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死を呼ぶペルシュロン

ミステリ
ASIN:479492741Xジョン・フランクリン・バーディン / 晶文社

……なんですかこれは。

 困ってしまった。人の話をジョークだと思って笑ったら、実は相手が真剣だったときのような気まずさを感じた。

 すさまじく狂った話なのに、ちゃんと推理小説という枠組みにおさまっている。だから居心地が悪い。島田荘司が大風呂敷をたたみ損ねたときのような居心地の悪さ、といえばいいだろうか。

 じゃあ失敗作なのか? 確かに、前半あれだけ巧みに不安を煽り立てておきながら、最後の謎解きは辻褄あわせに終始して、後半はごちゃごちゃした展開になっている。そういう意味では失敗作だ。

 でもこれは、小奇麗にまとまっているだけが取り柄の小説なんかと違って、忘れてしまうのは難しい。いわゆる普通のミステリから微妙にずれた、いびつな小説。「よくできている」とは言いづらいけれど、異質であるがゆえの魅力を備えた作品だ。もしかしたらバーディンが書いていたのは「ミステリ」じゃなくて、「ぼくの考えたミステリ」だったんじゃないだろうか。

 最近のものだと、デイヴィッド・アンブローズの『迷宮の暗殺者』もずいぶん変てこな話ではある。けど、俺たちのデイヴは「変な話を書くぜ!」と自覚していて、「変なポイント」をアピールするタイミングを計算している。デイヴと俺たちとの間には共通の認識ができている(当人に確かめたわけじゃないけど、俺たちには判るぜ!)。

 でもバーディンは違う。異質さを無自覚に垂れ流している。この人、自分がとてつもなく奇妙な作品を書いちゃったことに気づいていたのだろうか? 「どうして自分の作品だけキワモノ扱いされるんだろう」なんて悩んでいたんじゃないだろうか?

 第三作『悪魔に食われろ青尾蝿』を書いた後のバーディンは、もっとありきたりな推理小説を書くようになった。ミステリと言うものをちゃんと理解したのかもしれない。けれど、それらは今ではほとんど評価されていないらしい。

 バーディンは「ミステリ」と「ぼくの考えたミステリ」の溝を埋めてしまったのだろうか? だとしたら──少なくともミステリ読者にとっては、大きな損失だった。

奇術師

ミステリ
クリストファー・プリースト / ハヤカワ文庫FT

 フィクションの魅力にもいろいろあるけれど、特に「いかがわしさ」は大切な要素だ。

 こういう書き方は問題があるとは思うのだが──奇術はいかがわしい。欺き、惑わすことによって観客を魅了する演芸なのだから。そんな行為が通用するのは、これは舞台演芸である、という観客の了解があるからだ。

 その奇術師が、この小説の主役だ。ヴィクトリア朝時代に活躍した奇術師ボーデンとエンジャ。彼らが残した手記が、物語の大部分を占めている。そして彼らの確執が、その手記を読んだ100年後の子孫にまで影を落とす様子が語られる。

 ところで、先ほどの奇術に関する失礼な記述は、ミステリにもあてはまる。巧妙な語り=騙りで読者を欺いた作家は賞賛され、うまく騙せなかった作家は貶される。そんなふうに倒錯した分野なのだ。

 トリック以上にその演出にこだわる奇術師ボーデンの存在は、まさにミステリだ。手記の冒頭で、中国人奇術師の逸話を紹介しつつ「読者を惑わす」と宣言する。その約束どおり、まもなくとんでもない記述が飛び出す。執筆者の正常さを疑いたくなるような記述が。語り手自身の不穏な謎をはらんだまま、もう一人の奇術師エンジャに関する謎も提示される。

 ボーデンの謎とエンジャの謎。その二つが(いちおう)解き明かされるのがエンジャの手記だ。こちらはずいぶん平明に見える──が、読者よ欺かるるなかれ。彼もまたすべてを書いているわけではない。あからさまに惑わす代わりに、彼はただ沈黙する。あるいは、手記のページを破り捨てる。

 ところで、ボーデンとエンジャの初遭遇が降霊会、というのがなんとも象徴的だ。文中にも述べられているように、当時の降霊術師は、さまざまなトリックを駆使して霊魂の存在を演出していた(そういえばサラ・ウォーターズ『半身』も降霊術にまつわる物語だったか)。すべてはいかがわしさの中にある。

 そんなインチキ降霊術のたぐいに対置されるはずの「科学」でさえも、ここでは実に怪しげなものとして描かれる。なにしろ本書で「科学」を体現する発明家ニコラ・テスラは、そのエキセントリックな言動が強調されているのだ。火花を散らす電気装置。偏屈な天才発明家。マッド・サイエンティストの夢だ。これに限らず、この物語はパルプ・マガジン風の演出で支えられている。けばけばしい表紙の雑誌に載せられた、煽情的ないかがわしい物語の演出で。

 これはミステリであり、怪奇小説でもある。そういういかがわしい小説に魅力を感じる方には、ぜひ読んでいただきたい作品だ。

(補足)

ニコラ・テスラに関しては、新戸雅章『発明超人ニコラ・テスラ』 と、氏のWebサイト「発明超人ニコラ・テスラ」 が参考になる。

ちなみに早川書房は、2004年3月の『エヴァーグレイズに消える』に2004年4月の本書と、続けてテスラ関連の小説を出版していた。

2008/01/03 さらに補足

ニコラ・テスラもの(?)としては、さらに『ゴーストダンサー』が2007/11に刊行されている。

マンハッタン狩猟クラブ

ミステリ
ASIN:4167661594ジョン・ソール / 文春文庫

 都市の地下でひそかに繰り広げられる「人狩り」ゲーム。そこに、標的としてほうり込まれてしまった男の物語。

 主人公のジェフは、身に覚えのない殺人で有罪判決を下された青年。投獄の直前に拉致された彼が連れてこられたのは、ニューヨークの地下だった。彼は「ゲーム」に参加させられたことを知る。ジャガーという男とコンビで、彼らを追う完全武装の狩人たちから逃げるのだ。だが、ジェフは知らなかった。相棒のジャガーが、仲間に異常な愛情を抱く猟奇殺人者であることを……。

 ニューヨークの地下。下水道や閉鎖された地下鉄のトンネルや駅には、地上とは別のコミュニティが築かれていた--というのは、絵空事ではなさそうだ。ニューヨークの地下生活者を扱った『モグラびと』というノンフィクションもある。

 都会の地下は人跡未踏の大洞窟ではない。地下のコミュニティは地上のそれとは別物だが、隔絶されているわけでもない。すぐそこにある異世界なのだ。

 あなたの足元に、あなたの思いもよらない世界が広がっている。そんな「不可視の領域」に関する空想は、何者かがこの社会を裏からコントロールしている--という陰謀論とも相性がいい。こちらは「不可視」というより「吹かし」であることが多いのだが。

 そう。これはすぐれた地底小説であるだけでなく、陰謀小説でもある。ゲームを仕掛けた黒幕の素性をみるがいい。その名前も、陰謀論の世界ではおなじみ、ジョン・コールマンの著作に登場する組織名をヒントにしているようだ。

 異様な世界での人狩りゲームを、さらに異様なものにしているのが「相棒」のジャガー。ジェフにとっては謎めいた仲間、しかし実は猟奇殺人者。狩人から逃げ惑う過程で、ジャガーは徐々に牙を剥く。追跡劇のスリルに殺人鬼のサスペンスが重なり合い、緊張はクライマックスまで途切れることがない。

 ジョン・ソールといえば、子供がひどい目に会う陰鬱なホラーの書き手として知られている。こんなスピーディなスリラーを発表するのは少々意外ではあるが、まあ20年も子供いじめてきたんだから、そろそろ違うことをやりたくなるのも無理はない。

七つの時計

ミステリ
ISBN:4151300740(アガサ・クリスティー / 早川書房・クリスティー文庫)


解説:仮面の下に驚きを

 秘密結社。

 この言葉から、あなたは何を思い浮かべるだろう? 国際紛争の行方から郵便ポストの色まで、あらゆる事象の背後で糸を引いている陰の支配者? それとも、世界征服の野望を毎週のように正義のヒーローに妨げられる悪の組織?

 いずれにしても、「秘密」の文字を冠するからには、素性を隠す謎めいた呼び名は欠かせない。素顔を隠す覆面などの怪しいコスチュームがあれば言うことはない。もっとも、そんなのがうろうろしてたらとても目立つから、秘密を守るのは難しそうだ。でも、秘密結社らしさを守ることだって大切だよね。

『七つの時計』の影の主役は、そんないかにも怪しげな秘密結社だ。メンバーはちゃんと仮面をかぶっているし、お互いを奇妙なコードネームで呼び合っている。わかりやすくて大いに結構。物語に出てくるのはみんな大人ばかりだけど、気分はまるで少年探偵団だ。

 あまりに陳腐? そうかもしれない。クリスティー自身も照れくさかったようで、ヒロインが目撃した秘密結社の様子を聞かされた登場人物に「まさかぼくをからかってるんじゃないよね?」とか「なにもかも、百ぺんも小説のなかで読まされたことばかりだ」(217、218ページ)なんてことを言わせている。

 でも、陳腐さを恥じることなんてない。たしかに仮面をかぶった連中の秘密結社なんてのは陳腐で、しかも荒唐無稽だけど、その荒唐無稽さのおかげで、ぼくたちはクライマックスでびっくりできるんだから。

 そう。『七つの時計』は冒険・スパイものと銘打たれてはいるけれど、楽しさの核にあるのは「びっくり」で、それはクリスティーの数々の謎解きミステリと変わらない。真相が明かされた瞬間の鮮やかな驚きは、あまたの名作にもまったく見劣りしない。

 その鮮やかさを支えているのが、仮面や奇妙な呼び名という、秘密結社らしさあふれる儀式的な要素だ。本文を読んだ人は、謎の組織の正体が明かされる場面を思い出してほしい。なんとも芝居がかったあの瞬間は、この物語のもつ「びっくり」の核を端的に表している。まずは要点を効果的に伝える──すぐれたプレゼンテーションじゃないか。発表当時でさえ陳腐になっていたような要素を、クリスティーはぜんぜん陳腐じゃないやり方で再利用してみせたんだ。

 主人公・バンドルの性格づけも、このプレゼンテーションに大きく貢献している。彼女は好奇心と行動力のかたまり。クリスティーの作品によく登場する、良くも悪くも熟考するより先に行動に出るタイプだ。

 正直なところ、バンドルは事件の解決に役立つどころか、かえって騒ぎを大きくしている。でも、彼女が動いてくれるおかげで、謎の魅力もふくらんでいるんだ。自分のいないところで起こった事件にどんどん首を突っ込んでゆくヒロインは、この物語の謎を謎として成り立たせるのに必要不可欠だといってもいい。

 ところで、『七つの時計』はクリスティーの作品では初期のものだ。仮面の秘密結社を見てもわかるとおり、後の「ミステリの女王」の風格が漂う落ち着いた作品にくらべると、ずいぶん稚気にあふれている。「ミステリのお姫様」の作品といえばいいのかな。

 実はこのお姫様、『七つの時計』を発表した一九二九年ごろは何かと大変だったのだ。結婚生活はうまくいかず、『アクロイド殺し』が話題になったことによるプレッシャーにも苦しんでいた。二六年には失踪事件を起こし、さらに二七年の『ビッグ4』は彼女ならではの精緻なきらめきを欠いてしまう。そして二八年には、とうとう不幸な結婚生活にピリオドを打つ。……という状況をふまえて、二九年発表の本書を読んでみよう。ヒロインにはロマンスも花盛りのこの陽気な物語は、そういう境遇にあった女性が書いたものなんだ。辛い日常からの逃避、という側面もあったのかもしれない。でも、そんな中でこういう作品を仕上げてみせた彼女の強靭な稚気が、三〇年代に入ってからの傑作の連発に結びついたんじゃないだろうか。

 すでに本書を読んだ人のために、ほかの本へのリンクをいくつか。

 まずは『チムニーズ館の秘密』。『七つの時計』で「四年前の事件」と言われているのは、この物語のことだ。舞台はもちろんチムニーズ館。当時もおてんばだったバンドルや、ケイタラム卿にジョージ・ロマックス、バトル警視といった面々も顔を見せる。内容は『七つの時計』と直接関係ないけれど、両方読んでおくとより楽しめるんじゃないかな。

 『七つの時計』の謀略はスケールが小さい! とご不満の方は、『ビッグ4』なんて面白いんじゃないだろうか。さっき述べたとおり、お世辞にも傑作とはいえない。クリスティーのワーストなんて言っちゃう人もいるくらいだ。とはいえ、これは愛すべき作品ではある。なにしろこの作品は、エルキュール・ポアロが世界征服を企む悪の組織を相手に戦う一大娯楽活劇なのだ。広げた大風呂敷をたたむ手際は少々雑だけど、なんといっても世界征服である。夢は大きく持ちたいね。

 いっぽう、本書を読み返して、その技巧に感心した人には、この騙しの技法をさらに発展させた『そして誰もいなくなった』を。でも、とても有名な作品だから、とっくに読み終えているかもしれない。それなら、若島正の「明るい館の秘密」はどうだろう。『そして誰も~』に張り巡らされた仕掛けを、丁寧に読み解いた評論だ。みすず書房の『乱視読者の帰還』か、宝島社新書の『ミステリよりおもしろい ベストミステリ論18』で読むことができる。

 ヒロインの活躍ぶりが気に入った、という人も多いんじゃないだろうか。クリスティーの作品にはこういう元気なヒロインがたくさん出てくるけど、中では『秘密機関』のタペンスが有名だ。相棒のトミーとのやりとりを読んでるだけで読者をわくわくさせる。ほかにも『茶色の服の男』『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』『バグダッドの秘密』……と、元気なヒロインが出てくる作品を挙げるときりがない。だから、あとは自分で探してください。ごめんね。

 さて、解説はそろそろおしまいだ。
 もしもあなたが、まだこの本を読んだことがなくて、とりあえず解説をのぞいてみたのならば、ぜひ物語を楽しんでいただきたい。
 いまどきのスリラーに比べればずいぶんのどかではあるけれど、冒険への憧れを体現するバンドルの元気な活躍が、真相が明かされるときの世界がひっくり返るような驚きが、あなたを待っている。そして読み終えたあとは、再読して作者の技巧の冴えを堪能することだってできるんだ。
 それじゃ、楽しい読書を!

ジェシカが駆け抜けた七年間について

ミステリ
ISBN:4562037385歌野晶午 / 原書房

女子マラソンの世界で起こった悲劇を、トリックを仕掛けることでミステリーに仕立てた作品。

『葉桜の季節に君を想うということ』で不満だった点が、この本ではきれいに解決されていた。『葉桜~』に感じた不満というのは、
  • ある事実が伏せられているだけで、伏線としては弱い
  • 仕掛けにこめられた驚きが、描かれる事件の解決とほぼ無関係
というのが主なところ。これが本書では、
  • 伏せられている事実を匂わせる記述が、実は大量に埋め込まれている
  • 仕掛けにこめられた驚きが、描かれる事件と絡み合っている
と改善されている。特に後者は重要で、『葉桜~』の仕掛けがひっくり返してしまう範囲というのが物語のある一部分(重要な要素ではあるのだが)に限定されていたのに対し、『ジェシカ~』では物語の意味そのものが変わってしまう。これまで読んできた物語が、実は全く違う物語だったのだ──という驚き。女子マラソンという背景すら、この仕掛けを成り立たせるために選ばれたもののように思える。

 そんなわけで、「読者をびっくりさせる」という一点に集中して大技を仕込んだ作品としてはたいへん満足。

(ただし、35ページ2行目の表現は勇み足ではないかと思う。本書の仕掛けにかかわる部分だけに、ちょっと残念なところである)