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2000年7月の日記

ポラーノの広場

小説

ハードボイルド・イーハトーブ*1

宮沢賢治/新潮文庫

 表題作を含む短編集。

 ミステリ者としてここで注目すべきはこの一編、「税務署長の冒険」だ。

 主人公は税務署長。物語は、彼が酒の密造防止を訴える講演をする場面から始まる。彼が講演をしているこの村、実は何者かが大がかりな密造をやっているようなのだが、尻尾がつかめない。署長は講演しながらも、きっと聴衆の中におれを笑っている奴がいる、と苛立つのだった。署長は部下に内偵を命じるが……という筋書き。

 この作品、実はアガサ・クリスティのある作品と同じトリックが使われている(本当)……なんてハッタリを持ち出さなくても、充分ミステリになりそうな話であることはおわかりいただけるだろう。もっとも連想するのは、クリスティみたいな謎解きよりも、禁制の品を扱うギャングたちが絡むハードボイルド(密造酒→禁酒法、といういささか安易な連想)。ただしこの作品、ハードボイルドでない面とハードボイルドな面との両方を持ちあわせている。

 まずハードボイルド的でないのは、探偵側の立場と姿勢。

 探偵側の職業が、税務署などという、おおよそ「庶民」のシンパシーを得づらいものである(だから、映画『マルサの女』なんかは脱税側を「より悪辣な奴」として描いている)。そして、「仕事だから」という単純な正義感で突き進む署長は、「上」から与えられた職務として、みずからの行為を疑うことはない。これにくらべ、逮捕されてなおしたたかな態度を崩さない密造者たちのほうが遥かに生き生きとして見える。そう、この物語の本来の主役は「犯罪者」であるはずの密造団なのだ。

 いっぽうハードボイルドを感じさせるのは、船戸与一的に帝国主義の断面を切り取ってみせるところ。

 たかだか田舎の脱税騒ぎに「帝国主義」ってのは大げさじゃないかって?

 そうかもしれない。

 だが、「酒への課税=国家管理」というのは、日本の戦前の体制におけるある側面を象徴するものなのだ。

 米から醸造した酒は、冠婚葬祭のさまざまな場面を思い出せば分かるとおり、単なるアルコール飲料ではない。きわめて儀礼的な飲み物なのだ。「御神酒」という表現もある。こういうものを国家管理のもとに置くというのは……言うまでもなく、神道の国家体制化と連動した現象である。つまり、民衆の側にあった祭祀行為の主導権を、国家の側に統合しようとする動きである。

 「税務署長の冒険」は、これに対する民衆のささやかな抵抗の物語とも言える。あるいは、歴史の表舞台に立つ者たちに対する、舞台から追いやられた者たちの叛逆──船戸与一言うところの「叛史」の一端なのかもしれない。

 ……実を言うと、ここまで書いておきながら、やっぱりこりゃ強引かもしれない、と思う気持ちもある。そこでは、この叛逆のモチーフをより意識的に描いた作家をとりあげることにしよう。

 西村寿行を。

*1 : 2008/01 全般に、いま見るとちょっと恥ずかしい。


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マンチェスター・フラッシュバック

ノワール

投げ捨てた過去に向かい合う

マンチェスター・フラッシュバック ニコラス・ブリンコウ / 玉木亨訳 / 文春文庫

 それなりの年月を生きていれば、忘れてしまいたい過去のひとつやふたつはあるだろう。それがあまりにも重ければ、投げ出して逃げ出してもおかしくない。これは、そんな男の物語だ。逃げたけれど逃げ切れず、追いかけてくる過去と向き合う男の物語だ。

 男がマンチェスターの街を捨ててから15年。今ではロンドンでカジノの支配人になっていた。そこへ訪れた、かつて浅からぬ因縁があった刑事が告げる。昔の仲間が殺された。その手口に、男は15年前のあの事件を思い出す。かくして男は捨てたはずのマンチェスターへ、自分の過去へと舞い戻る……。

 15年前と今のマンチェスターを交互に描きながら、過去と現在の二つの殺人事件の真相をゆっくりと浮かび上がらせる。

 かつての主人公はドラッグ欲しさに体を売る男娼だった。彼自身は同性愛者ではないが、登場人物には同性愛の嗜好者が多い。物語を織り成す縦糸が殺人事件をめぐる物語とするならば、横糸は彼らの風俗描写だ。

 保守的な警察幹部には目の敵にされる彼らは、もちろん社会のアウトサイダー。社会を見上げるその視線は、ハードボイルドにも通じるものがある。それも、チャンドラーが描いたような「卑しい街を行く孤高の騎士」なんぞの夢物語ではない。「卑しい街を生きる薄汚れた男たち」の物語だ。過去に向かい合う男の探索行には、郷愁と冷徹さが同居している。

 おぼろげな過去が徐々に読者に明らかにされるという点では、本書はトマス・H・クックの『緋色の記憶』に始まる一連の作品、あるいは天童荒太の『永遠の仔』などの系譜に連なる。前者は私の好みではないが、きわめて技巧にすぐれた作家であり、後者はベストセラーにもなったのでご存知の方も多いだろう。

 過去とどのように対峙するか、という主人公の姿勢について言えば、私は本書の主人公にもっとも好感をおぼえる。

 全般に、少々あっさりしているところが好ましくもあり、また弱みでもある。特に主人公と因縁のある刑事(これはなかなか印象に残る人物。著者のほかの作品にも登場するらしい)以外の警官たちについては、もっと書き込まれていてもいいのではないかと思う。とはいえ、まずまず面白く読める作品ではある。主人公の過去に対する姿勢も、クライマックスではなかなかいい形をとっていて、こういうジャンルでは新鮮に感じた。

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定吉七は丁稚の番号

陰謀小説
定吉七は丁稚の番号 / 東郷隆

 大阪商工会議所・秘密会所の丁稚・定吉は、殺しのライセンスを与えられた腕利きの工作員。関西文化の破壊を企む汎関東主義秘密結社・NATTOを相手に、今日も死闘を繰り広げる……

 007シリーズの世界を、そっくり80年代日本に置き換えたパロディである。東西冷戦構造は、そのまま関東と関西の対立にシフトする。NATTOの目的が「関西人に納豆を食べさせる」というのもなかなかいい(でも、少なくとも半世紀以上は大阪に住んでいる私の祖父母は、ふつうに納豆を食べていたけれど)。

 パロディなので、原典を知っている人には楽しい場面が満載だ。例えば『定吉七は丁稚の番号』に収録されている中編「ドクター・不好」の冒頭は、元ネタ『ドクター・ノオ』の冒頭の展開にぴったり重なる。もっとも、ジャマイカのリゾートが湘南に、コントラクト・ブリッジが麻雀になっているけれど。

 もちろん、元ネタなんて知らなくても楽しめる。この東西冷戦は、荒唐無稽でありながら、たいていの日本人には米ソの冷戦よりもはるかに身近な対立軸だ。スタイルはあくまでもギャグ。そして、それが逆に「日本の公的機関に属するスパイ・ヒーロー」をリアルな存在にしている。

 なにしろ現実の日本政府は、どう見てもMI6やCIAみたいな諜報機関なんて持ってなさそうだ。だから、「××庁の秘密エージェント」なんてのが外国のスパイ相手に大活躍しても絵空事にしか見えない。

 そこで定吉七番シリーズだ。「国家のエージェント」という枠組みが背景と合わないのなら、背景のほうを変えてしまえばいいのだ。

 かくして生まれたのが、関東と関西が冷戦を繰り広げる日本である。この対立軸は、多くの日本人には身近なものだろう。一方で、「大阪商工会議所の秘密工作員」なんてのがいてもおかしくない雰囲気を備えている。ふさわしい舞台に、ふさわしい登場人物。ひとつの世界として整合性があるからこそ、荒唐無稽ではあるがリアリティに満ちている。

 しかも、とっぴな設定に隠れがちだが、アクションの描写も、物語の造りもいたって真剣なのだ。原作のアクションシーンは、巧みに日本の事物を活かしたアクションに置き換えられている。ストーリーだって、固有名詞を置き換えればシリアスな物語として充分通用しそうだ。作者が真剣に冗談をやっているからこそ、作品世界がより身近に感じられるのだろう。

 このシリーズ、本書に続いて『ロッポンギから愛をこめて』『ゴールドういろう』『角のロワイヤル』『太閤殿下の定吉七番』が刊行された。舞台は80年代なので、今読むと懐かしさを感じさせるような描写も珍しくない(特に、田中康夫風の作家が登場する『ロッポンギから愛をこめて』がそうだ*1)。そのせいか、新刊書店では入手が難しい。

 だが、そんな理由で埋もれさせてしまうにはあまりにも惜しいシリーズである。どこかで見かけたら、ぜひご一読を。

*1 : 2008/01追記:この文章を書いたのは、田中康夫が長野県知事選挙に立候補するとかしないとか言っていたころだ。


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殺戮の天使

ノワール

フランスが生んだハードボイルドの結晶

殺戮の天使 ジャン・パトリック・マンシェット / 野崎歓訳 / 学研

 冷徹に人を殺す正体不明の女は、身分を偽ってある田舎町へとやってきた。町の俗物たちと付き合いながら、やがて彼女はある計画を実行に移す……。

 ハードボイルドといえばアメリカ、という印象がある。が、アメリカ製ハードボイルドの影響を受けながらフランスで独自に発展した小説(向こうではロマン・ノワール----暗黒小説と呼ばれることが多い)も、非常に味わい深いものがある。

 英語圏の娯楽小説とフランスとの関わりには、ひとつの傾向があるように思う。

 母国では安っぽい煽情的な三文小説の書き手とされていた作家が、フランスでは熱狂的に受け入れられる、という図式だ。ホラーではH・P・ラヴクラフト(『クトゥルーの呼び声』)、SFではフィリップ・K・ディック(『ヴァリス』)、そして犯罪小説ではジム・トンプスン(『ポップ1280』)やジェイムズ・ハドリー・チェイス(『ミス・ブランディッシの蘭』)。

 フランス人がハードボイルドに「発見」したのも、チャンドラー的なロマンティシズムよりは、むしろ根源的な暴力の世界だった。

 そんなフランス製ハードボイルド、ロマン・ノワールの一つの頂点を作り上げたのが、本書の作者ジャン=パトリック・マンシェットだ。極左思想の信奉者であり、本書も注意深く読めばそういう要素が読み取れる(初期の傑作『地下組織ナーダ』では前面に出ていた)。

 が、「左翼」という言葉からイメージしがちなイデオロギーまみれのうっとうしさは皆無である。ぎりぎりまで研ぎ澄まされた文体で語られる鋭利な物語は、ハードボイルドのひとつの極点だ。饒舌さを排したところに生まれるスピード感が心地よい。

 ただし、これはマンシェットのスタンダードではない。

 スタイルが洗練の極みに達したせいか、この作品は一種異様な高揚感に満ちている。本書のクライマックスでは、物語は象徴に満ちた寓話のような世界へと結晶し、最後には正常な小説の書き方すら投げ捨てて幻想の地平へと飛翔してしまう。極限まで言葉を切り詰めたがゆえになしえた力技だろう。

P.S.
 今年(2000年)もっとも気になる作品であるヴィルジニ・デパントの『バカなヤツらは皆殺し』は、この小説のラストでのマンシェットの叫びに対する、ある種の返答のように思われる。

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ポップ1280

ノワール

神なき世界の黒い哄笑

ポップ1280 ジム・トンプスン / 三川基好訳 / 扶桑社 (→扶桑社ミステリー)

ニック・コーリーは保安官で、人口1280人に満たない田舎町ポッツヴィルの治安を担っている。……もっとも、仕事らしい仕事はほとんどしない。彼をなめてかかっている売春宿のヒモをどうすべきか、同僚の保安官に相談に行ったところから、彼の運命は転がりはじめる……。

 ジム・トンプスンといえば、近年再評価著しい伝説のパルプ作家。もっとも、映画『ゲッタウェイ』の原作者、と呼んだほうが通りがいいかもしれない(あ、『グリフターズ』の原作も彼だ)。狂った論理が堂々とまかり通るその作品世界は、読者の心をも侵蝕してゆく毒に満ちている。

 本書は、彼の最高傑作といわれる暗黒小説。「すでにできあがっていたカバーイラストに合わせて2週間で書き上げ、入った原稿料はあっというまに飲んでしまった」という素敵なエピソードも伝わっている。

 書き飛ばした作品? たしかに、成立過程はそうかもしれない(あくまで「伝説」という気もするが)。だが、それを感じさせない精緻なつくりを備えていることも確かだ。さして長くもないこの小説の随所に隠された仕掛けは、吉野仁氏の力のこもった解説でその一端が解き明かされる。

 いたるところに皮肉とブラックユーモアが撒き散らされている。冒頭、睡眠不足を訴えながら過剰なまでの睡眠をとり、食欲減退を訴えながら異常な量の食事をとるところはほんの序の口。行き当たりばったりにあっさりと人を殺し、あるいはいとも簡単に罠にかけてしまう。それでいながら純真な心の持ち主であることを強調しつづける主人公。純真さを装っているのか、それとも「真性」なのか、そのはざまを漂うこの男の語りが、読者をどこまでも翻弄する。

 この男の狂った論理を「狂気」と呼んでしまうことはたやすい。だが、彼ひとりが病んでいるのではない。世界そのものが病んでいるのだ。そして、そんな物語を「娯楽」として消費してしまう我々も。

 限りなく悪意に満ちた視点の持ち主だからこそ、トンプスンは狂った世界の狂った物語を軽妙な犯罪劇に仕立て上げることができたのだろう。

 いわゆる「ノワール」が苦手な人にも、この軽妙にして洒脱な、ブラックユーモアあふれる犯罪劇はぜひともおすすめしたい。ポップな味つけの施されたこの猛毒は、全身を震撼させる。

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