハッピーエンドを迎えるが、埋め合わせられることのない喪失という苦味を伴っている。思えばこれは、埋められることのない喪失の物語でもあったのだ。語り手はピアニストとしての未来を失い、少女は両親を失い、そして二人が訪れた療養所の人々もまた、それぞれに失ったものがある。ラストにはもうひとつ大きな喪失が描かれている。

 だが、決して陰鬱な物語ではない。喪失というネガティヴな事象に遭遇しながら、目をそらして何かに逃げることなく、それを乗り越えてゆこうとする人々を描いている。作中の「奇蹟」は、単純に救いをもたらすようなものではない。人々に、自己の喪失感と向き合う契機を与えるような性質のものだ。

 登場人物たちの喪失感と向き合う真摯な姿勢が、物語に前向きな力強さをもたらしている。安直な「救い」に頼ることのない、本当の意味でポジティヴな物語といえるだろう。

ちなみに

 本書や、あるいは映画「レインマン」なんかもそうだが、イディオ・サヴァンといえば「感動」のきっかけとして扱われることが多い。そんな中で、ドライなアプローチに徹した中井拓志『アリス』はなかなか面白い作品だった。

 ここで引き合いに出した『奇跡の詩人』だが、故・ナンシー関のホームページ(http://www.bonken.co.jp/)の生前最後の更新が、この番組のことを取り上げた文章だった。改めて読んでみたが、惜しい人を亡くしたものである。