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蒼茫の大地、滅ぶ

小説
蒼茫の大地、滅ぶ / 西村寿行

東北地方を襲った驚異的なイナゴの群れは田畑をを食い荒らし、米の生産に致命的な打撃を与えた。娘を売った昭和初期の大凶作の記憶がよみがえる。なんら有効な対策を打たない政府に業を煮やした東北六県はついに日本国からの分離独立を決意するが、もちろん日本政府はそれを阻止しようと動き出す……。

 西村寿行と言えば、激しいエロスとバイオレンスが売りの作家、というイメージが強い。が、この作品ではそういう要素を抑え(もちろん皆無ではない)、米をめぐる地方-中央の対立が国家を揺るがす事態へと拡大してゆく様子をじっくりと描いている。また、動物を主役に据えた作品もいくつか書いている作者だけに、前半のイナゴの描写もなかなか凄絶である(この場面が凄絶でなければ後半が生きてこないのだから、当然といえば当然だが)。

 ここでクローズアップされるのは「叛逆」だ。実際、日本史を振り返ってみても、源義経から戊辰戦争の幕府軍まで、「反逆者」と見なされた者たちが北方(謙三ではない)に落ち延びる例は多い。そして作中では、執拗なまでに「中央による地方搾取」の図式が描かれる。「日本は単一民族なので云々」という画一幻想は打ち壊され、差異が強調される。東北からの難民に対する視線は、あっという間に差別意識を含んだものになる。

 さらに注目すべきは、本書を貫く、読むものを圧倒する「滅び」のヴィジョン。叛逆の物語にこのヴィジョンが重なることによって、勝者たちの作り上げた「表」の歴史に対置される、敗者たちの「裏」の歴史の存在が浮き彫りになる。

 船戸与一は『蝦夷地別件』で、江戸時代の北海道を舞台にアイヌの叛逆の物語を描いてみせたが、西村寿行はそれに先行していたと言えるだろう。

 ちなみに「滅び」といえば、同じ西村寿行作品に『滅びの笛』という、ネズミの大量発生に端を発するパニックものがある。こちらもおすすめ。
  • ポラーノの広場 Bookstack 古山裕樹
    ■ハードボイルド・イーハトーブ*1宮沢賢治/新潮文庫 表題作を含む短編集。 ミステリ者としてここで注目すべきはこの一編、「税務署長の冒険」だ。 主人公は税務署長。物語は、彼が酒の密造防止を訴える講演をする場面から始まる。彼が講演をしているこの村、実は何者か...

ポラーノの広場

小説

ハードボイルド・イーハトーブ*1

宮沢賢治/新潮文庫

 表題作を含む短編集。

 ミステリ者としてここで注目すべきはこの一編、「税務署長の冒険」だ。

 主人公は税務署長。物語は、彼が酒の密造防止を訴える講演をする場面から始まる。彼が講演をしているこの村、実は何者かが大がかりな密造をやっているようなのだが、尻尾がつかめない。署長は講演しながらも、きっと聴衆の中におれを笑っている奴がいる、と苛立つのだった。署長は部下に内偵を命じるが……という筋書き。

 この作品、実はアガサ・クリスティのある作品と同じトリックが使われている(本当)……なんてハッタリを持ち出さなくても、充分ミステリになりそうな話であることはおわかりいただけるだろう。もっとも連想するのは、クリスティみたいな謎解きよりも、禁制の品を扱うギャングたちが絡むハードボイルド(密造酒→禁酒法、といういささか安易な連想)。ただしこの作品、ハードボイルドでない面とハードボイルドな面との両方を持ちあわせている。

 まずハードボイルド的でないのは、探偵側の立場と姿勢。

 探偵側の職業が、税務署などという、おおよそ「庶民」のシンパシーを得づらいものである(だから、映画『マルサの女』なんかは脱税側を「より悪辣な奴」として描いている)。そして、「仕事だから」という単純な正義感で突き進む署長は、「上」から与えられた職務として、みずからの行為を疑うことはない。これにくらべ、逮捕されてなおしたたかな態度を崩さない密造者たちのほうが遥かに生き生きとして見える。そう、この物語の本来の主役は「犯罪者」であるはずの密造団なのだ。

 いっぽうハードボイルドを感じさせるのは、船戸与一的に帝国主義の断面を切り取ってみせるところ。

 たかだか田舎の脱税騒ぎに「帝国主義」ってのは大げさじゃないかって?

 そうかもしれない。

 だが、「酒への課税=国家管理」というのは、日本の戦前の体制におけるある側面を象徴するものなのだ。

 米から醸造した酒は、冠婚葬祭のさまざまな場面を思い出せば分かるとおり、単なるアルコール飲料ではない。きわめて儀礼的な飲み物なのだ。「御神酒」という表現もある。こういうものを国家管理のもとに置くというのは……言うまでもなく、神道の国家体制化と連動した現象である。つまり、民衆の側にあった祭祀行為の主導権を、国家の側に統合しようとする動きである。

 「税務署長の冒険」は、これに対する民衆のささやかな抵抗の物語とも言える。あるいは、歴史の表舞台に立つ者たちに対する、舞台から追いやられた者たちの叛逆──船戸与一言うところの「叛史」の一端なのかもしれない。

 ……実を言うと、ここまで書いておきながら、やっぱりこりゃ強引かもしれない、と思う気持ちもある。そこでは、この叛逆のモチーフをより意識的に描いた作家をとりあげることにしよう。

 西村寿行を。

*1 : 2008/01 全般に、いま見るとちょっと恥ずかしい。

始祖鳥記

小説
始祖鳥記 飯嶋和一 / 小学館 (→小学館文庫

 天明年間。名の通った表具屋の幸吉は、巨大な翼を作って夜な夜な空を舞っていた……心の底に大きな夢を抱いて。だが、それは悪政の世に現れるという鵺を模したものだと受け取られ、幸吉はお上の取り調べを受けることになる……。

 筒井康隆の短編「空飛ぶ表具師」にも登場する、鳥人・幸吉の数奇な生涯を描く時代小説。浜で育った幸吉が憧れる海と空。それは、鎖国体制下の日本から遠い異国へと至る道であり、そして彼を縛りつける「日常」から解き放ってくれる存在でもある。

 そしていつしか幸吉自身が、腐敗と圧政に苦しむ人々の心に何かを与える存在となってゆく。 あらゆるくびきを投げ棄てて、再び空を目指す幸吉の姿には、胸のすくような開放感を覚えた。

 空を舞う鳥のように自由に生きたい。そんな、人々の無意識の願いを、文字どおりの形で現実にしてのけた幸吉の姿が魅力的だ。そして、幸吉と知り合ったり、あるいはその逸話を聞いたりして、自らのなすべきことをしようと決意する男たちもまた魅力的に描かれる。安住することをよしとせず、豪商たちの寡占体制に立ち向かう塩問屋、あるいは蝦夷地を目指す船乗り、あるいは駿府の町の有力者たち。

 中盤に描かれるのは、幸吉自身というよりは、幸吉と接した人々の物語である。特に塩問屋のエピソードは、官僚と大企業の癒着構造に対決を挑むベンチャービジネスという、あまり時代小説っぽくない構図でなかなか刺激的だ。

 物語は安直な幻想に逃げ込むことなく、地に足をつけながらも高らかな飛翔で幕を閉じる。

 抑えた筆致ながら、どっぷりと浸っていたいと思わせる物語。終わってしまうのが名残惜しいと思わせる小説にであったのは久しぶりだ。

ファイト・クラブ

小説

喧嘩上等暴力炸裂

ISBN:4152082089ISBN:4150409277チャック・パラニューク / 池田真紀子訳 / 早川書房

 冒頭の場面は、数分後に爆発する超高層ビルの屋上。主人公は口に銃口をつっこまれている。そんな状態の彼が語るのは……ファイト・クラブという喧嘩上等な男たちの秘密クラブに端を発する、奇想天外な物語。

 鋭い文体(翻訳だが、きわめて個性的だ)で描く、アナーキーな暴力と、破壊衝動の果てしないエスカレート。随所に散りばめられた、ブラックユーモアに満ちたエピソードの数々。

 暴力的。
 政治的。
 お下劣。
 そして痛切な叫び。

 とりとめもなくエピソードが連ねてあるだけの、破綻気味の小説のような印象を受けるが、決してそんなことはない。むしろ、きわめて緻密に構成された作品だ。ミステリでは使い古されたある手法を、実に効果的に用いている。

 ……おっと、内容について詳しく伸べるのはやめておく。なにしろファイト・クラブの規則は、

「第一条 ファイト・クラブについて口にしてはならない」

「第二条 ファイト・クラブについて口にしてはならない」

なのだから。

 ダークな笑いに満ちたポップなノワール----例えば『ポップコーン』のような----が好きな方には是非おすすめの一冊。1999年の翻訳小説ベスト3に入ると思う。

P.S.

 この小説、デビッド・フィンチャー/ブラッド・ピットの監督/主演コンビで映画化された。私は見ていないのだが、ある意味では映像化不可能なこの小説を、いったいどんなふうに映画にしたのだろう?
(と書いたのを見た知人が教えてくれた。おそろしいことに、けっこう原作に忠実だったようだ。映像化によってある側面はさらに強化された模様)
  • Bookstack 古山裕樹
    ウラジーミル・ソローキン / 亀山郁夫訳 / 国書刊行会 昔のロシア文学によく描かれる、帝政ロシア時代の田舎の田園風景。それが一瞬にしてスプラッタ風の殺戮劇場と化す……。長編『ロマン』で一部に衝撃を与えた現代ロシアの異端作家、ソローキンの短篇集。 表題作は...

男は嘘つき、女は……

小説
男は嘘つき、女は……ウォーレン・アドラー / 角川文庫

 ケンは作家志望のコピーライター、妻のマギーはコンサルタント。二人は、レストランでマギーのクライアントのエリオット、そして妻のキャロルとディナーをともにする。初対面のはずのキャロルをひと目見て、ケンは衝撃を受ける。20年前、深く愛しあいながらも別れざるをえなかったキャロルに生き写しなのだ。だが、彼女は年齢も経歴もあのキャロルとは異なるうえ、ケンを知っている素振りは見せなかった……。

 ……という印象的な出だしとともに幕を開ける、二組の男女の物語。登場人物を必要最少限に絞り込んで、彼らの駆け引きをじっくりと描いている。引き返せないポイントを次々と越えてゆく(あくまでも、追い詰められるわけではない)につれて、物語の空気は徐々にサスペンスを増す。

 激しい愛、というものを描く小説だが、決して単純なラブ・ロマンスではない。ポイントは、彼らがそれなりに年を取っている、というところ。「愛のためなら何もかも捨ててでも」なんてきれいごとは言っていられないし(例えば、彼らの資産に関する意識に注目)、年齢から来るあせりもないわけではない。だからこそ生まれる企み。激情に駆られるだけでなく、現実もしっかり見据えているがゆえの微妙な駆け引きがスリリングだ。

 読んだ直後には、その唐突さにやや戸惑ったラストシーンも、物語に深みを与える上では成功していると思う。しかし、ハリウッドで映画化されるとしたら、このラストは改変されそうだな(そういう性質の終わり方なのだ)。